On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2013-05-04 02:09:18

いつも悔いなき旅路を



▼「たかじんnoマネー」というテレビ番組に今後は参加しないことを、ちらりと述べただけで、凄まじい数のコメントが集まって、ある程度は予想していたけど、それをはるかに上回っています。
 しかも、嫌がらせなどはほとんど無く、真剣に考えていることが真っ直ぐに伝わってくるコメントが大半です。

 みんな、テレビにまだ関心を持っているんだなぁと、正直それがいちばん印象的です。
 こんな地味な個人ブログを読んでいるテレビマン&テレビウーマンもいらしゃるらしいけど、『やり甲斐、そして責任を感じてくださいね』と、これらコメントに目を通しながら、そして明らかな中傷コメントはパスしながら、思わず胸のうちで呟きました。

 みなさんが、さまざまに背景、理由を考えられた意見と感想は、これは当たっているだろうなぁ、というものから、それはさすがに違いますよ、というものまであります。(したがって公表しません。一括で非公表にします)

 ただ、番組参加者を決めるのは、まったくもってテレビ局の自由裁量なので、ぼくは、先のエントリーに書いたとおり、そのまま、ありのままに諒承しています。
 いつも現場でテレビ局のひとびとに申しているとおり、ぼくはタレントでも職業的コメンテーター(すなわちテレビなどでのコメントを食い扶持になさっているかたがた)でもありませぬ。
 あるのは、「伝えるべきを伝えて、死す」という基本だけです。


▼4月末に、その「たかじんnoマネー」からスタッフふたりが「わけを話したい」とお見えになりました。
 ぼく自身は、上記の通り、テレビ局がその本来の裁量権で決めたことなので、わけを聞かねばならないことじゃないと、いったん面会をお断りしたのです。
 しかし、独研(独立総合研究所)の総務部長代理をいま、兼務している(自然科学部長という本来のポストとの兼務)青山千春博士が「社長、会った方がいいと思います」という意見を述べたこともあり、短時間ながらお会いしました。

 青山千春博士の代わりに、総務部・秘書室第2課(同行担当)のYO秘書が同席しました。
 そして24歳の彼女がいちばん「社長、びっくりしました」とあとで語ったのは、訪ねてこられたスタッフのうち、女性が涙を浮かべていたことです。
 もちろん、ぼくも内心で驚きました。しかし理由は聞きません。男女に限らず、涙のわけを聞いたりしませんよ。
 今も理由は分かりません。なぜでしょぅね。日本女性で史上初めて、大型船の船長の資格をとった船乗りである青山千春博士は、ただひとことだけ、「悔しかったんでしょ」と言いました。
 うーむ。
 確かに、このワンコ好きの女性ディレクターは、いつも全力で番組に取り組んでいましたが、番組そのものが終わるのではなくて逆にゴールデン・アワーに進出するのですから、この青山千春博士の、いつも通りの簡潔な解釈が当たっているのかどうかは、正直、ぼくには分かりませぬ。
 ただ、真剣に生きて仕事しているんだなぁということは、伝わりました。


▼さて、このスタッフふたりと4月末にお会いしたとき、円い人柄の男性スタッフから、これも驚いてしまうほど率直に、理由の説明、事実の開陳がありました。
 その中身は、申しません。
 いつも、記者時代から、情報源を永遠に秘匿して、たとえ拷問されても言わないと同じく、この件も申しません。

「内密に」とか、「ここだけの話に」とか、「公表しないでください」とか、「ブログに書かないでください」とか、このふたりは一切、言わなかった。
 したがって、言わない、明かさないというのは、あくまでも、ぼくひとりの自由意志による判断です。

 中韓など外部の圧力によるものではないという説明があったことだけは、フェアネス(公平さ)のために、記しておきます。


▼ところで、寄せられた超多数のコメントのなかに、4月24日放送の「水曜アンカー」(関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」の水曜版)を視て、「青山さんはアンカーも降りてしまうのではないかと心配になった」という主旨のものが沢山ありました。
 それは、ありません。

 みなさんが心配なさったのは、ストレートニュースのなかで(すなわち、「青山のニュースDEズバリ」のコーナーではなく)、「靖国参拝をめぐって中韓が反発し日本が孤立する懸念も」という主旨のVTRが流れたあと、ぼくが「それは事実と違う」と指摘し、ヤマヒロさん(山本浩之アナ)が「VTRの編集権は関西テレビにあります」という主旨を指摘された場面です。

 ぼくはむしろ、さすがにヤマヒロさんだと思いました。
 実際に、番組が終わった直後に、ヤマヒロさんにそう申しました。
 なぜなら、あの発言があってこそ、バランスが取れるからです。
 ぼくの発言は一字一句も修正しませんし、ヤマヒロさんの指摘も、あれでいいと考えます。
 ヤマヒロさんは最近に関西テレビを辞されて、いまフリーになられていますが、そうしたことにも左右されずフェアに発言されたと考えています。


▼いま実は、機中で、これを書いています。日本時間で5月3日金曜の夜です。
 足の下は、マニラ北方の海上です。
 あと2時間ほどで、ホーチミン市(旧サイゴン)に着きます。ベトナムへの出張の途上です。

 数日で東京に戻ると、そのまま大阪に出張し、近畿大学経済学部で国際関係論の授業を2コマ、連続で3時間ほどおこなって、そのあと、いつものように関西テレビに行きます。 関テレの報道部と、「水曜アンカー」のための議論をして、8日の水曜には、これもいつものように、その水曜アンカーの生放送に参加します。
 ついでに言えば、8日水曜は、放送のあと大阪市内で日本青年会議所主催によって開かれる「憲法タウンミーティング」に参加し、翌9日木曜には、朝、日本版NSC(国家安全保障会議)をめぐって政府側と議論したあと、独研が会員に配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の「懇話会」を4時間、開きます。
 これはTCR会員から直接、質問を受ける会です。
 そして、東京・有楽町でニッポン放送のラジオ報道番組「ザ・ボイス」の生放送に参加したあと、首相官邸に向かい、日本版NSC創立の有識者会議に参加し、翌10日金曜に、インド出張に出発します。
 インドから戻ってくると、「水曜アンカー」や「ザ・ボイス」に再び、いつも通りに参加します。そのあと、国内であちこち出張しますが、18日の土曜には、サイン会ですね。
 サイン会の日程は、先に書いたエントリーを見てください。

 いずれにしても、つまりは、アンカーへの心配は要りません。

 すべてのひとの旅路に、幸いがありますように。
 いま飛んでいる眼下の暗い海は、たった60数年前の先輩の日本国民が、ただ一度きりの命を、後世のわたしたちのために捧げられた海です。

 そして、やがて着陸する大地は、1975年に、アメリカが建国以来、初めての敗戦を喫するまでベトナムとアメリカの夥(おびただ)しい命が奪われた地です。
 ぼくのよく知るベトナムは、北の首都、ハノイです。政治と外交の地です。
 今回は、商業の地の旧サイゴン、現ホーチミン市で、フランス(旧宗主国)にもアメリカにも中国に屈せず、すべて戦争で勝って、たくましく生きてきたベトナム人の民の力を知る旅になると思います。
  • 前の記事へ
  • 記事の一覧へ
  • 次の記事へ
  • ページのトップへ
  • ページのトップへ