On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2013-07-10 08:51:47

魂は共にある



▼きのう2013年7月9日火曜、この地味な個人ブログに、ふだんの何十倍もの凄まじい数のコメントを頂きました。
 そのすべてが、きのう午前に逝去された、ひとりの国士、男のなかの男、吉田昌郎さんを深く悼むコメントでした。

 ぼくはこの日、大阪にいて、午後6時過ぎ、近畿大学経済学部で国際関係論の講義をふたコマ終えました。
 すると、いつものように同行している独研(独立総合研究所)総務部秘書室第2課のYO秘書が教室で、「社長、別件の急ぎの連絡があります」と言い、見ると彼女の顔がいつもと違います。
 そして、福島第一原発の闘う所長だった吉田さんの死を知らされました。
 思わず、解散していく学生諸君に、その訃報を、声を張って知らせてしまいました。
 たまたま、この日の講義で、福島第一原発の構内で見た、日本人の心意気の話をしていたからです。


▼この地味ブログをわざわざ訪ねてくださるかたには、周知のことだと思いますが、ぼくは2011年の4月22日金曜に、作業員以外では初めて、福島第一原発の構内に入りました。
 そして、そこで古い家庭用ビデオカメラで撮った映像を、すべて無償で、日本国内と海外のテレビ局に提供し、日本国民と世界のひとびとに現場を見てもらいました。
 それは福島第一原発への出入りを許可する権限、構内を管理する権限と責任を持つ吉田昌郎所長が、ぼくに正式な入構許可と撮影および映像公開の許可をを出してくれたからでした。

 吉田さんは、そののち食道癌で闘病生活に入られましたが、そのさなか2012年2月5日にくださったEメールのなかで、こう、おっしゃいました。
「癌のステージは3ですが、食道を切除するとなるとなかなか大手術になりますので、万が一のことも考えこれまでの青山様のご支援や温かいお言葉に感謝の意を示すためメールさせて頂きました。あの戦場のような最前線に青山様自らきていただきテレビで状況を報告して頂いたことが現場の環境の改善や国民の皆さんの意識の変化につながったことはいうまでもありません。そしてテレビで発信して頂いたお言葉が、今の平和ボケした学者や評論家にカツを入れて頂いたものと思っております。(当の平和ボケ者たちは自覚してないでしょうが…)」(原文のまま、ただし長文メールの一部)


▼吉田さんにも、東電本店の原子力施設管理部長の時代に津波のリスクを軽視した責任があり、それを含めて、人生のすべてを捧げて、事故の収束と福島、東北の復興、人々の生活の回復に取り組まれていました。
 上記のメールでも、「万が一のこと」をすでに覚悟なさりつつ、メールの後半では現場への復帰の強い意志を、何度も示されていました。

 福島第一原発の構内の実状を、ぼくが非力なりに国民に伝えているとき、当時の菅政権がぼくを逮捕させようとしました。すると、許可を出した吉田さんだけではなく、日本の官僚機構のなかにもいる良心派が、驚くほど強く抵抗し、菅政権の狙いは不発に終わりました。
 吉田さんは、相手によって姿勢、態度を変えることなく、いつでもどこでも、国士でありました。


▼みなさん、沢山の、深い思いのコメントをありがとう。
 きのうはやはり、このエントリーをアップする心境になれませんでした。
 深夜に、独研(独立総合研究所)から配信しているレポートの会員へ、責任上、吉田さんの訃報をめぐる速報を配信するのが、精一杯でした。

 しかし、夜が明けて今、あらためて感じるのです。
 吉田さんは、死してなお、魂魄、世にとどまりて、福島県民と共にあります。
 そして、ぼくや、みなさんと共にあります。

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