On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-02-05 04:45:17
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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( タイプミスを訂正しました。主席→出席 ) 日本政府が中国、それに中国に追随する韓国に、これほど弱いことがアジアと世界を不安定にする

 みなさん、おはようございます。
 きのう、政府がこの国会に上程を予定している「プラスチックを資源循環させる法案」 ( 正式な名称は、プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律案 ) をめぐるエントリーで、部会でのぼくの発言のポイントをなるべく記したいと、書きました。
 その後も頭がくらくらするような多忙にて、とても書けませんでした。
 一方で、夜の中心の時間帯は寝るというみなさんとの約束も、どうにかこうにか曲がりなりにも実行します。

 きょうも、いつもの時間、午前4時に起きました。
 すぐ、主として時差のある海外、すなわち先方は午後2時だったりする相手との情報交換と議論を始めました。
 それをいったん停止して、きのうのエントリーでの約束、つまり上述した「発言のポイントの列挙」を果たしておきます。

▼きのう2月4日木曜に開かれた、「経産部会、環境部会、それに環境・温暖化対策調査会の合同会議」でのぼくの発言のポイントを簡潔に記すと、以下の通りです。

▽海洋資源調査の経験から、海がプラスチックゴミで水も海底も魚もみな、深刻な被害を受けていることを実感してきました。

▽したがって、プラスチックゴミをどうにかすることの意義、そのための新法制定の意義は深く認めます。

▽しかし実際の海の現場では、ハングルや中国語の記載されたプラスチックゴミの破片を非常に多く目撃します。
 また日本海の島で、海岸線に打ちあげられるプラスチックをはじめとするゴミを拾う住民運動に参加してみると、その多くがやはりハングルや中国語のあるゴミです。
 実際に、 ( 民間専門家の時代に ) 韓国と中国に行った際、政府当局者に問うたこともありますが、まともな答えはありませんでした。
 この現実をそのままにして、この法律で日本だけ努力しても、海は甦らない。
 国内法とはいえ、国際社会との連携なども盛り込む予定なのだから、中韓が日本海、東シナ海を傷つけている実態にも対峙する規定が必要です。

▼これに対する政府側の答えは「青山議員の指摘は重要だ。法が成立したら、中国や韓国にもしっかりと説明していきたい」というものでした。
 説明 ?
 ゴセツメイ ?

 それは違うでしょう。
 なんで日本が説明しなければならないのですか。
 最低でも、「強く要請」、ほんとうは要求という言葉は使わずとも「求める」ことが不可欠です。

▼なぜ、日本政府はこのように悉 ( ことごと ) く、中国と韓国に弱い姿勢なのでしょうか。
 その淵源は、第二次世界大戦をめぐる歴史観の偏りにあります。
 わたしたちは、敗戦後日本の奇怪なことどもの淵源に、安倍政権時代を含めて、真正面から対峙してきませんでした。たとえば日本の子どもたちへの歴史教育も、根本的にはちっとも変わっていません。
 ぼく自身、政府を批判するだけではまったく足りません。民間専門家の時代から、この淵源を一緒に考えましょうと長いあいだ、提唱し続け、やむを得ず議員となっている今も、変わっていません。
 しかし努力が足りません。

 みなさん、たとえば国会の「密」、なぜオンラインを導入できないのかということを最近、オールドメディアが盛んに問題にしていますね。
 野党の著名な政治家も、これに同調する発言を強めています。
 しかしオンラインを導入できない淵源は、日本国憲法の規定にあります。
 この憲法の問題には、オールドメディアもや党も絶対に触れません。
 法の問題に触れることがあっても、それは必ず、国会法どまりです。
 改憲のきっかけにしたくないからではないでしょうか。
 そうであれば、こんなにずるい話はありません。

 このこと、あらためて別エントリーで、近いうちに記します。

▼きょう2月5日金曜も、連日のように開かれる国防部会や外交部会を含め、公務日程、ただし義務ではなく、出席も取られず、あくまで自由意志で参加する公務日程が詰まっています。
 その準備に入ります。
 ぼくは部会に参加する前に、ほとんどの場合、準備します。
 前述のように、国会議員にとって委員会や本会議は出席もとる神聖な義務ですが、党の部会は、ただの自由参加です。しかし、ほぼすべての部会で発言しますから、責任ある発言にするために準備します。

 きょうの金曜日、そして来週の火曜日に、どうにかスキマ時間を狙って、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の収録も引き続き、実行します。

▼書こうかどうしようか迷いましたが、正直、このなかで拙著を次々に刊行できているのは、嘘みたいです。
 編集者のみなさんの励ましと熱い期待がなければ、決して、できませんでした。
 かつて、ぼくの本はよく読まれました。
 しかし、その編集者のみなさんの予言通り、いまは「政治家の書いた本などは読まない」という日本社会の現実にも直面しています。
 ぼくは確かにいま、議員です。
 ただ、旧来型の日本の政治家にはならないと決心して選挙に臨みました。ですから選挙戦も、旧来のやり方とはまったく違いました。
 自由民主党の本部が派遣してきた『選挙アドバイザー』は恐縮至極ながらお引き取りを願いました。
 団体による支持は既得権益に繋がると考え、自由民主党本部の強い要請があっても、すべてお断りしました。ただ遊説だけで何の裏支持もなく、主権者と直に対話するだけということを貫きました。
 国会に出ても、何も姿勢を変えることなく5年目を迎えています。
 どんなに苦しくても、どこからも誰からも政治献金を1円も受け取らず、政治家が必ず開く政治資金集めパーティも一切開かず、当選後も団体支持は全部、お断りし、ポスターも作らず、後援会も作らず、後援会長も置かず、とにかく旧来の政治家とは違う道を、他人は批判することなくあくまでもおのれの心身を費やしての新しいテストケースとして、一本道を歩いています。
 それでも「政治家の本なんか読まない」という固定観念で見られることが多いというのは、いわば社会の「当たり前」です。どうこう言っても始まりません。
 ただ、ひとりの物書きとして、こゝろの哀しみは若干あります。
 しかし若干の感情なんぞ、子どもの頃から続けてきた「原稿を書く」という、ぼくの本能を止めることはできません。
 そうやって、いまのぼくにとってもっとも大切なトリオ、「いま救国 超経済外交の戦闘力」「きみの大逆転」のノンフィクション新書2冊、そして物語文学の「わたしは灰猫」、この3冊を世に送り出しました。

 可愛い子には旅をさせよ、と言うからナァ。
 いまは、読まれないという荒野をさすらって、ぼくの死後、読まれるべき本はいつか甦って読まれる、それでいいのかな。
 いずれにせよ、天がお決めになることです。ぼくはただ書き続ければいい。






 
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