2021-10-03 07:42:46
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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総裁選とともに長い夏がやっと終わるなか、いちばん胸に響いたことが甦る
ほんらいなら10月まで夏が残るわけはありません。
ところが、けさの気象予報では、例えばあさって10月5日火曜の東京の予想最高気温は30度ですね。31度の地方もあります。
それでも、やっと夏が終わっていきます。
快適な秋は、このごろの異様な気象のまま短くて、あっという間に冬となるのかも知れません。日本の宝物の四季を取り戻したいと願っています。
▼ことしの夏は、武漢熱の苦しみのなかで東京オリンピックがあり、東京パラリンピックがあり、そして夏の果てに総裁選がありました。
すべてが去ったいま、胸に去来するのは、日本の選手の敢闘です。
これまでのオリンピック選手が誰も体験したことのない、世論の一部からの強い非難という現実に直面しながら、よくぞ戦われました。
この日本選手の姿のほかに、ぼくのなかに今も生きる場面があるのです。
▼それは男子マラソンのゴールです。
大迫選手が6位入賞を果たしたのは、まさしく良き敢闘でした。そのまえの、メダル争いのゴール場面です。
日曜でしたから、この男子マラソンをリアルタイムでご覧になったかたは、少なくなかったのではないでしょうか。
そのかたがたのきっと多くが、そしてぼくも不思議に思ったシーンがありましたよね。
3割もの選手が棄権し、ケニアのキプチョゲ選手が暑さに負けない王者として金メダルを獲得したレースでした。
その最後、烈しい銀メダル争いの終局のことです。
もうひとりのケニアの有力ランナー、チェロノ選手を、オランダのナゲーエ選手が抑えて前へ出ます。
銀メダルを確信する表情になった、次の瞬間、なにやら右腕をヒラヒラさせます。
ぼくは理解できません。
銀メダル争いは、接戦になっていました。ゴールがもう見えている最後の直線で、2位を争って3人が凄まじい接戦を展開しているのです。
そのなかでナゲーエ選手がわずかに抜け出して、さぁ、銀メダルへ一直線だと思ったそのときに、ナゲーエ選手は脚ではなく腕をつかって意味不明の動作です。
目を疑って、ちょっとポカンと見ていました
すると、どうやら後ろのアブディ選手に「おい、ここだよ」とでも言いたげに手招いているのです。
ナゲーエ選手と同じくオランダの選手ならともかく、アブディさんはベルギーの選手です。
何をしているのかと思っている僅かなあいだに、アブディ選手が、ナゲーエ選手の不思議なヒラヒラ、腕の動きに吸い上げられるみたいに3位に浮上しました。
ああ~と思ううちに、強いケニアのチェロノ選手を置き去りにして、ナゲーエ選手が銀メダル、アブディ選手が銅メダルを勝ち取りました。
▼そのあとの記者会見で謎が解けました。
なんとナゲーエさんも、アブディさんも、あのソマリアからの難民だったのです。
悲惨な現実がどこにでも普通に転がっているのが、世界です。
血の匂う戦争も、胸を突く貧困も、あっという間に人が死ぬ感染症の現場も、数々の悲惨の現場を歩いて直視してきましたが、東アフリカにあるソマリアの現実は言葉にできないほどだと聞いていました。 ( ソマリアに入ったことはありません )
そのソマリアから脱してのオランダ、ベルギーだったのです。
銀メダルのナゲーエ選手が「このふたりで、こうやって ( メダリストの晴れ舞台で ) 隣にいられるのは夢みたいです」と話しました。
ぼくは涙せずには居られませんでした。
ふたりは、この東京オリンピックに備えてフランスで合宿をしていたんですね。
開催に異論があって当然でした。しかし、たとえばこのふたりの難民選手を、日本が中止によって裏切ることがなくて、こゝろから、よかったです。
▼その後に知ったのは、ナゲーエ選手は、祖国ソマリアを忘れず、ソマリアのスポーツ振興のために基金を作っていることでした。
また、銅メダルのアブディ選手がソマリアを脱出したのが、わずか8歳のときだったことも知りました。
アフリカからの難民は、幼い子供たちが数多く、地中海から欧州に渡る海に沈んだままです。それを思い浮かべました。
アブディ選手は、親御さんが業者に大金を渡して地中海のボートにいきなり乗るのではなくジブチとエチオピアを経てベルギーに渡ったことが、この銅メダルに繋がったのでしょうか。
それは分かりませんが、東京オリンピックの表彰台の姿からはまったく想像のできない凄絶な困難のあったことは間違いありません。
▼このエントリーにてお話しすることは、これだけです。
余談にもならない雑談なら、あります。
ぼくの胸には、また世界を歩きたいという渇望が、兆 ( きざ ) します。
それは、国会議員を続ける以上は、叶 ( かな ) わぬことです。日本の国会議員には「国会開会中の海外渡航は、原則禁止」という信じがたいルールがあります。
それでも、おのれ自身の選んだ道です。
ぼくの道とは、おのれを顧 ( かえり ) みないことです。ほかのひとには決して、真似してほしくありません。
しかし自然界に仲間を見つけることはできます。
仔を育てる親、そこに自分を顧みない動物はいます。
わしゃ、けものか。
ところが、けさの気象予報では、例えばあさって10月5日火曜の東京の予想最高気温は30度ですね。31度の地方もあります。
それでも、やっと夏が終わっていきます。
快適な秋は、このごろの異様な気象のまま短くて、あっという間に冬となるのかも知れません。日本の宝物の四季を取り戻したいと願っています。
▼ことしの夏は、武漢熱の苦しみのなかで東京オリンピックがあり、東京パラリンピックがあり、そして夏の果てに総裁選がありました。
すべてが去ったいま、胸に去来するのは、日本の選手の敢闘です。
これまでのオリンピック選手が誰も体験したことのない、世論の一部からの強い非難という現実に直面しながら、よくぞ戦われました。
この日本選手の姿のほかに、ぼくのなかに今も生きる場面があるのです。
▼それは男子マラソンのゴールです。
大迫選手が6位入賞を果たしたのは、まさしく良き敢闘でした。そのまえの、メダル争いのゴール場面です。
日曜でしたから、この男子マラソンをリアルタイムでご覧になったかたは、少なくなかったのではないでしょうか。
そのかたがたのきっと多くが、そしてぼくも不思議に思ったシーンがありましたよね。
3割もの選手が棄権し、ケニアのキプチョゲ選手が暑さに負けない王者として金メダルを獲得したレースでした。
その最後、烈しい銀メダル争いの終局のことです。
もうひとりのケニアの有力ランナー、チェロノ選手を、オランダのナゲーエ選手が抑えて前へ出ます。
銀メダルを確信する表情になった、次の瞬間、なにやら右腕をヒラヒラさせます。
ぼくは理解できません。
銀メダル争いは、接戦になっていました。ゴールがもう見えている最後の直線で、2位を争って3人が凄まじい接戦を展開しているのです。
そのなかでナゲーエ選手がわずかに抜け出して、さぁ、銀メダルへ一直線だと思ったそのときに、ナゲーエ選手は脚ではなく腕をつかって意味不明の動作です。
目を疑って、ちょっとポカンと見ていました
すると、どうやら後ろのアブディ選手に「おい、ここだよ」とでも言いたげに手招いているのです。
ナゲーエ選手と同じくオランダの選手ならともかく、アブディさんはベルギーの選手です。
何をしているのかと思っている僅かなあいだに、アブディ選手が、ナゲーエ選手の不思議なヒラヒラ、腕の動きに吸い上げられるみたいに3位に浮上しました。
ああ~と思ううちに、強いケニアのチェロノ選手を置き去りにして、ナゲーエ選手が銀メダル、アブディ選手が銅メダルを勝ち取りました。
▼そのあとの記者会見で謎が解けました。
なんとナゲーエさんも、アブディさんも、あのソマリアからの難民だったのです。
悲惨な現実がどこにでも普通に転がっているのが、世界です。
血の匂う戦争も、胸を突く貧困も、あっという間に人が死ぬ感染症の現場も、数々の悲惨の現場を歩いて直視してきましたが、東アフリカにあるソマリアの現実は言葉にできないほどだと聞いていました。 ( ソマリアに入ったことはありません )
そのソマリアから脱してのオランダ、ベルギーだったのです。
銀メダルのナゲーエ選手が「このふたりで、こうやって ( メダリストの晴れ舞台で ) 隣にいられるのは夢みたいです」と話しました。
ぼくは涙せずには居られませんでした。
ふたりは、この東京オリンピックに備えてフランスで合宿をしていたんですね。
開催に異論があって当然でした。しかし、たとえばこのふたりの難民選手を、日本が中止によって裏切ることがなくて、こゝろから、よかったです。
▼その後に知ったのは、ナゲーエ選手は、祖国ソマリアを忘れず、ソマリアのスポーツ振興のために基金を作っていることでした。
また、銅メダルのアブディ選手がソマリアを脱出したのが、わずか8歳のときだったことも知りました。
アフリカからの難民は、幼い子供たちが数多く、地中海から欧州に渡る海に沈んだままです。それを思い浮かべました。
アブディ選手は、親御さんが業者に大金を渡して地中海のボートにいきなり乗るのではなくジブチとエチオピアを経てベルギーに渡ったことが、この銅メダルに繋がったのでしょうか。
それは分かりませんが、東京オリンピックの表彰台の姿からはまったく想像のできない凄絶な困難のあったことは間違いありません。
▼このエントリーにてお話しすることは、これだけです。
余談にもならない雑談なら、あります。
ぼくの胸には、また世界を歩きたいという渇望が、兆 ( きざ ) します。
それは、国会議員を続ける以上は、叶 ( かな ) わぬことです。日本の国会議員には「国会開会中の海外渡航は、原則禁止」という信じがたいルールがあります。
それでも、おのれ自身の選んだ道です。
ぼくの道とは、おのれを顧 ( かえり ) みないことです。ほかのひとには決して、真似してほしくありません。
しかし自然界に仲間を見つけることはできます。
仔を育てる親、そこに自分を顧みない動物はいます。
わしゃ、けものか。