On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2014-03-11 12:46:30

だからね…

…いまの日本社会のテレビがこのまま旧態依然なら、なるべく出たくないのです。
「別の視点もフェアにやりたい」という、事前の志はいいけれど、本番になると、推測や憶測をもとにした一般論がむしろ優先され、現場と実務に即した知見を述べることは後回しにされ、時間が無くなってしまう。

 その背景にあるのは、「一般大衆、国民が馴染みやすいのは、どこかで聞いたことがあるような一般論の方だ」とテレビが思い込んでいるという深刻な事実です。
 実際は、まったくそんなことはない。
 多くの国民がインターネットというツールも善用し、みずから学び、机上の空論、あるいはどこかで聞いたような、誰でも言えるような一般論には、とっくに飽き飽きしているのに、日本社会のテレビはなかなかそれに気づかない。
 このままでは日本社会のテレビは、ゆっくりと、しかし確実に滅んでいくでしょう。

 しかし一方で、テレビを視るひとも依然、たくさん、いらっしゃる。
 不肖ぼくにも「もっと出てください」というメールや書き込みが、びっくりするほど沢山、日々、来ています。
 その視聴者の側、国民には、裏舞台で何があろうと一切関係がありません。ただ画面をご覧になるだけだから、番組に参加する以上は、ベストを尽くすしかありませぬ。

 ぼくは日本社会のテレビの課題は、スタッフだけではなく、番組に参加する側の問題が大きいと考えます。
 きょうは福島原子力災害が始まってから( …つまり、まだ収束などしていない)、3年ということで、複数の学者が番組に出ておられるのを、ちらちら拝見しました。
 テレビ局との番組前の打ち合わせで「ああ、こういうことをテレビ局・番組としては言って欲しいんだな」と学者が感じ取ったことを、まるで専門的知見のように見せかけつつ、話している学者も見ました。
 こういう媚びが、思い込みを社会に広げてしまう大きな要因のひとつです。

「安全は売れない。危険が売れる。したがって、安全であると言うより危ないと言って欲しい」というメディア・ビジネスに乗っちゃ駄目です。
 本物の専門的知見にだけ基づいて、危ないものは危ないと明言するのは、断固、正しい。必要不可欠です。
 しかし、学者のなかには、学会内で批判されないように、一応の専門意見を述べたあとに、「ただし…」と称して、「社会的には危ないと思うべきだ」と趣旨を必ず、付け加えるひとがいる。

 テレビ局に売り込みたいなら、学者、科学者ではなく、タレントになってください。
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