2020-08-27 20:34:03
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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海外の同胞からこのブログに悲鳴が届きます
日々、懸命に交渉を続けて、ようやくぼくの考え方が、担当省庁で内々の合意を見て、それが担当省庁から内閣に打診される段階に来ています。
遅すぎる、何やってるんだ‥‥ありとあらゆる批判、また消費減税をめぐる国内における批判、その減税じゃ足りない、失望した‥‥ありとあらゆる批判を、この一身にお受けします。
実際にみのる可能性のある案を、政府に求めるほかありません。
ほかの案では、海外の同胞への支援も、消費減税も、何もかも一切、実現しません。いずれも長い交渉の過程で、それをぎりぎりまで確認したからこそ、現在の案、すなわちぼく自身も、ぼく自身としては不満いっぱいの案を、あえて提示しています。
力を尽くしきっていることは事実です。それは、「ぼくは頑張っています」などということでは全くなくて、政界の常識、慣例、ふつうのルール、それらをすべて超えて総理も官房長官も応対され、行政もその常識、慣例、ふつうのルールを超えて、一議員の動きに対応しているという意味です。
日本だけではなく、諸外国でも、少なくともぼくが歩いてきた限りでは、こうした例、すなわち役職もほとんど無い一議員の提案をまともに政府が検討する例を見たことがありません。
ぼくがどうこうではなく、それだけ、海外の同胞の苦境、消費増税による国民の重荷、それが政府の中枢に浸透してきたということです。
いずれにも、違う見解を持つ政治家、行政官 ( 官僚 ) は沢山いるのです。
こういう人たちのいわく「海外の国民にまで手が回らないのは大半の諸外国も同じであり、この危機にあってはやむを得ない」、いわく「日系人と在留邦人の分断を招くおそれがあるから何もしない方が安全で、得策だ」、いわく「日本の庶民への税は国際水準に照らせば重くないことを、むしろ国民に知ってもらうべきだ」、いわく「国債を出し続けるのではなく、不人気策であっても増税して危機を共に脱することを国民に提案すべきだ」という、ぼくは容認できないことを主張する政治家、官僚、そして学者がいるのが現実です。
みなさんも実は、ご存じですね。
日本は民主主義国家ですから、これら異論とのせめぎ合いになりますが、政権の中枢と、行政官の良心派は、これらの論を容認しない方向に、ようやく進み始めているのです。
その時に、不満いっぱいであっても、どうにか成立を図ることのできる案を示さないと、日本のまつりごと ( 政 ) は、もっと暗黒に墜ちていくでしょう。
気楽に評論する立場に戻りたい誘惑は、まったく感じません。
国会に出て4年と1か月、ただの1日も、ただのひとときも、気持ちが安らいだことはないです。楽しかったことはないです。
子どもの頃から、さまざまに愉しむタイプでしたから、亡き両親がもしもこれを見たら何を思うかなと、ごくたまにですが、考えることがあります。
すると、いつも結論は同じです。両親が何を内心で思うかは別にして、きっと、一言も発しないだろうなと。
そして「男子がおのれで決めたことやから」という眼を、父も母もするでしょう。
その通りです。
最後まで、同胞、はらからと苦しみをこそ共にします。
遅すぎる、何やってるんだ‥‥ありとあらゆる批判、また消費減税をめぐる国内における批判、その減税じゃ足りない、失望した‥‥ありとあらゆる批判を、この一身にお受けします。
実際にみのる可能性のある案を、政府に求めるほかありません。
ほかの案では、海外の同胞への支援も、消費減税も、何もかも一切、実現しません。いずれも長い交渉の過程で、それをぎりぎりまで確認したからこそ、現在の案、すなわちぼく自身も、ぼく自身としては不満いっぱいの案を、あえて提示しています。
力を尽くしきっていることは事実です。それは、「ぼくは頑張っています」などということでは全くなくて、政界の常識、慣例、ふつうのルール、それらをすべて超えて総理も官房長官も応対され、行政もその常識、慣例、ふつうのルールを超えて、一議員の動きに対応しているという意味です。
日本だけではなく、諸外国でも、少なくともぼくが歩いてきた限りでは、こうした例、すなわち役職もほとんど無い一議員の提案をまともに政府が検討する例を見たことがありません。
ぼくがどうこうではなく、それだけ、海外の同胞の苦境、消費増税による国民の重荷、それが政府の中枢に浸透してきたということです。
いずれにも、違う見解を持つ政治家、行政官 ( 官僚 ) は沢山いるのです。
こういう人たちのいわく「海外の国民にまで手が回らないのは大半の諸外国も同じであり、この危機にあってはやむを得ない」、いわく「日系人と在留邦人の分断を招くおそれがあるから何もしない方が安全で、得策だ」、いわく「日本の庶民への税は国際水準に照らせば重くないことを、むしろ国民に知ってもらうべきだ」、いわく「国債を出し続けるのではなく、不人気策であっても増税して危機を共に脱することを国民に提案すべきだ」という、ぼくは容認できないことを主張する政治家、官僚、そして学者がいるのが現実です。
みなさんも実は、ご存じですね。
日本は民主主義国家ですから、これら異論とのせめぎ合いになりますが、政権の中枢と、行政官の良心派は、これらの論を容認しない方向に、ようやく進み始めているのです。
その時に、不満いっぱいであっても、どうにか成立を図ることのできる案を示さないと、日本のまつりごと ( 政 ) は、もっと暗黒に墜ちていくでしょう。
気楽に評論する立場に戻りたい誘惑は、まったく感じません。
国会に出て4年と1か月、ただの1日も、ただのひとときも、気持ちが安らいだことはないです。楽しかったことはないです。
子どもの頃から、さまざまに愉しむタイプでしたから、亡き両親がもしもこれを見たら何を思うかなと、ごくたまにですが、考えることがあります。
すると、いつも結論は同じです。両親が何を内心で思うかは別にして、きっと、一言も発しないだろうなと。
そして「男子がおのれで決めたことやから」という眼を、父も母もするでしょう。
その通りです。
最後まで、同胞、はらからと苦しみをこそ共にします。