On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-11-03 10:14:31
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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衆院選で27候補を63回の演説で応援する行脚を終えて思うこと  そのひとつを徒然 ( つれづれ ) なるままに


(衆院選が始まった10月19日火曜の朝9時、ぼくは初出馬の初村滝一郎候補のために長崎1区にいました。
 応援遊説の始まりです。「総選挙が始まるとき、みなさんと一緒に考えたいのは、国会議員とは何者かということです。国会議員というのは、人のためには死ねるという存在です」
 こう申しました。
 12日間の応援を終えて、今ひとり想うのも、同じことです。
・・・かつて安倍元総理の政策秘書だった初村さんは、安倍さんによると「あのあと、演説に覚悟が入って、非常によくなった」そうです。次の機会にきっと当選されるでしょう)


▼5年4か月前の参院選にやむを得ず出て、主権者と対話する遊説に出ていたとき、『政治献金抜き、政治資金集めパーティ抜き、派閥抜き、地位抜き、カネ抜き、名前抜きで、にほんのまつりごと ( 政 ) はやれるというテストケースを、国会議員と主権者にお見せして、1期で去る』と考えていました。

 5年4か月が経って、今回の衆院選の応援遊説に出たぼくは、その通り、政治献金ゼロ、政治資金集めパーティもゼロ、完全無派閥、地位無し、カネ無し、メディアの完全無視によって名も無し、すべて実行しています。
 そのうえで、思いがけなく、裸のまま遠くへ来たなぁと考えざるを得ません。

 たとえば、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の結成です。
 どんな志を持っていても、ひとりでは国民のために何もできないのが、世界のどこの国でも政治です。
 そこで、旧来の派閥に替わるものとして、利権は無くカネは動かず地位も配分せず、ただ祖国と国民への志だけで集まる議員集団として、護る会を同志とともに創建しました。

 こんなに大きな会になるとは、想像もしていませんでした。
 想像しないだけではなく、組織として勧誘活動をしたことは一度もありません。
 
 一度、ある護る会幹部に、ぼくが去ったあとの護る会の代表について相談しましたが、「青山さんを喪うと護る会は解散です」と静かに言われました。
 あるいは、今回みごとに当選した鬼木誠・護る会副代表が、2年ほど前でしたか、福岡で多くの主権者を前にした演説の冒頭で「きょう講師でお招きした青山さんが1期で辞めようとしていると聞きました。驚きです。ほかの何よりも重大なことです。議員を続けてもらえませんか」と強く仰いました。
 会場から凄まじい拍手が湧きました。

▼人知れず苦悩したあとに、またしてもやむを得ず、続ける決心をし、公表をしました。
 今も、国会議員、護る会代表、ともに辞めればどれほど自分にはいいかと、身体の奥の奥で、もうひとりのぼくが考えています。
 しかし、そのもうひとりのぼくも決して叫ばず、口には出さず、静かに瞑目して身体の奥で座っています。
 そうです、責任感に優 ( まさ ) るものはありませぬ。
 そのもうひとりのぼくも含めて、全身全霊で、責任を果たそうとしています。

▼今日11月3日の祝祭日、いつもと変わらず自宅で情報収集、原稿執筆に励み、そしていつもに増して他の国会議員からの連絡、比例復活もかなわず落選された前議員も含めて、沢山の電話とメールに応対しています。
 ゆうべは、ある落選議員と協議し、非常に重大な、祖国と地域のための決断で合意しました。
 これはいずれ、公表できる日が来るでしょう。
 この決断の結果は、来年に顕れる予定ですから、みなさんに話せる日が来ると思います。

▼それにしても、このぼくが国会議員で居ると困る人、なぜかほんとうに困るらしい人々が執拗なのには感心します。
 親中派、親北朝鮮派、親韓派のかたがたはもちろん、それとはまったく限りません。
 なんとか1期で辞めさせようと懸命でいらっしゃいます。これは逆に、非常に分かりやすい話ですね。つまり、辞めると誰が喜ぶのかが、火を見るよりありありと分かります。

 そんなことで動かされることは無いので、無駄です。
 ぼくの心身は、鋼 ( はがね ) であると、遊説を終えてあらためて正直、実感しています。

 また、このブログや動画という無条件の公開情報について、信じがたい読み間違い、聞き間違いをなさって、上から目線を含めて、なんやらかんやらを言ってくる人も、あとを絶ちません。
 昔からあることだろうと考えますが、この時代に加速、悪化していることもまた事実でしょう。

 遊説に回っていて、お会いできた人たちが居ます。
 それは、ぼくの「異業種のひとよ、出でよ」という呼びかけに応じて、まず地方議員になってくださっていたり、あるいは国政に挑もうとしている優秀なひとたちです。数は少ないけど、お会いできました。
 このみなさんはどうぞ、こうした妨害に毎日、毎夜、毎朝、必ずあうことも踏まえて、まつりごとに参加してください。
 あらかじめ、覚悟していないと、潰されます。

 最初に駆けだしたぼくは、そのみなさんのために、立場の違いを越えた広範な日本国民のために、絶対に潰されません。
 安心して、共に歩みましょう。
 護ります。
 これは、鬼木副代表への答えでもあります。前述の会合では、ぼくはまだ考え中でしたから、「議員を続けてください」という要請だけには、何も答えませんでした。
 しかし、今は、こうやってお答えしています。

▼前述の仕事をしつつ、いつものようにテレビ画面では映画が進行しています。
 たまたま、キューバ危機を描いた「13デイズ」をやっていますね。CS放送をご覧になっているかたなら、ぼくと同じ画面を見ているひともいらっしゃるでしょう。
 この映画を視るのは、10回は超えているでしょう。
 最初に視たときすでに、外交、安全保障、国家危機管理の専門家でした。
 だからあくまで専門家として考えつつ、視たのでしたが、いま国政の仕事をしながらちらちら視て、映画のなかのケネディ大統領が軍部と交わす米語の烈しい議論を聴くだけでも、決定的に、受け止め方が違うことに、自分でも驚いています。

 関西テレビの「水曜アンカー」や「ぶったま」、テレビ大阪の「たかじんのマネー」に参加している時から、実は評論家では全くなく、ましてや裏で芸能プロダクションと契約しているタレントまがいでもなく、実務だけを遂行する新しいシンクタンクの独立総合研究所の社長 ( 正確には代表取締役社長・兼・首席研究員 ) でした。
 したがって映画「13デイズ」をかつて視ていたときも、評論家ではなく実務者として視ていた、すなわち民の立場から官にも食い込んで仕事をしていたのですが、それでも、現在とはまったく違うのです。

 あえて申せば、責任の重さが違います。
 なぜか。
 ぼくの背後に、みなさんが、日本の主人公のみなさんがいらっしゃるからです。

 みなさんには、今日の祝祭日に安らぎがありますように。
 今日も仕事のひとには、明日の安らぎがありますように。
 こゝろの底から願っています。

「繁晴、自分のためには決して刀を抜くな。人のためには、いつでも抜け」

 わが亡き母、若き日のどんな苦境にあっても武家の娘の誇りを喪わなかった青山喜賜子が、家の中庭で、かつて実戦で使われた刃こぼれの残る刀で紅葉の木の枝を切り落としてしまった幼いぼくを、ひとことも叱らず、縁側からみて言った言葉です。
 寛容な父に比べて、厳しかった母でしたが、印象に残る言葉をたくさん遺していきました。
 父と母の家庭教育が、ぼくのなかに今も生きて死ぬことがありません。
 だから、わが子にも、同じことを心がけました。










 
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