2022-06-23 08:07:34
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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沖縄戦の慰霊の日を迎えました
( 当時は忘れ去られた存在だった白梅の塔に、26歳で初めて訪れてから、ずっとお参りを重ねてきました。長い歳月のあとに、白梅同窓会のみなさんに中山きく会長をはじめお逢いすることが叶い、親交を重ねてきました)
( 沖縄の旧海軍壕を繰り返し訪れているうちに、大田海軍少将の将官旗がアメリカ軍から返還されてきました。
なんと、一部の地方公務員の協力で、敗戦後初めて、将官旗を掲揚することができました。
沖縄の夕暮れどきでした )
(「沖縄県民かく戦えり。県民に対し、後世特別のご高配を賜らんことを」と自決の遺書に書き残された大田閣下を偲びつつ、夕闇が迫るなかに万感を込めて直立いたしました)
(沖縄の空に、敗戦からただ一度だけ、帝国海軍の旗が翻りました。
大田海軍少将の遺徳と、遺書の内容が、沖縄県民に理解されていることが背景にあります)
白梅学徒看護隊の少女たち、海軍壕で軍を諫めて自決なさった大田実海軍少将 ( 戦死後に中将 ) をはじめ、沖縄戦の犠牲となられたすべてのかたがたに、尽きせぬ感謝と海より深い尊敬を申しあげます。 青山繁晴 拝
白梅学徒隊のみなさんは、生きて今も沖縄で活躍されている中山きく白梅同窓会長から、自決壕のなかで命を絶たれた少女たちまで、不肖わたしと常に共にあると、不遜にして僭越ながら、感じつつ。