On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2011-03-28 07:36:31

国難をどう生きるか

▼国難のとき、ぼくはいつも、胸の奥で幕末の志士たちの声を聴く。
 幕末期は、日本という国家の青春だ。
 日本のたとえばミュージシャンは「青春が終わった」とよく歌うけれど、15歳のぼくが幕末の志士たちの生きかたを、とても身近に感じた、それは今もなお、まったく変わらない。なにも終わっていない。終わる気配すらない。


 幕末といえば、ぼくはきっと吉田松陰師をいちばん好きなのだろうという書き込みやメールを、よくいただく。
 吉田松陰師は、死ぬほどたいせつな存在です。すぐれた師であったことだけじゃなく、みずから行動するひとであったから。

 そのうえで、感情として、あるいはごくごく個人的にいちばん好きなのは、坂本龍馬さんは別格として、高杉晋作さんです。
 めちゃらくちゃらに遊びほうけながら、いざとなれば、「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや」と伊藤博文公が評したように、鬼神も避けるような烈火の行動をとった。
(※まことに蛇足ながら、駭然がいぜん、とはびっくりしてしまうこと。東行とうこう、とは晋作さんの雅号)

 ぼくはほんとうは、遊びこそ人生だ、と思っているから、この晋作さんが大好きです。


▼そして、志士たちの声を胸中、聴くとき、いちばん頻繁に浮かぶ名前は、実は、久坂玄瑞と池内蔵太(いけ・くらた)のおふたりです。
 松陰師は29歳で処刑され、龍馬さんは31歳で暗殺され、晋作さんは27歳で無理と無茶がたたって病没しました。
 みな、あまりに若いけれど、さらに久坂玄瑞さんは24歳のとき戦いのさなかに自決、池内蔵太さんは25歳で亀山社中の一員として日本海軍創設に努めつつ海難死しました。(年齢はいずれも、現代の満年齢に換算)

 久坂玄瑞さんは、吉田松陰師に、池内蔵太さんは、龍馬さんに、それぞれ無茶を止められつつ、あまり聞きませんでした。早い死は、その結果でもありました。

 ぼくも惜しいとは思うけれど、ほんとうは、惜しいとは思わない。
 ふたりとも、いささかの悔いもないだろうと、ありありと感じるからです。


▼徹底的に遊んだのは、龍馬さんも晋作さんと同じです。
 一切の悔いがないだろうと感じられるのは、松陰師も、龍馬さん晋作さんもみな、同じです。

 国難をどう生きるか。
 すみません、きょうは、みなさんに提案しているのじゃない。
 ぼくの身勝手な念願としては、一死一命、いっしいちみょう、一つの命だけがあるのじゃ無くて、一つの死があって初めてほんとうに生きている、という生きざまを貫きたい。


▼ぼくは、ひとの生きかたには、決して干渉しない。
 その意味でも、今日は、みなさんへの提案では、まったくありません。

 しかし国会議員をはじめ、みなに責務を委託されることを、みずから選んだ人たちは別だ。
 保身は許さない。
 

 



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