On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-07-24 11:15:17
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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日本政府のやることは遅い。では、どうするか。

▼選挙があったのは、4年前の7月10日でした。
 そこで新しい任務が決まって、きょうで、数えてみれば1474日、ざっと1500日ですね。
 ぼくは人生の新人として国会に出たのではありません。
 ひとりだけ丸腰で兵士とともに戦地を歩いたことを含め、わずかながら人間の現実をみたうえで、白亜の国会議事堂に入りました。
 
 その視点で生きて働いた1500日には、1500日分の所感があります。
 それを今朝、このブログに記そうかと思いましたが、すこし寝かせます。熟成させて、鎮めて、感情過多になっていないかを確かめて、それからアップします。

▼とりあえず申せることをすこしだけ書いておくと、現場というものの重み、当事者になることの重みをあらためて痛感しています。
 いま生きているのと同じ国会議事堂や総理官邸、自由民主党本部の内部では、政治記者として10年、働きました。
 主権者が政治を選択するための情報を、じかにその主権者に伝えるという、あまりに重大な任務です。
 ですから記事になるならないではなく、事実を知るためにこそ、どれほど命を削ってでも、歩きに歩いたのです。

 ところが議員という当事者になると、根こそぎ、違いました。
 そこから得た情報は、いずれ主権者に凡 ( すべ ) て、還元せねばなりません。ぼくはプロの書き手でもあるから、余計にそうですね。

▼たとえば、この日常生活で、はらわたが出たり、腕や足が千切れているひとが、そこに居たり、場合によっては信じがたいことにそのまま歩いていたり ( 休日の朝から凄惨なことを言って申し訳なく思いますが ) そんなことがあったら、どうでしょうか。
 ぼくを含めて仰天しますよね。

 ところが、前述した戦地では、ふつうの光景です。
 ふつうというのは、やや大袈裟ですが、特別な光景ではないのは冷厳な真実です。
 人間は、これは誰でもご承知のように、なにかが一身に起きたときにしばらく自覚ができなかったりします。大きな怪我をしたら、しばらくは痛みも何も感じないことがある、それですね。
 だから、内臓が腹の裂け目から出ている人間、腕が途中から無くなった人が、もちろんわずかな歩数ですが、ふつうの表情で歩いたりします。

 ぼくが用も無いのに、ただ現場を見るべきという気持ちだけで入った戦地は、イラク、パレスティナなどですが、いずれも戦闘が最も激しかった時ではなく、残滓の戦闘というべき時期でしたが、それでも日常には絶対にあり得ない光景と体験ばかりでした。 ( 残滓の戦闘は部分的には逆に激しかったりします )
 これを、日常生活とまったく同じ人間が生きているのが戦場です。

 これに似ているほど「現場に入ると世界が違って見える」ということを、このおよそ1500日の日々、ほんとうに日々、平日も休日も、国会の開会中も閉会中も関係なく、体験し続けています。

▼そして、そのほとんどが水面下の交渉です。
 たとえば、海外の同胞への一律10万円給付にしても、このブログで話題にすることが多いですが、具体的な交渉はほぼ伏せています。
 数字で表せば、99.90%はまだ伏せていると言うべき実態です。

 なぜ、そうするか。
 ここでも「脱私即的」 ( だっしそくてき ) という、おのれが作っておのれに課している命題があります。
 わたくしを脱して、ほんらいの目的に即 ( つ ) く。
 ほんらいの目的とは、祖国と主権者のためになる。それだけです。
 したがって、途中経過を漏らして、交渉を駄目にするリスクは絶対に冒しませんし、もしも交渉が実ったら、その時は手柄は他者のものです。
 ぼくのケースは、自由民主党の創立から65年の長い歴史で、おそらくは初めてのケースです。なぜなら、当選回数も役職も関係なく、水面下では内閣総理大臣からおひとりの新人議員に至るまで自由に交渉しているからです。
 水面下以外では、謙虚であることに徹します。そうでないと、人は話を聴きません。それ以前に、人としての基本です。当選回数が1回しかない議員、ほとんど何の役職もない議員であることを忘れることはありません。
 このことについても「当選回数なんか関係ない。何を言ってる。そんなもんは関係なく働け」というコメントがよく来るのですが、あなたさまの誤解ではありありませんか ?
 そのうえで、水面下では、築いてきた信頼関係に基づいて、徹底的に自在に、当選回数などの制約を一切受けずに行動しています。

 上記の記者経験からしても、こんなことはこれまであり得なかったと客観的に考えています。
 記者時代、かなりの水面下交渉を知っていました。

▼そのうえで、海外の同胞への特別定額給付金の支給について、ひとつだけ申しておきます。
 日本国民をひとりも区別しない、取り残さないためにこそ、動いているのです。
 たとえば国内の給付についても、実は取り残しが起きています。4月27日の時点で住民基本台帳に記載されていることが条件になっていますが、さまざまな事情で記載されていない国民がいます。記載されていても、受取ができない国民もいます。さらに、世帯別の給付にしたのは、安倍政権の大きな間違いのひとつです。これで受け取れなくなった国民もいます。家庭の事情を抱えるひとは、決して少なくないのです。

 極めて残念ながら、ぼくも24時間しかありません。
 特に国内の政治家、官僚、経済人らと交渉できるのは、健全な常識からして、朝はどんなに早くても、午前6時以降です。夜は、午前零時までです。
 特に地位の高いひとびとに対しては、国民や企業内から選ばれてその地位にいらっしゃるのですから、よほど特別な事情のない限りは、もっと時間帯を狭く考えて、午前7時から午後10時までを、勝手に決めた基準ですが、交渉の時間帯としています。
 ( 国内で交渉できないこの時間帯を、時差のある海外との議論、交渉に充てたり、たとえば今ですと小説原稿の仕上げに充てたりするのです。睡眠は当然、非常に絞られます。これもおよそ1500日、ずっとそうです。しかしみなさんと「寝る」と約束したので、完全徹夜だけは最近、しないようにしています )

 そして沢山の未解決の懸案が同時進行します。
 日本の政府は、ほんとうに、ほんとうに仕事が遅いです。こないだも、その政府で厚労大臣を務められた旧知の塩崎恭久代議士とふと、「何もかも遅いよね」と話したばかりです。
 わっと叫びそうになるぐらいに、遅いのですが、評論家やコメンテーターではないので「遅い」と批判していても始まりません。
 これに耐えて交渉し、その交渉によってこそ、すこしでも政府の決断や行動が早くなるように実務を通じて促しています。
 だから、国内給付の不公平を知りつつ、まず大きな不公平であるところの「海外にいるという理由だけで日本国民に支給しない」という問題と向き合っています
 国内給付の不公平も、その当事者である国民にとっては、まさしく巨大な問題です。それが分かりますから、正直、苦しいです。ぼくが万能の未来型AIでないこと、能力以前に時間と命に限りがあることが、ほんとうに心苦しくて、4年間、ずっとこゝろ安らぐことが1日もありません。

 したがって、海外の同胞をさらに切り分けることをしないことがいちばん、最優先です。
 それでもパスポートをお持ちでなかったりするかただけは、本人確認がすぐにできませんから、次の段階になります。これも心苦しいことそのものですが、やむを得ません。「本人確認が複雑です」・・・このような言い分を官僚が「できません」と言う理由にしてきたこと、政治家もそれに唯々諾々と従ってきたことを、まずは打ち破らねばなりません。。
 官僚、行政官にとっては、事態は複雑なのですが、複雑ではありません。
 できるところから一歩づつやる、それに徹するのです。人間において、社会性の高い仕事については、これが鉄則です。




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