2022-08-09 15:59:51
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【書き直し、写真を加えました】 中国軍の無法に対する米軍中枢との協議のほか、もうひとつ、進行させている仕事があります
( 創立からまもない時代の、独立総合研究所の社長室です。独研は、みたび本社を移転しています。東京ベイエリアの竹芝にあった最初の本社を、汐留へ。汐留から新橋へ。新橋から、現在地へ。
いずれも、前進のための良き移転でした。
写真は、竹芝の初代本社の社長室にあった書架です。社長室をお訪ねになった方のために、初代社長でありましたわたしの関連の書籍を置いていました。
まず、2作目の小説であると同時に、印刷された初めての小説となった「平成」、これは文藝春秋社刊でした。
その書評や広告の載った、文春本誌や、週刊文春が置いてあります。
ここから何年かを経て、週刊文春が信じがたい嘘の記事を載せ、わたしが選挙妨害罪の容疑で東京地検に刑事告訴する日が来るとはまさか思いませんでした。今から6年前、最初の参院選のときです。
直接的には、週刊文春が、嫉妬や奸計による真っ赤な嘘の話を聞きかじり、確認取材を怠って、そのまま載せたのが原因でした。そのうえで、背景には文藝春秋社の左傾化があったと考えています。
わたしはこの写真の当時と何も変わっていません。客観的、公平に申して、変わったのは文春だと考えます。
写真の書架には他に、テリー伊藤さんとの対談本、「平成」を最初に掲載した文芸誌の「文學界」、「平成」の発刊のお知らせを載せた文藝春秋のパンフレット、独研の社長となるまで属していた三菱総研の研究員時代に、発刊へ参画した、予測本、さらには、エッセイを連載していた茶道の機関誌が並んでいます。
このエントリーのテーマ、小説「夜想交叉路」は、写真の「文學界」の「文學界新人賞」の関連です。
どうぞ、よろしければ、エントリーの本文をお読みください )
▼小説「夜想交叉路」 ( 仮題 ) の全面改稿を完成させるべく、夜更けはその原稿を書いています。
出版社からは11月の刊行を打診されています。
▼この作品は、一部のかたがたはご存じの通り、「夜想交叉路」というタイトルでいったん完成し、日本でもっとも古い歴史のある文学賞のひとつ、「文學界新人賞」 ( 文藝春秋社 ) の最終候補4篇の中に入りました。
しかし選者のおひとりから強い抵抗に遭い、文學界新人賞のこの回は結局、4篇とも受賞に至らず、受賞作の出ない回となりました。
ぼくが共同通信社の記者を辞めてすぐ、今から20数年前のことです。
三菱総研の研究員に転職したばかりでした。
国会議員になることについて、すでに何度か要請はありました。しかし、それをお受けすることは当時、カケラも考えていませんでした。
▼最近になって、この小説を改稿して世に問うよう信頼する編集者から奨められ、まさかね、そんなことは考えていませんよと内心で思いながら、パソコンに残る原稿をざっと読んでみました。
すると、この印刷されたことのない作品に潜む、見えない力を感じたのです。
▼いったん突き詰めて完成した作品を全面改稿するという、おのれを切り刻むような作業が無事に進んで完遂できれば、書籍として刊行される小説作品として、「平成紀」 ( 幻冬舎 ) 、「わたしは灰猫」 ( 扶桑社 ) に続く3冊目となります。
( 「平成紀」は、上の写真の単行本「平成」をこれも改稿して、幻冬舎の文庫本として再生しました。したがって、正確には4冊目と言うこともできます )
▼「わたしは灰猫」は、完成までに18年と4か月を要した作品でした。
おとどしの11月に発刊されてから、思いがけなく重版を重ねてきました。
しかし「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の動画で、この頃は紹介していなくて、その影響か、急激に読むひとが減っているようです。
正直、寂しいです。
もしも、みなさん可能なら、たとえばここを覗いてみてください。
▼その「わたしの灰猫」は主人公がひとりではなく、ふたり居ます。いずれも女性です。
「夜想交叉路」 ( 仮題 ) は、気がつけば、それと対になっている気もします。今度は、女性と男性です。
タイトルを仮題だとこのエントリーで記しているのは、原型のままのタイトル ( 夜想交叉路 ) と、もうひとつ、新しいタイトル候補が頭に浮かんでいるからです。
どちらにするか、それは原稿がすべて完成してから決めます。
▼原稿を書いている環境が、ふだんと大きく違います。
日本だって太平洋に面している国です。
しかしここは、恐ろしいほど広く、強く、激情を秘めた太平洋です。
その荒寥を前にして小説原稿を書くのは、なんと言うか、新しい決意を生みます。