2023-08-30 04:03:52
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (0)
【書き加えました】 苦闘千里のなかで意外なことです この10月に新書が世に出ることが確定的になりました
▼かつてのサイン会です。
左側に、ご縁の続いている編集者がふたり、いらっしゃいます。サイン会をずっと見守ってくれています。
きのう8月29日火曜に、日程の隙間を縫ってこの編集者おふたりと会いました。
先に、この編集者のうちおひとりから、ぼくの単行本の一冊「ぼくらの哲学」について「どうしても世に残したい作品だし、いま政治への憎悪が噴き出しているときだからこそ、新書にしたい」という熱心な提案がありました。
ぼくは努力すると約束し、新書化するために改稿する、その〆切が設定されました。
その〆切が、きのうだったのです。
▼しかし一方で、新しいノンフィクションの本で長いあいだ苦吟しています。
公務絶対最優先のなかで書くのですから、深い夜から未明にかけて書く以外にありません。それでも、じりじりと書き続けて、すでに400字詰め原稿用紙でおよそ150枚ほどを書いているにもかかわらず、執筆がいったんストップしています。
自分の原稿に納得できていないからです。
このなかで、著作を新書化する作業を同時進行させることは、至難の業です。
一般に、著書を新書にしたり文庫本にするときは、作家はほぼ手を下さず編集者に任せるとも、その編集者ご自身から聞いています。分かります。著作をそのまま編集者と出版社に委ねて組み替えてもらい、印刷し直して、新書にして世に出すだけでもいいはずですよね。
しかしぼくの場合は、おのれの著作の全編にみずから徹底的に新たな手を入れます。
大幅に加筆もします。
写真も見直します。
タイトルも一新します。もともと自分で付けた著作タイトルですが、新書にする以上は、新たに考えて付け直します。
表紙デザインも、いちから考え直します。
これまで何度か、単行本を新書あるいは文庫本にしてきましたが、すべてそうでした。例外はありません。
当然ながら時間が掛かります。時間は誰にも24時間ですから、案の定、今回は何も作業できないまま〆切の8月29日火曜が間近に迫りました。公務はこの7年と2か月、深夜、未明にも及んでいます。一体いつやるのか。
▼こうなると、陸上競技の最終コーナーから一気に、体の奥の潜在力を爆発させるように、集中力を発揮する以外にありません。
8月28日月曜の夜から、324ページある大部の書、「ぼくらの哲学」の1句1行を見直し、書き直しました。
やっている最中の心身の状態は、何というか、陸上競技で、もうリタイヤしたいと思いながら走り切るのと似ています。わはは。
▼そしてきのう29日の午前に、締め切り通りに、全編の書き直しを編集者に渡しました。
いちばん手の掛かる作業を〆切通りに完遂したので、新書が、編集者の考え通りに10月に出ることは確定的になったわけです。
まだ加筆などの作業が残っていますが、それは大丈夫です。
▼残っている作業のひとつが、新書のタイトルです。
タイトルは一変させます。新しいタイトルも、新しい表紙デザインもいつも通り、おのれで考え、編集者の公平な意見を聴きます。
きのうは全ページの改稿を渡すだけではなく、新タイトル案をいくつかプリントアウトして、編集者に示しました。
そのなかに、自分でも衝撃的な一案がありました。
きのうの午前4時ごろ、ふと降りてきたのがなんと、英文のタイトルです。ただしもちろん中学1年生でも知っている単語だけで、いやたぶん小学生でも知ってる子が多いだろう単語だけで、構成しています。
ぼくは日本語を全身全霊で愛している作家です。
それが英文タイトルを考えるというのは、まことに意外です。
なぜそれを考えたか。
おそらくは、日本の現状に対する憤りです。みんなと共有する内心の憤激が動機です。
他の日本語の新タイトルと一緒に並べて、ふたりの編集者に見せました。
すると、このプロフェッショナルふたりが選んだのが、英文タイトルだったのです。
打ち合わせのあと、さまざまな仕事をこなし、夜半になってから編集者に「やはり英文ではどうかと思うから考え直します」と電話をしました。
ひとりは、そのまま了承されたのですが、ひとりは「いや、衝撃の英文タイトルがいいと思います」という答えでした。
みなさんは、どう思いますか ?
そのタイトルそのものを示さないで、意見を聴くというのは、無理がありますね。
しかし入り口段階として、たとえば真っ白な表紙に、ただ黒々と英文のタイトルがあり、青山繁晴という日本語の著者名がある新書って、どうですか ?
▼なお、きのうの編集者との打ち合わせでは、苦吟中のノンフィクションの新作だけではなく、新しい小説群の構想の話をしました。
ほんらいの自分の希望では、国会議員を1期で終えて、作家専業となり次から次へと書いていたはずの小説群です。
なかには、前から書きたかった冒険小説の、内容が頭の中で具体化したものもあります。これ、書きたいです。
編集者のおふたりも身を乗り出しました。
いえ、救国が先です。
▼前にお知らせしたかどうか覚えていないのですが、「わたしは灰猫」が文庫本になります。
ノンフィクションの「ぼくらの哲学」は新書、小説の「わたしは灰猫」は文庫本です。
「わたしは灰猫」の改題はしません。世に出た小説第1作の「平成」は、文庫本になるとき「平成紀」とみずから改題し、中身も大幅に手を加えました。
しかし「わたしは灰猫」は、タイトルを変えることも、中身に手を加えることも、まったく必要を感じません。
こういう一作もあるのです。
最新作の「夜想交叉路」は、今の単行本の独特の手触り、重さ、紙の色、文字の大きさを、百年にわたるストーリーと共に愉しんでいただけないでしょうか。ここにあります。