2024-04-06 04:14:43
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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こんな、まつりごと ( 政 ) では、英霊に顔向けできませぬ ( 3月30日土曜に硫黄島で開かれた日米合同慰霊祭のようす その3 )
▼今を生きるわたしたちはみな、先の大戦当時の同胞 ( はらから ) にとっては、『まだ見ぬ、将来のはらから』でありました。
そのわたしたちのために、およそ2万1千人の79年前の先輩がたが、東京都の島である硫黄島で、アメリカの大部隊を迎え撃ちました。
アメリカ軍の目的は、硫黄島を占領し、日本を無差別爆撃するための基地に一変させることでした。
日本が敗戦に近づく大戦末期でありましたから、職業軍人はすでに大半が戦死し、硫黄島でもわずか1千人、それ以外の2万人は元はふつうの市民だったのです。
その方々が、真の名将である栗林忠道・帝国陸軍中将の指揮の下、地下壕を爪まで剥がすように掘り続けて、凄まじい熱の籠もるその壕を活かして戦い抜き、そのおかげで無差別爆撃が遅れ、そのおかげで、今のわたしたちが無事に祖国に生まれいづることができたと考えます。
▼ところが、その2万1千人のうち実に1万1千人のご遺骨が、いまだ故郷へ帰れず、この灼熱の島に取り残されたままです。
▼戦った日米が、おたがいへの敬愛を込めて開く合同慰霊祭では、女性陸上自衛官によって「ふるさと」が唄われます。
( 米軍はそのあとに、女性海兵隊員が " Amazing Grace " を唄います )
ふるさとの歌詞、「うさぎ追いし かの山 こぶな釣つりし かの川・・・いかにいます父母・・・いつの日にか帰らん」
こうした言葉を、硫黄島で英霊は一体どんな気持ちでお聴きになるでしょうか。
いつも、慰霊祭で秘かに涙します。
▼日米の合同式を終えると、日本側のご遺族、遺骨収集にあたる硫黄島協会のみなさん、自衛官、政府当局者、国会議員らだけで天山壕 ( てんざんごう ) の上の慰霊碑に集まります。
この時には同じ女性陸上自衛官によって「椰子の実」など2曲が唄われます。
椰子の実にも、「いづれの日にか国に帰らん」という歌詞があります。
英霊のお気持ちがどっと押し寄せてきます。
▼今回、志願して日米合同慰霊祭に参加した少数の国会議員 ( 超党派 ) と、義務として参加の防衛・外務・厚労の副大臣・政務官が全員、地下壕に入りました。
▼議員のうち初めて入ったひとはみな、熱と、狭さに驚いておられました。
わたし自身は、民間の専門家時代から何度も繰り返し入っています。正直、『3月の末だからこれで済むのであって、夏は、もっと凄絶な熱に満ち、さらに赤い虫が壁も天井も一面に這っていて身体に取り憑きます。硫黄島の戦いの戦士たちは、その環境にも耐えて戦われたのです』と思いました。
一部の議員にはこれをすこしだけ話しましたが、おのれの取り組みと体験を誇るようになるのが嫌で、この日のわたしは黙していることが多かったです。
▼出口の光がいかに明るいか。
79年後に入ったわたしたちは、この光に救われます。
しかし、わずか79年前の同胞にとっては、この光の中こそ残酷な肉弾戦だったのです。
壕の中も地獄、壕の外も地獄、それなのに、まだ見ぬ赤の他人のために戦ってくださった英霊の遺骨を、それぞれのふるさとに送り届けねばなりません。
▼壕のひとつから出た時に、外務省のひとが撮ってくださいました。
わたしの表情から、胸の裡 ( うち ) はうかがえないかも知れません。ほんとうは、「なぜ、ふるさとに帰してくれないんだ」という英霊の声を聴きました。
あまりにも辛いことです。
このエントリーは、きょう4月6日土曜の未明4時台に書き起こしました。
それが完成できないまま、ついに深夜となってしまいました。いまは、22時42分です。
土曜であっても、極めて忙しいこともあります。
しかし、辛くて、これ以上は写真もアップできないし、文章も書き渋ることが大きいです。
硫黄島の慰霊祭の写真アップは、今日で終わるつもりで居ました。
それを変えて、日を改めて、気持ちを立て直し、もうすこしだけ、新しいエントリーで続けようと思います。
この地味なブログと同じく、主権者のみなさんへの無償の発信のひとつが、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」 ( ここです。数十秒で完結するショート動画はここです ) の動画です。
最新分は、岸田内閣の現職閣僚の奇怪な動きによって浮き彫りになった、親中派の深きも深い闇です。
この動画です。
このような不埒なことを許さないためにも、総裁選に打って出ます。
硫黄島への取り組みについても、ずっと卑劣な中傷が続いてきました。総裁選についても同じです。
総裁選は、推薦人20人が集まらないようにする具体的な妨害も烈しくなる一方です。
それがどうした。
英霊の苦闘をすこしでも考えれば、何でもありませぬ。