On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-02-23 13:25:02
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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市民の今後を左右する大切な市長選挙でありつつ、日本の現実がギュッと詰まっている現地でした  そこにも行った意味があると考えています



▼石垣港に立つ、中山義隆候補です。
 わたしたちの尖閣諸島は、まえは日本国石垣市の登野城 ( とのしろ ) という字 ( あざ ) の一部でした。
 中山さんは、新たに尖閣という字をつくり、日本国石垣市登野城尖閣という立派な地名にしてくれた現職市長です。
 登野城は、中山市長が生まれた地でもあります。

▼中山市長は、その戦い、育て、守る市政を続けられるかどうかの運命の分かれ目を、2月27日の日曜、石垣市長選の投票日に迎えます。
 実際は、その運命がどう定まるかは、すでに進行しつつあります。ぼくは21日月曜の夜と22日火曜の朝の選挙応援を終えて、慌ただしく空港へ送ってもらう車中から、期日前投票の様子を見ました。
 石垣と沖縄の個性が美しく結晶している、新しい市庁舎の1階で、その期日前投票は行われていて、たくさんの市民がいらしていました。



▼どうです。このまなざし。
 優しく、強靱な、日本男児の眼です。
 祖国の沖縄、祖国の石垣に生まれ、日本国民たる市民を護り続けるウチナンチュの眼です。

 選挙応援の合間に、何気なくぼくのスマートフォンで撮っただけの写真ですが、パソコンにアップしてみて、このまなざしを見て、こゝろから嬉しくなりました。
 この日本男児に、石垣の次の4年を委ねたい、そう思いませんか?



▼同行していた、同じく島出身、長崎県は五島列島生まれの出口 ( いでぐち ) 太・公設政策秘書がふと、言いました。
「議員、4年前に、中山市長の市長選応援で来たときも、ずいぶん無理な日程でしたよ」

 ぼくは、それをすっかり忘れていましたが、そうだったかも知れません。
 今回も、この過密日程を縫って石垣まで行けるはずが無い、という情況でした。

 おととい2月21日月曜の早朝に、極寒に近い出先から新幹線でまず、帰京し、そのまま家に帰らず議員会館の青山繁晴事務所に出て、ある県の改革派の現職知事と意義ある議論をし、それから伝説の編集者として尊敬する、月刊Hanadaの花田紀凱編集長、良心的な編集者の沼尻裕兵副編集長の来訪を受けました。
 月刊Hanadaの件は別エントリーで記します。
 さらに、今後のテロ対策の研究について研究者たちの来訪を受け、議論をしました。

 ここまでは、温かい生地のスーツを着ていました。
 一気に、沖縄の石垣へ飛ぶのですが、まぁ暑くても耐えればいいと思っていました。しかし議員室の小さなクロセットを見てみると、生地のとても薄い、盛夏用のスーツがたまたまありました。
 いくら石垣でも同じ国です。それにスマホで天気予報を見ると、そんなに気温は高くありません。
 しかし演説するうちに、きっと暑くなるだろうと思って、着替えていきました。



▼石垣の空港から、真っ直ぐ、夜の演説会場に来ました。
 雑貨屋さんとジムの前の駐車場です。
 街頭演説の予定の時間までまだ、30分ほどありました。

 冷たい風、雨、そして低温の石垣でした。
 何気なくひょいと持っていたジャケットが役に立ちました。
 それでも、寒かったです。

 誰も居ません。
 予感の通りでした。
 空港まで出迎えて運転してくださった、中山さんの支援者の座喜味 ( ざきみ ) 盛行さん、琉球泡盛「八重泉」をつくっているナイスガイ、出口秘書、そしてぼくの3人です。

▼やがて、中山市長を乗せた遊説カーが到着されました。
 中山さんと友情の再会を喜んでいると、何人かの市民、そうですね、10人いらっしゃるかどうかの聴衆がいらっしゃいました。
 なんと貴重な、聴衆でしょうか。

 ふたつ前の、このエントリーで載せた写真について「聴衆が写っていないじゃないか。何の写真か分からん」という趣旨のコメントも届いています。
 これは翌日22日火曜の朝、交差点で演説したときの写真です。
 聴衆は、前夜より、もっと少なかったです。
 ほぼゼロでした。

 中山さんは友だちがとても多いひとですから、揃いのユニフォームを着た運動員は沢山いらっしゃいました。
 ふたつ前のエントリーの写真は、中山さんの支援者が立派なカメラで、フォーカスを工夫して撮ってくださった写真です。よくご覧になると運動員は写っていますね。
 しかし聴衆はゼロに近かったと思います。

 車はどんどん通ります。その車に向かって話します。またマンションやお店のかたがた、たいへんに騒がしくて申し訳なかったですが、大切な、大切な市長選挙ですから、懸命に話しました。

 ここから、沢山の印象的なことが起きていきました。
 それは、別のエントリーで記します。
 祝祭日の今日ですが、もう出かけなければなりません。

 このエントリーのタイトルに記したことも、まだ話していません。
 別のエントリーで必ず、みなさんに伝えます。
 たとえば、冒頭の中山市長の後ろに、橋が見えますね。その橋の向こうには何があるでしょうか。
 それも考えながら、別のエントリーを待っていてください。

▼ひとつ言えることは、この石垣市長選挙、簡単な選挙ではありませぬ。
 中山さんは改革派です。
 改革者に楽な選挙などありません。

 石垣に行ったおかげで、中山さん支援のため沖縄本島から来られた仲井眞弘多・元沖縄県知事にもお逢いできました。
「あんた、7月10日に自分の選挙じゃないのか」
 ぼくの参院選のことをそう仰り、ここで何をしている、という感じでびっくりされました。
 そうですね。
 ぼくも自由民主党を中から変えよう、改革しようとしていますから、楽な選挙ではありません。
 しかし、このままで進みます。
 法が保証する政治献金であっても1円も受け取らないことをはじめ、ありとあらゆることを改革する試みをしているのですから、選挙が苦しいからといって、団体回りや事前運動などなど、他の議員の全員がやっていることであれ、やりませぬ。

 中山市長を石垣市は喪ってはなりません。
 続きを、また、書きますね。
 写真もまた、載せます。





 









 
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