On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2011-03-18 09:29:57

選んで公開します→ 改め、「ごく一例として公開します」

▼内閣総理大臣である菅さんの問題を、感情論で論じるひとが、ぼくの眼に触れる限りはほとんどいないのは、ひとつの救いだと考えます。(ただし、ふだんから掲示板などは見ていませんから、そこを語る資格はぼくにはありません)
 しかし、この国難からの復興の指揮を菅さんが執り続けることについては、感情論の問題ではないだけでなく、「こんな非常時に」という一般論の問題でもありません。
 具体論の、かつ現在進行形の、日本国民にとっての課題です。子々孫々のための重大課題でもあります。

 あまりに蛇足ながら、日本国の内閣総理大臣は、自衛隊の最高指揮官でもあります。
 自衛隊法は、その第7条で「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」と明記しています。
(なお防衛大臣は、続く第8条で、「防衛大臣は、この法律の定めるところに従い、自衛隊の隊務を統括する」と規定され、さらに同じ8条の後半で、「ただし、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の部隊に対する防衛大臣の指揮監督は、統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長を通じて行う」という趣旨が定められています)

 たったいま進行している日本の建国以来有数の国難は、その緊急の救難・救護・被害拡大の食い止め、さらに再興への手がかりまで、自衛隊・警察部隊・消防部隊からひとりひとりの国民までが取り組んでいるものですが、福島原子力災害をみても、自衛隊が中軸の一つであることが明らかです。

 その意味からも、現在の菅総理の考え・意向、発言、行動、そしてその表情から機嫌までが、自衛隊も含めて、災害対処に大きく影響します。いや、直接に左右します。
 日本の総理大臣は、自衛隊の「最高」指揮権を含め、実は権限が強力だからです。
 たとえばアメリカの大統領に比べて、日本の総理は法的に権限が弱いという話ばかりが、よくされます。その側面も、間違いなくあります。
 しかし、その総理の力の使い方によっては、すなわち総理の個性によっては、たいへんに強力な権力を広範囲に発揮できるという特徴も、同時に、間違いなくあるのです。
 これは、ぼくが共同通信政治部の記者時代にその現場で「政治学の本に書かれてあることと違う」と気づいた点でもあります。


▼菅総理が、昨年の8月に統幕長らとの意見交換会で、ご自分が自衛隊の最高指揮官であることを会の直前まで知らなかったと受け取るほかない発言をされた、そのことを今回も指摘して首相辞任論を語るのなら、やや感情論に近づくし、「こんな非常時にそんな論議をすべきではない」という反論も成り立つと考えます。
 したがって、ぼくはその去年の話をいま、問題にするつもりはない。

 問題は、東日本大震災の発生以来、菅総理がすでに2度にわたり、実際の緊急活動を阻害したという事実(福島の現場に入り、その事前準備と現地対応に現場の力を削いで振り向けることになった。また東京電力の本店に入り、長時間とどまって、そのあいだ本社の指揮機能を鈍らせた)と、それだけではなく、現在進行形で、再び福島の現場で、もっとも喫緊(きつきん)の大切なことが実施できずに遅れているという事実があります。


▼その第三の事実は、この一般公開の場である個人ブログでは記せません。圧力や非難を恐れているのではない。そんなものは年中行事で、すでにあります。
 日本に常に不法な工作活動を行っている外国勢力にまで、やすやすと知らしめることは国益に反するためであり、また、現場の士気にも関わるからです。
 そこで、完全クローズドで独研(独立総合研究所)から配信している会員制レポートでは、ある程度、記しています(全部ではありません。会員外に漏れるケースを考えねばならないからです)

 きのう、その会員制レポート(東京コンフィデンシャル・レポート第500号)を全会員へ配信したところ、独研のメールアドレス各種に、凄まじい妨害工作がありました。
 しかし配信そのものは、完遂できました。
 入院中のぼくを含め、社員たちがその後始末に膨大な時間と労力を取られたという意味では実害がありましたが、実際の業務遂行、一民間シンクタンクながら国民に対する任務と自覚している責務の遂行については、まったく阻害されず、完遂しています。

 ぼく自身と独研に対する、強力な組織によると思われる妨害活動は、以前から延々と繰り返されてきました。
 たとえば、ぼくの旧モバイル・パソコンでは、いったんほぼ脱稿した「ぼくらの祖国」」という、扶桑社から出版を予定している新刊の原稿が、きれいに狙い撃ちされて全部、消され、バックアップまで正確に狙われて、その全文を消され、警察庁の外事部門の、あるセクションから「そのパソコンを預かって解析します」という申し出がありました。
 ぼくのパソコンの中身は誰彼を問わず、どなたにも見せるわけにいかないので感謝しつつお断りし、そのうえで、捜査当局とも連携すべきを連携して、独研として対策を練りあげてきた経緯があります。

 しかし、もう一度述べますが、会員制レポートの配信そのものは完遂されています。これからも配信を続けます。


▼そして、この個人ブログは、前から申しているとおり、ぼくの庭です。
 家の中は、外には見せません。完全クローズドの会員制レポートの会員は、その家の中の書斎にまでお迎えするかたがたであり、机の上の生のメモと金庫の中のペーパーやデジタル資料はお見せできないけど、ソファで、日本語としても完全原稿に仕上げたレポートをお見せする、そういうかたがたです。

 一方、お庭も、公園ではなくぼくのプライベートな庭ですから、勝手に入っていただくことはできません。
 しかし、公共の道に面し、そこはどなたでも歩くことができるのですから、庭は誰の目にも入ります。その意味では社会に向かって開かれていて、その責任もあります。
 だから、ただの地味な個人ブログであっても、アップするまでには内容も文章も練りに練ります。
 有償の会員制レポート、有償の出版物(本)、それと無償のこのブログと、情報の確認と文章の磨き上げにかける手間そのものは寸分、変わりません。
 それは、お庭としての責任に加えて、ぼくがほんとうに、ほんとうに日本語を深く愛し、信じているからでもあります。

 この一つ前の書き込みで、元政治記者として旧知の菅直人さんに向けて、「総理辞任」を求めたとき、たくさんの非難コメント、さらにはアンフェアな中傷誹謗も含めて山のように来るだろうと予測しました。
 以前のように、コメント欄を無条件公開制にしていれば、おそらく実際にそのようになったと考えます。
 しかし、コメントをすべて「保留」(公開をすぐにはせず保留にしている)としている現在は、3月18日の朝5時現在では、まことに意外にも、ただ1通しか来ていません。
 その1通の全文はこうです。

~引用の始まり~
>そして、菅さん、あなたはお辞めください。

これって、今、いうべきことですか(怒)
どんなに頼りなく信頼もできない総理大臣でも、この未曽有の災害の陣頭指揮している人へ何を言っているんですか。
管さんへの退陣要求を言うのは平時のときにしてください。それからにしてください。これはさすがに酷すぎます。
~引用の終わり~

 ハンドルネームは、このかたのために公開しませんが、これは前述のような組織的妨害工作とは、まったく考えません。
 個人が実際にそう思われて投稿されているのでしょう。だから意見として、ちゃんと耳を傾けます。
 しかし、これは冒頭に記したとおりの「こんな非常時に」という一般論だと考えます。
まさしく、こんな非常時だから、最高指揮官が交代すべきであり、交代しないと現在進行形の目を覆う阻害行動がやまないからです。国民の生命に関わります。

 そして、あえてもう一度申しますが、個人的にも記者時代から存じている菅さんに、こうして個人ブログとはいえ公開の庭で、すなわち社会的な責任も負って、菅さんご本人に「ご自分から、任にアラズと理解されて任を解き、私心に負けることなくおのれを抑制できる人に、最高指揮権を譲るべきです」と提案しています。

 批判はこれからも、ありのままに受けます。
 同時に、アンフェアな中傷誹謗や破壊妨害工作については、わたしたちの法に基づいて厳しく対処します。
 また、この個人ブログと、会員制レポート、出版物、インターネットTV(青山繁晴.TV)、そして公共物であるテレビ・ラジオ、あるいは公開の講演会、非公開の勉強会・研究会、それぞれ役割は違います。
(ちなみに、地上波のテレビであるなら、東京も大阪も同じです。だから東京と大阪のテレビ番組で言うことを変えたりはしません。発言をどうカットするかはテレビ局の編集権ですから、ぼくは関与できません。しません)

 ぼくの趣旨と見解は、どのような場でも、命ある限り、寸分の違いもなく貫きます。同時に、表現は、そのひとつひとつの発信手段にふさわしいものであるよう、力を尽くして努めます。工夫します。
 それがフェアにやれるのが、日本語です。

 ぼくは、ひとりの非力な物書きとして、しかしアマチュアではなくプロフェッショナルである物書きとして、「日本語は曖昧な言葉だから」という俗説に、断固、反対します。
 それは日本語の問題ではなく、その使い手の問題です。
 書き言葉であれ、話し言葉であれ日本語は、その使い手の、志と生きざまによってはきわめて公平、客観的に考えを、その場その場にふさわしく表現できる、素晴らしい言葉です。言葉という至高の智恵です。
 敬語すらろくに完備していない英語では、とてもできないことができます。

  ぼくはこの信念に基づいて、これからも、個人ブログ、会員制レポート、出版物、そしてテレビ・ラジオ、ネットTV、公開の講演、非公開の勉強会・研究会、それぞれにふさわし表現を下手くそながら模索しつつ、少しづつ違う表現、多様な発信を通じて、最終的にはただ一つの考え、僭越に申せばぼくなりに体を張って少しづつ体系化しつつある哲学を、お示ししたいと考えています。


▼さて、前述のように、このブログはいま、すべてのコメントを公開保留にしています。
 かつて、この庭を不当に踏み拉(しだ)く動きが激化し、ぼくだけではなく、庭を愉しく愛でてくれるかたがたも不快に思う日々が続きました。
 それへの緊急対処として、すべてのコメントをいったん公開保留にして、アンフェアな中傷誹謗や破壊妨害工作と判断せざるを得ないコメントはすべて削除し、そのほかのコメントはすべて保存してきました。

 そして、選択的に公開しようとして、「それは青山さんに都合の良いものだけ公開しようとするやり方だ」というコメントが届き、ぼくは、がっくり肩を落としてしまいました。
 ずっとフェアネスを志して、時間も費やして考え、取り組んでいることが、まったく理解されない、届かない感があり、自分自身が意欲をなくしてブログを閉鎖することを、みずから危惧しました。
「ぼくにとって都合のいい意見」? そもそも、ぼくの都合って何でしょうか。日頃の死生観からして、ほんとうはそれ自体が、ぼくには意味がありませぬ。都合よく生きようと、うまくやっても、死にます。死を常に見据えて生きている以上、都合よく、などと自分は守りません。

 しかし、そのあともずっと考え続けてきました。
 そして、この頃、こころから感嘆するようなコメントも、相次いでいるのです。
 ぼくの意見と同じコメント、という意味では全くありません。長文であればあるほど、ぼくの意見と違う箇所も散見されます。
 だけども、その冷静な視座が、たとえば凄かったりするのです。

 きょうは、上に述べたような感嘆すべきコメントとをいくつか、まさしく選んで公開します。
 考え抜いた末の、ささやかな「コメント選択公開制」の始まりです。
 まずは、この二つ前の書き込み、「遺書ならざる遺書 番外編]への書き込みからです。その書き込みの下に表示されます。


*と、ここまで書いて、アップして、いざコメントからいくつか選ぶ作業を開始してみたら、これが想像を絶するほど大変です。
 いつも述べているように、すべて読んでいます。読んではいますが、あらためて選ぶために読み直し始めたら、物凄く数が多い!
 それにいま、福島原子力災害への対応で、時間を取るのがふだん以上に、無理。

 だけども、いったん約束したことをやめるわけにいきませんから、とりあえずいくつかを、まだ作業は途中ですが、公開して、そこで作業は中断します。
 いくつか原則を書いておきます。

 ■ぼくを褒めすぎているコメントは、恥ずかしくて公開できません。ところどころ褒めてあるぐらいは、仕方ないですが。

 □公開されたコメントのかたで、「それは実は困るんです!」という人がいたら、そのように書いて、もう一度コメントをブログに送ってください。
  なるべく早く削ります。ただし、いつもこのブログを見ているとは、まったく限りません。まして今は、見るときは夜中かもしれません。

 ■コメントのなかで、「これは公開しないでください」という趣旨があらかじめ書かれているコメントは、決して公開しません。安心してください。

 □しかし、その逆は、無理です。つまり「コメントの中に公開するなとは書いてないけど、前に送ったあのコメントは公開しないで」と今から指定いただいても、もう探すことは不可能です。物凄い数のコメントですから。

 ■あと、「選んで公開されたのが良いコメントで、わたしのコメントは公開されていないから、良くないのか」という誤解だけはしないでくださいね。
 選ぶと言っても、全面的に選ぶ、選ばないのをやっているのではなくて、いくつかを例示として公開するだけですから。
 選択という言葉が、ほんとうは良くないですね。
 いまそれは、変えます。
「コメント選択公開制」ではなくて、「コメント例示公開制」にします。

 □あと、このぼくの使っているGOOのブログは、いただくコメントを公開、削除、保留にすることはできますが、そのコメントの中身に手を加えることは一切、できません。
 正しい仕組みだと考えます。

 したがって、コメントの中にメールアドレスがあっても、そこだけ削ることはできません。まずい場合は、上記の通り、「私のコメントの公開を取り消してください」と連絡をください。
 また、「公開の場合は匿名で」と書かれているかたがたが、たくさんいらっしゃるのですが、名前の欄を修正することも不可能なのです。だからこうしたコメントは、公開そのものが一切できません。
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