On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2024-11-27 03:25:43
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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まさかの出来事



▼この書影を、久しぶりにアップしました。
 なぜか。
 思わぬことが起きたからです。

▼わたしが作家として初めて本を出したのは、政治記者を辞めたあとです。
 先輩の政治記者で、本を出して出版記念パーティを開き、そこに取材先の政治家も招いた人が居ました。
 同僚記者もわたしも疑問を感じました。そうしたこともあって、報道機関に属する記者でいるあいだは、自宅でどれほど未発表の原稿を書いていても、本は出さないと決めていました。

 ペルー日本大使公邸人質事件に遭遇して、そのあと記者を辞める決心をしました。
 そして、三菱総合研究所の専門研究員となりました。その研究員時代に、処女小説の『夜想交叉路』を書き上げて、何のつてもないままに、伝統ある純文学誌の新人文学賞に応募し、最終候補作4作のなかに残りました。
 その純文学誌の当時の編集長が、予想外に評価してくださり、励まされました。

 その回の新人文学賞は、わたしの作品を含めて候補作4作いずれも受賞に至りませんでした。「受賞作無し」というのは時々あるようです。
 わたしは、編集長に次の作品を渡してみたいと考え、『平成』を書き上げ、それは編集長の判断もあって新人文学賞に再応募するのではなく、そのまま純文学誌に全文が掲載されました。
 さらに、無名の新人ながら、文藝春秋社から本として出版されたのです。
 当時に乗ったタクシーの運転手さんから、励まされたことを今も覚えています。

 この『平成』は、沢山の書評が出て、それは思いがけないことでした。
 たとえば読売新聞の文化部の著名な女性記者が取材に来られ、ついには、日本共産党の機関紙「赤旗」にまで書評が掲載されました。

▼上記の『夜想交叉路』は20年を超えて改稿を考え続け、およそ24年後に、全面改稿を経てついに「百年を見渡す物語」として本になりました。 ( 扶桑社刊の『夜想交叉路』 / 西暦2022年11月刊 )
 また『平成』は、これも改稿したうえで『平成紀』とみずから改題し、初版本の出版から14年後に幻冬舎から文庫本になりました。文庫本の発刊は、国会議員となった翌月の西暦2016年8月です。

▼しかし国会議員となってから、わたしの本には大きな変化が起きました。
 選挙に出ることを伝え聞いた複数の出版社の編集者が「今の日本で政治家になってしまえば、本がとたんに読まれなくなりますよ」と深い懸念を示されていた通りになりました。

 わたし自身は、国会議員にはなっても、既成の政治家になったつもりはありませぬ。だからこそ、ありとあらゆる献金をお断りし、パーティも開かず、企業や団体の支援もお断りし、後援会もつくりません。「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」という動画の広告収入も受け取っていないのです。

 それでも、「政治家の本なんて」という眼で見られることは避けられません。
 ノンフィクションの新刊『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』が世に出たあとも、書評なんて出るはずが無いと、諦めていました。

▼ところが最近、前出の編集長 ( 当時 ) から久しぶりに連絡がありました。
 現在は、不肖わたしが『後世に残る』と考えるノンフィクション作家に、なっておられます。
 その連絡内容は「週刊ポストに書評を出した」という事実以外は、記しません。わたしの返信の冒頭部分だけ、記しておきます。

「驚きました。まさか書評をいただけるとは思いませんでした。
『政治家の本なんて』と敬遠されるのか、わたしの本はこの8年、書評も無いし読者も少ないです。
 たいへんに嬉しく、眩しい気持ちで、拝読しました」

▼この書評はその後、ネット上に公開されました。
 どなたでも読んでいただけます。
 たとえばここ、あるいはここです。

 苦しいだけの日々にも、うれしいことはひとつ、起きたわけですね。



 
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