On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-03-22 04:25:08
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総理総裁と、この考えは違います



 みなさん、おはようございます。
 きのう3月21日の日曜に自由民主党の党大会が開かれました。
 党総裁である菅義偉総理が演説をなさいました。
 そのなかでオールドメディアがあまり報じていない総理発言に、以下の趣旨の言葉がありました。

「まさか自民党大会で総裁として挨拶するとは思ってもいなかった。田舎育ちで農家の長男の私が総理総裁になれる。夢を実現できる。それが自民党と日本の良いところです」 ( 言葉そのままではありません。あくまで趣旨です )

 きのうの菅総理は、言葉に自信と力があり、すこしホッとした自由民主党議員も多かったと思います。
 また、上掲の言葉は、菅総理の発信のなかで特に新しい言葉ではありません。
 そしてぼくは総裁選で菅候補に投票しませんでしたが、民主主義に基づいて総理総裁に決まった以上は、その結果に従います。最大限に尊重します。

 ただ、上掲の言葉に関しては、ぼくの考えは違います。
 違和感とは言いません。違和感という日本語は、忖度と同じく、このごろの日本語の使い方として誤用、気持ちの悪い使われ方が目立ちます。

 ぼくがみなさんと一緒に考えたいのは、菅総理への批判ではなく、「総理総裁になるのは、夢なのか。個人の夢なのでしょうか」ということです。
 総理としては、アメリカン・ドリームならぬジャパニーズ・ドリームを実現したというお気持ちなのかも知れません。
 それは理解します。
 しかし、アメリカで出身地、おうち、学歴などに関係なく大統領になることは「夢」であっても、日本で総理総裁になることは「夢」ではないと考えます。

 真っ先にわたくし心、私心をお捨てになる天皇陛下のもとで、人のために生きるのが、日本の国家理念だと考えているからです。
 日本国の国会議員とは、その理念に立脚し、いざとなれば日本国民のために死ぬこともできる人間のことを言うと、不肖ながらぼくは議員となる前から、議員となった今も変わらず、考えています。
 この一本道を往きます。

 ことの本質は、日本という永年の歴史に立つ国の理念をどう考えるのか、日本が理念を持つのか持たないのかという問題です。


 さぁ、きょうも国会議事堂へ向かいます。
 きょうは、理事を務める経済産業委員会の本格審議が始まります。予算委員会と同時進行です。
 今週は、水曜と木曜に連続で、国会質問に立つ見通しです。直前になりますが、主権者の崇高な権利としての傍聴を募集する予定です。





 
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