On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-08-15 08:04:00
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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(推敲しました)  ある寛解


( 中国共産党、中国軍の脅威をめぐってアメリカ軍とシビアな議論をする直前に、こんな虹が出ました。
 虹の付け根がしっかり見えて、それがちょっと凄かった。一緒に居た人みんなが、ジモティも含めて、感嘆の声をあげたのです )

▼世界の新しい胎動から、日本の現在の動き、そしてたとえばアルペンスキーの動作まで、なにか凡てが、ありありとスローモーションで見えて、いちばん根幹にある真実が楽に見てとれるような感覚・・・最近、それが偶 ( たま ) に現れます。

 おのれについて謙虚であることが、にんげんとして生きて、ひとと触れあい、仕事をするうえの絶対条件だと考えていることは、カケラも変わりません。
 それと同時に、上記のような感覚は、長いこと仕事で苦しみ抜いてきた果てに、なにかを突き抜けようとしている兆しかも知れないなと、微 ( かす ) かには思います。
 自分を突き放して考えつつ、そのように客観的に思考しています。

 何でアルペンスキーまで入っているんだと思われるでしょうね。
 雪がほとんど降らない温暖な地に生まれ育ちながら、やったことのない、考えたことも無いことこそやってみたくて、間違って競技スキーに挑みました。
 もともと長いスキー板を履いている方が冬には歩きやすく育った雪国出身者のなかで、ひとり、下手の極致から這い上がってきたぼくです。
 だからハンドル無く、ブレーキ無く、アクセル無く、そして4点シートベルト無く、猛速で急な斜面から緩斜面までを滑走し加速し鋭く曲がり、大きくゆったりも曲がるアルペンスキーという競技は、謎また謎の世界なのです。
 それが、あぁ、要はこういうことなのか、躯と心はこう動かし、こう鎮まっているのかと分かり始めるのは、世界を理解するのと同じ横一線にある奇蹟ノヨウナモノです。

▼この心境は、一種の寛解のような感じです。
 しかし寛解という言葉のなかには、重い病による死の前にわずかな時間、病から抜け出たような状態が訪れる、という意味もあるので、そこは気をつけます。
 みなさんの祈りを裏切らないように、します。

▼もしもほんとうに突き抜けていくのなら、それが、ぼくのためではなく、みんなのために役立つようにと願っています。
 本音です。

 ぼくらの祖国が、永い歴史のなかでただ一度だけ、敗れた日の朝に、あえて記しました。



 
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