2023-09-11 23:58:00
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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笑う火の鳥 その1
▼サブサハラ ( サハラ砂漠以南のアフリカ ) 出張から日曜の夜に帰国し、一夜明けて月曜日、きょう9月11日に国会に出ました。
昨夜は、4個の荷物の整理を完遂し、9日分の洗濯を始め、出張内容の英文整理に着手し、10月に出版が迫る新書 ( ここやここです ) の原稿執筆を続け、このブログを発信し、すべて同時進行で夜が明けました。
国会は閉会中ですが、国政に閉会も休みもありませぬ。
経産省の複数の幹部と、それぞれ自前資源の実用化、自動車の内燃機関とe-fuelの未来について議論しました。
そうした時間の隙間に、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の収録をおこないました。
▼収録は・・・サブサハラ出張の報告の前に急遽、13日に予定されている内閣改造について、自由民主党議員としてのタブーを踏み越え、申すべきを申す放送を、まず撮りました。
サムネイルは「内閣改造 失敗?」です。これです。
▼このブログでは、サブサハラ出張の写真の記録を少しづつアップすることを始めます。出張に同行してくださった参議院の事務当局者である調査員が熱心に撮ってくださった写真が中心です。
▼上掲の写真は、最初の公式日程、ザンビア大学獣医学部です。
日本の行政府がザンビア共和国に行っている政府開発援助 ( ODA ) がどのような効果をあげ、何が課題かを、立法府として調査します。
写真の右下にあるように、9月4日です。
日本の成田空港を外国の航空会社で出発 ( アフリカは日系の飛行機は飛んでいません ) したのが、9月2日土曜の夜でした。ドバイを経由して、ザンビアのホテルに着いたのは日本時間で翌日3日・日曜の深夜です。
つまり遙かなアフリカ深南部へ行くには、丸々1日以上かかります。機内はずっと、新書 ( ここやここです ) の原稿でした。
ホテルですこし荷を整理すると、もう大使公邸で現地ブリーフです。
そして翌朝、現地時間9月4日月曜の朝早くにホテルを出て、ザンビア大学の獣医学部を訪ねました。
この出張はほぼ全行程、朝が早かったです。それも正直、キツかった。むむ。
▼ぼくはこの最初の訪問からすべて、英語で直接、議論しました。通訳は不要です。外務省やJICAもそれをふだんから理解しています。
なぜか。
相手の心の襞にまで入って議論を深めるには、国際共通語で話すことが不可欠だからです。
▼写真は、ザンビア大学獣医学部のズールー学部長代理です。
ユーモアも交えて話すと、あっという間に打ち解けました。
農業国ザンビアでは Live Stock ( 家畜 ) を伝染病などの恐ろしい脅威から守ることは死活的に大切です。
それを日本はODAで支援しています。
▼獣医学部入り口の目立つ場所に、日本の支援を得ていることが日章旗入りの銘板で明記されています。
日本の莫大な支援を得て今がある中国や韓国がことさらにその事実を隠蔽するのとは、根本的に大違いです。
▼ズールー学部長代理の司会のもと、獣医学部のみなさんと、再びジョークも交えながら、通訳を挟まず議論します。
▼議論は弾み、笑顔も溢れるなか、提案もいたしました。
ズールー学部長代理はこのあとすぐに、ぼくにメールを送ってこられました。「これからもお付き合いをお願いします」とありました。
きっと再会できると思います。素晴らしく人柄のいい人です。肌の色も文化の違いも国籍の違いも何も、まったく関係ありません。おたがいが、こゝろを開いて話していると、そんなことは自然に吹き飛ぶのです。
▼学内を歩くうちに、学生たちと遭遇し、迷わず話しかけました。
みんな、日本の国会議員という意外な客との会話に、目が輝きました。
▼このエントリーのタイトルがなぜ、「笑う火の鳥」なのか。
ぼくは内心深くで、火の鳥になりたい心境でした。
苛酷な出張と、出張中も続くアメリカなどとの烈しい議論という公務、そして作家であることの鼎立 ( ていりつ ) 、そのためにあまりの無理を躰に強いているために、『笑顔の陰では、いくら焼かれても甦る火の鳥にでもなっている心境、それで戦うしかないなぁ』と秘かに考えていたのです。
帰国しても、今夜ももう、未明1時18分。
火の鳥も眠くて墜落しそうな毎日ですね。わはは。
日本人の真面目なビジネスマンも24人、まさかの犠牲となられた911事件から22年です。
無残に奪われた、およそ3千人の御霊に鎮魂の祈りを捧げつつ。