2022-12-07 05:49:55
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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これだけ烈しい日程で公務に向かい合っていても、ふと、想うのです 芸術っていいよナァ
( 裏表紙です.ワイングラスに入っているのは、夜でしょうか、蒼いワインでしょうか、夜明けでしょうか )
▼新しい物語の『夜想交叉路』は、前作の『わたしは灰猫』と並んで、「映像的だ」と言われることがあります。
おのれでも、そう思わなくはないです。
しかし同時に、実は、音楽を深く、静かに、織り込んでいます。
p184で里子の唄う『ニューイヤーズ・デイ』だけのことではありませぬ。 ( 初版の『シャンパン・プロブレムス』を、ごめんなさい、第2版以降ではこの曲に差し替えました )
たとえば、ベートーヴェン、モーツァルトは、がっつり入っています。
クラシックだけでもなく、モダンジャズ、ボサノヴァ、がんがんのハードロック、ポップス、さらに唱歌、古謡まで。
歌謡曲はどうか。
ぼくは歌謡曲のなかに大好きな曲もあります。たとえば「北国の青い空」。しかし、歌謡曲ファンには申し訳ありません、おのれの文学の中には決して歌謡曲は入り込ませないです。それは、世界観が違うからです。
ちなみに、あまりに蛇足ながら、夜想曲、ノクターンあるいはノクチュルヌというのは、ショパンだけにまったく限りません。
ショパン並みに有名なリスト、ぼくの好きなフォーレ、ファンの多いサティらをはじめ、思いつくだけでも、グリンカ、スクリャービン、ディーリアス、ホルスト、プーランク。
それから、シューベルトやボロディン、ショスタコーヴィチの作品の一部にもありますよね。
ぼくと音楽の幅広い関わりは、FMの音楽番組「オン・ザ・ロード」を聴いてくださっていたかたなら、よくご存じの通りです。
▼それから『夜想交叉路』には、美術も取り込んでいます。
かつて現代美術の個展を京都の画廊で開きました。
「青山さんの書く小説は映像的だ」と仰ってくださるとき、映画だけではなく、絵画や彫刻も含んでいただくと、書き手のぼくの深い部分に触れます。
なんだかエラそうに言っていますが、あくまで、ぼくが書くときにそうであった、そのように試みた、新しい文学を創りたかったということです。
それが客観的に、文学として成功しているかどうかは、ぼくの死後、ずっと後の評価に任せたい気持ちです。
この『夜想交叉路』は、モノとして本にも拘って、装丁のデザインからほどよい重さに触感まで突き詰めて、創りました。
できれば、書店で手に取って、感じてみてくださいますでしょうか。
どうしても書店に行けないかたは例えば、勝手にここをお薦めしていいでしょうか。 ( どこにも何も頼まれてはいません )