On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2006-11-19 08:08:43

深く淡く生きる   (その1)





▼いま朝の6時半を過ぎたところです。
 2006年、平成18年11月19日の日曜、薄曇りの東京湾岸の空と海が、ぼくの目の前に静まっています。

 まもなく、鳥取県の米子へ向かいます。
 29年もかかって、ようやく拉致被害者と日本国から認められた松本京子さんのお母さん、お兄さんたちとお会いするためです。

 お会いして、思いをじっくりと伺い、それから誘拐の現場をしっかりと見届け、それをぼくなりの責任で、みなさんに伝えたいと考えました。
 その考えを、ぼくの小さなレギュラー・コーナーのある関西テレビの報道番組『ANCHOR』のスタッフに話し、現地ロケが実現することになりました。


▼さて、このブログへの書き込みは、ほぼ1か月ぶりになります。
 ぼくの動きについて書いたのは、10月16日月曜に英国大使館で駐在武官らと話したときのことに触れたのが、最後になっています。

 ここで少し、ぼくのささやかな日々を忠実にトレースする書き込みを、してみたいと思います。
 10月の半ば過ぎあたりから、現在まで、何回かに分けて書いていきましょう。

 写真は、おとといの11月17日金曜日に、長崎県の佐世保市で、市中を望む弓張岳の展望台から携帯電話で撮りました。
 テロリズムから国民を護る実務をめぐって、独立総合研究所(独研)の研究員ふたり、国家安全保障の若き専門家のY、東京消防庁から独研へ出向中のまさしく実務者、H、いずれもナイスガイ(社交辞令ではないよ)と出張しました。

 佐世保は、われらが東郷平八郎元帥が、日本海海戦でバルチック艦隊を撃破するずっとまえに『この港こそ帝国海軍の艦隊母港にふさわしい』と見いだした港です。
 真っすぐな慧眼(けいがん、本質を見抜く眼)ですね。
 ぼくなりに世界のさまざまな軍港を視てきましたが、それらと比べても、いまも最高レベルの良港といえると思います。

 だからこの佐世保は、海上自衛隊とアメリカ海軍が、それぞれの重要な艦船の母港としています。
 それだけに、重大テロや有事のときに、しっかりと地域住民、市民を護りきることが大切です。

 ぼくの指さしている方向に、日本の優秀なイージス艦が入港しています。
 画面ではみえないでしょうが、肉眼では、イージス艦の『曇らない眼』と言うべきフェイズド・アレイ・レーダー(死角のないレーダー)が夕暮れの淡い光のなかでも、はっきりと見えました。
 このイージス艦を、海上自衛隊がレベル高く運用していることは、佐世保港の向こうに広がる東シナ海で刺激的な動きをする中国海軍への、大きな抑止力になっています。


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