On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-09-05 03:55:55
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (0)

国家観と歴史観、そして「読まれず、見られず、聴かれず」をありのままに受容することについて  (タイトルと小見出しをいささか変えました)

▼新しい動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の最新放送がアップされています。
 もう第23回放送となりました。
 テーマは自由民主党の総裁選。井上ディレクター ( チャンネル桜 ) は「青山は誰に投票するのか」というエキサイティングな ? なコピーを付けていますね。わはは。

 この新しい放送だけをご覧になるなら、ここです。
 動画はすべて、いつまでも無料です。全体はここです。

▼ところで、現在の日本社会で発信すると、いや発信すればするほど、ふたつのことが付いてきます。

▽ひとつ、必ず、誤解、曲解を生む。

 敗戦後日本のもっとも根本的な宿痾 ( しゅくあ。長いこと治らない、深い原因のある病 ) は、国家観と歴史観の喪失です。
 思えば、社会人になってからずっと、すなわち26歳で新人の事件記者になってからずっと、これに抗 ( あらが ) い続けてきました。
 学生時代から、それを考えていたからです。
 そして今、国会議員になっても、すべての仕事を通じて、すなわち国会質問でも、部会での発言でも、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) 代表としての行動でも、根本には「国家観、歴史観の再建」という目標があります。
 したがって、今回アップした上記の第23回放送でも、総裁選の候補に国家観、歴史観が無いこと、それが普通のことになっていることの問題を、できるだけ多角的な表現を試みて指摘しています。
 すると「国家観、歴史観が無いことがふつうだと青山が言っているのはおかしい」と、話が逆に受け止められることがあります。

 ただし、まさしく誤解なきよう。
 発信を受け取られる側について、何かを求めているのではありません。
 全くありません。
 ぼくのもともとの職は物書きであり、発信が仕事です。ですから、ぼくの発信は、文章はもちろん、文章でなくて動画でも講演でも何でもプロフェッショナルな責任を負わねばなりません。誤解も曲解も最終的には、こちらの責任で生じることです。

 同時に、いかなる誤解や曲解も生まれないように発信しようとすると、当然、話が回りくどくなり、ひとつひとつを細部まで説明し直そうとして、どんどん発信の質が下がります。
 保身を図りつつの発信に堕してしまいます。

 だから、誤解や曲解を減らす一定の努力はしつつ、しかし一方で、ある程度の誤解や曲解が生じることをあらかじめ覚悟して、もっとも大切なこと、すなわち発信が自由自在であり、本音であり、ということを喪わないように、いつも最善のバランスを求めていくことだと考えています。

▽もうひとつ、ブログは読まれない、動画は見られない、本は読まれません。

 これだけ発信の種類が多様だと、多様であればあるほど、発信を受け取るかたがたは、そのライフスタイルや都合に合わせて、発信の一部だけを切り取ってアクセスをされ、発信の全体を見てくださるのは少数となり、多くのひとは全体をご覧になりません。
 つまり、ブログは読まれない、動画は見られない、本は読まれない、こう思うべきです。

 たとえば護る会の総会後の記者会見をありのままに、そのままアップした動画も「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」にはあります。
 デスクが求めてくるとあらかじめ分かっている見出しを取ろうと、事実関係とは違う質問を重ねる記者に対峙する場面があると、その動画は見ずに、生活の都合に合わせて音だけを聴く人もいらして、「なぜ青山さんが怒っているのか分からない。怒るのはおかしい」となります。
 ぼくが厳しく接したのは事実ですが、その理由を丁寧にブログで記しても、それは届きません。
(この記者ご本人は、ブログを読んで非常に良く理解してくれ、感激も記してくれたメッセージが届きました)

 しかし、これも、ぼく自身が発信を多様に行っていることにむしろ原因があります。前述のように、多様であればあるほど、忙しい現代のひとびとは、全体を見て判断などなさってはくれません。

 ブログは読まれない、動画も、音を消して絵だけを見るひとも居れば、絵を見ずにイヤフォン、ヘッドフォンで音だけを聴くひとも居る、そしておカネと手間の掛かる本、書籍というものは、ほんのすこしの方しか読まない。
 この現実を受け止めて、淡々と発信を続けるしかありません。

 凡 ( すべ ) てを、おのれで受け止めます。

▼それにしても、生きにくい世の中ではあります。
 安倍さんを含め実は患者さんのたいへんに多い潰瘍性大腸炎にしても、この生きにくさと関係があるのではないでしょうか。

 ぼくとしては、この命が続く限りは、その生きにくさがみんなにもたらす不安と、対峙します。
 そのために対話もあります。対話のために独立講演会も開いています。




 
  • 前の記事へ
  • 記事の一覧へ
  • 次の記事へ
  • ページのトップへ

 

コメントは原則非公開です。それをご理解のうえ、投稿してください

名前
タイトル
メールアドレス
コメント
認証入力
画像認証 CAPTCHA Image 画像変更

※入力欄はすべて必須です。
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。

もう一度、コメントがすべて「原則非公開」であることを確認され、投稿ボタンを押してください。

  • ページのトップへ