On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-08-12 18:55:18
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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弱者には、無条件の味方が必要です (書き加え、推敲しました)

 平成28年、参議院議員選挙がおこなわれた4年前の夏は、南仏のニースで花火を楽しんだ人々の群れにテロリストの大型トラックが突入し子どもたちを含めた80人以上が犠牲となったり、あまりにも重大な、そして手口がこれまでとは異なったテロリズムの夏でした。
 ことしの夏は、中国による感染症と領土危機の夏です。

 この4年のあいだ、覚悟を決めて国会議員になったために新たに分かったことが、蓄積しています。
 政治記者だった10年間は、「日本の国会議員がほんとうは何をしているか」を摑み、主権者へ伝えるのが本分のひとつでしたから、そのことにも日々、力を尽くしているつもりでした。
 しかし当事者になってみると、記者として傍から見ているのと、やはりまるで違います。

 たとえば、海外の同胞への武漢熱をめぐる支援について、このブログでなにかを記すと、「そんなことばっかりやらずに、これをやれ」という趣旨のコメントが来ます。
 すべての課題、難題に同時進行で取り組んでいると、記しても記しても、同じです。その人にとっての関心事をブログに書いていない時期があると、このようになります。

 一方で、海外の同胞への支援について、このブログでしばらく記さないでいると、「どうなっている。早くしなさい」という趣旨のコメントが来ます。
 お盆になると官庁も、緊急事態に即応するところ以外はかなりの部分の動きが止まります。行政官、官僚といえどもみな家族、親戚があり、日本社会の慣習のなかにあります。
 しかし、このかたの関心事によっては、それは関係がなくなります。

 誤解しないでください。
 いずれも、ぼくは理解します。
 ひとはむしろ、こうあるべきなのです。
 逆説ではありません。
 ふつうに働き生活していれば、自分の関心事に集中した方が、ありとあらゆる難題に関心を持つより、ずっと合理的でしょう。そうでないと身が持ちません。
 ぼく自身だって、人のおやりになることについては似たようなことになっているかも知れないと考えることも、大切です。
 だから本音として、理解しています。

 そのうえで、ぼくが常々「異業種のひとよ、出でよ」と申している以上は、この現実も明らかにしておきます。
 上述のようなことに心身が耐えられないひと、『どうしろって言うんだ』と感じるひとは、決して国会議員になってはいけません。
 途中で投げ出すことになるからです。
 国会の議員とは、もしも旧来の利害関係に奉仕することをやめて祖国全体のためにやる気があるのなら、あればあるほど、こういう日々を送ることになる立場です。

 そして、こっかいぎいんとは、弱者の味方のことです。
 海外のはらからは、声が上げにくい。届きにくい。ならば、どなたがどう仰ろうと、ほかの課題と同様に取り組みます。
 評価されるためにやっているのじゃない。だからただ淡々と、続ければよいのです。





 
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