On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2006-10-10 04:49:03

(きょうはタイトルを付ける気になれないのです)



 いま2006年10月10日火曜の未明4時17分。
 きのう北朝鮮が地下核実験に踏み切ってから、18時間近くが過ぎた。

 きのうは、自分の無力をつくづく感じた。
 北朝鮮というテロ国家に対してではない。
 日本という、ぼくのただひとつの祖国にある、目にみえない権威主義という壁に対しての、自分の無力ぶりだ。

 きのうは、わたしたちのアジアが根こそぎ、変わる日になった。

 そして、ぼくは私的にも、忘れがたい日になった。
 きのうの午後から締めていた明るい薄緑のネクタイに、夜、ある愚かしい理由で、ひとつの染みが付いた。まだ真新しいネクタイに、申し訳なかった。どこかの工場で、このネクタイをデザインし、染め、縫いあげた人たちに申し訳なかった。

 その小さな染みを、ぼくは、わが無力を実感した日のおかしな象徴として、むしろ忘れないようにしたい。

 わたしたちの国の、目にもみえる官僚支配と、目にみえない権威主義の存在は、一枚のコインの裏表だ。
 日本のマスメディアは、それを打ち破るのではなく、その古びたコインを頭の上に載せて、落とさないように懸命に足を使って、行きつ戻りつしている。

 はははと嗤うべき哀しさだが、その権威主義に無力なぼくも、嗤うべき情けなさだ。
 戦う手段が全くないわけでもない…のかも知れないのだから、ね、短い命がどうにかあるうちに、せめて悔いなくやりたい。

 ああ、もう午前5時を過ぎた。きょうも眠りのない夜が明ける。
 あと1時間半ほどで、テレビ朝日に向かう。そこから大阪へ。
 映画「ドクトル・ジバゴ」の冒頭シーンは、身を裂く風の吹く凍土に、亡骸を埋める葬儀の場面だ。
 神父が、永遠の安らぎ、という決まり文句を言う。
 ただの決まり文句だとは、いまは、思えない。

 苦闘千里。その果てにあるのは、名誉でも栄光でもなく、草一本の緑もない凍土なのだろう。しかし、しかし、それはそれでよい。
 それでよいから、この愚かな無力を、ぼく自身の責任である無力を、ほんの一瞬だけ、克服してみたい。


  • 前の記事へ
  • 記事の一覧へ
  • 次の記事へ
  • ページのトップへ
  • ページのトップへ