2022-02-16 10:15:25
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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「澄哲録片片」(ちょうてつろく・へんぺん)は、お別れです
戦う論壇誌、月刊Hanadaに連載中のエッセイ「澄哲録片片」は、今月も、掲載されます。
しかし来月号をもって、終了することが決まりました。
誌面を一新されるとのことで「連載は6年も続きましたから、このへんで」と、編集部からお聴きしました。
これまで熱心に読んでくださったかたがた、支えてくれた良心的な編集者、連載を提案してくださった編集長のすべてに、こゝろからの深い感謝を申しあげます。
みなみなさまのおかげで、一句一行に心血を注いで書き続けることがでできました。
このエッセイが始まるとき、考えた末に、澄哲録片片と名付けました。
その意味合いは、もう何度か、書きましたよね。くどくなるので、繰り返しません。
この名のエッセイを書くことは、二度とないと思います。
感慨深いです。
エッセイであれ、書籍であれ、あるいはどんな短文であれ、作家にとっては、わが子と同じであり、そして完成してリリースした瞬間に、ぼくの手を離れて読者おひとりおひとりのものになります。
読んでくださるひとが居なければ、成立しません。
その意味で最後にもう一度、読者のみなさまに、魂からのお礼を申しあげます。
ありがとうございました。
しかし来月号をもって、終了することが決まりました。
誌面を一新されるとのことで「連載は6年も続きましたから、このへんで」と、編集部からお聴きしました。
これまで熱心に読んでくださったかたがた、支えてくれた良心的な編集者、連載を提案してくださった編集長のすべてに、こゝろからの深い感謝を申しあげます。
みなみなさまのおかげで、一句一行に心血を注いで書き続けることがでできました。
このエッセイが始まるとき、考えた末に、澄哲録片片と名付けました。
その意味合いは、もう何度か、書きましたよね。くどくなるので、繰り返しません。
この名のエッセイを書くことは、二度とないと思います。
感慨深いです。
エッセイであれ、書籍であれ、あるいはどんな短文であれ、作家にとっては、わが子と同じであり、そして完成してリリースした瞬間に、ぼくの手を離れて読者おひとりおひとりのものになります。
読んでくださるひとが居なければ、成立しません。
その意味で最後にもう一度、読者のみなさまに、魂からのお礼を申しあげます。
ありがとうございました。