2021-10-05 07:11:36
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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総裁選シリーズのうち、いちばん話しにくかった最後の1本をゆうべ、アップしています 謎の仏さま付きです
もはや、おのれの総裁選をめぐる経緯などどうでも良いと思うのが、ぼくの本音です。
一方で、ちゃんとケリをつけて話しておくべきです。
そこで、井上ディレクターや三浦麻未公設第一秘書に提案して、4本シリーズの最後のテーマとしました。
ただし、ケリをつけて話しておきます、と言っても、そんな話など世界のどこにも無かったように、すぐ、なるでしょう。
たとえば2期目の選挙に出ざるを得ないということも、もう3か月近く前、7月の14日にアップしたこの動画で、丁寧にお話ししましたが、いまだに「2期目も続けるべきだ」というコメントを、かなり頻繁にいただきます。
その励ましは、とても、とっても、ありがたいです。
一方で、こう思うのです。
いちばんみなさんに話が通じにくい、残りにくい、『誰が何を言ったか』が記憶されない、無かったことになる、それがネットの時代ですね ?
みなさんそれぞれも、同じ体験をされたり、同感だったりしないでしょうか。
これは、まったく無理もないです。
もともと情報過多の時代と言われ続けたそのみんなの頭の上に、インターネットの洪水情報がどっと流れ込んできたのですから。
情報に接しても流し読み、あるいは聞き流しだから、誤認がたやすく生まれる、入ったことはむしろ大切なことほどすぐ抜けて、忘れ去られる。半面で、奇怪な虚偽情報だけがいつまでも再現される。
これが、ぼくらの生きている時代ですね。
それでも、ケリをつけて話しておく、これは人の道です。
大袈裟なことを朝から申しました。
もしも万一、よろしければ、この動画をどうぞ。「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の第223回です。サムネイルは「次の総裁選 天次第」です。
サムネイルの画面を作ってくれている、若い阿久津カメラマンが、たぶん京都の名刹 ( めいさつ ) のお庭にあるちいさな像を入れ込んでくれています。
ははは。どういう意味かなぁ。
事前には何も相談していません。
この童子のような祈りの、ちいさな仏さま。ぼくは宗教記者時代に見た記憶があります。
どこのお寺だったかなぁ。しかしほぼ間違いなく、お堂の中ではなく庭だった気がします。
「宗教記者」というのは、京都と、バチカンにしか無いそうです。ぼくは共同通信京都支局時代に、貴重な体験をいたしました。
話が逸れるので、もうやめます。
こういう実話はすべて、新潮社の女性編集者の志に応えて夜中に書いている新しい本「窒息するな」に盛り込むつもりです。
みなさんの今日の火曜日が、すこしでも良い日でありますように。
一方で、ちゃんとケリをつけて話しておくべきです。
そこで、井上ディレクターや三浦麻未公設第一秘書に提案して、4本シリーズの最後のテーマとしました。
ただし、ケリをつけて話しておきます、と言っても、そんな話など世界のどこにも無かったように、すぐ、なるでしょう。
たとえば2期目の選挙に出ざるを得ないということも、もう3か月近く前、7月の14日にアップしたこの動画で、丁寧にお話ししましたが、いまだに「2期目も続けるべきだ」というコメントを、かなり頻繁にいただきます。
その励ましは、とても、とっても、ありがたいです。
一方で、こう思うのです。
いちばんみなさんに話が通じにくい、残りにくい、『誰が何を言ったか』が記憶されない、無かったことになる、それがネットの時代ですね ?
みなさんそれぞれも、同じ体験をされたり、同感だったりしないでしょうか。
これは、まったく無理もないです。
もともと情報過多の時代と言われ続けたそのみんなの頭の上に、インターネットの洪水情報がどっと流れ込んできたのですから。
情報に接しても流し読み、あるいは聞き流しだから、誤認がたやすく生まれる、入ったことはむしろ大切なことほどすぐ抜けて、忘れ去られる。半面で、奇怪な虚偽情報だけがいつまでも再現される。
これが、ぼくらの生きている時代ですね。
それでも、ケリをつけて話しておく、これは人の道です。
大袈裟なことを朝から申しました。
もしも万一、よろしければ、この動画をどうぞ。「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の第223回です。サムネイルは「次の総裁選 天次第」です。
サムネイルの画面を作ってくれている、若い阿久津カメラマンが、たぶん京都の名刹 ( めいさつ ) のお庭にあるちいさな像を入れ込んでくれています。
ははは。どういう意味かなぁ。
事前には何も相談していません。
この童子のような祈りの、ちいさな仏さま。ぼくは宗教記者時代に見た記憶があります。
どこのお寺だったかなぁ。しかしほぼ間違いなく、お堂の中ではなく庭だった気がします。
「宗教記者」というのは、京都と、バチカンにしか無いそうです。ぼくは共同通信京都支局時代に、貴重な体験をいたしました。
話が逸れるので、もうやめます。
こういう実話はすべて、新潮社の女性編集者の志に応えて夜中に書いている新しい本「窒息するな」に盛り込むつもりです。
みなさんの今日の火曜日が、すこしでも良い日でありますように。