2024-11-30 03:25:28
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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参議院の環境委員長に選任されました 国会の常任委員長は初めてです
( 国会の常任委員長は全員、国会の開会式にて天皇陛下をお迎えし、またお見送りする責任があります。
この写真は、礼装にて陛下をお迎えする準備に入るところを、三浦麻未・公設政策秘書が撮ってくれました )
▼11月28日木曜に第216国会臨時会が開会しました。
その最初の参議院本会議にて、参議院の常任委員長のひとりである環境委員長に選任されました。
本会議で、議長から名を呼ばれると起立し、三方に礼をいたし、与野党を問わない議員から祝福の拍手を受けました。これはわたしだけのことではなく、すべての新任の委員長に共通する、国会の慣習です。
▼最初に、内々の打診があったとき、即座に受けました。
わたしは議員室の様子を公設秘書さんたちに原則、オープンにしていますから、打診とわたしの即答を知った秘書さんから「 ( うちの ) 議員がなぜ、環境委員会の委員長ですか」という問いかけもありました。
よく分かります。
わたしの専門分野として国内外で認知されているのは5つの分野です。外交、安全保障、危機管理、資源エネルギー、そして情報ですね。環境はそのなかに入ってはいません。
常任委員長は国政の各分野にわたって置かれていますから、「なぜ専門外の委員長を指定されるのか」という問いでしょう。「ちょっと考えさせてください、ぐらい言っても良かったのでは」という問いでもあるのでしょう。
しかしわたしは、瞬時に、こう考えました。
委員長は審議を公平・中立を貫いて仕切る立場ですから、与野党の議員の質問をすべて聴きます。 ( 委員長が質問に立つことは制度上、ありません )
したがって、環境政策に知悉 ( ちしつ ) することになります。総裁選に手を挙げたのであれば、環境政策を知ることはむしろ必須です。
環境政策は、わたしの専門分野においても外交、安全保障、危機管理、資源エネルギー、情報のすべてについて深く関連します。そのために現在でも一定レベル以上に環境政策も知ってはいます。
それをさらに広範囲に充実させるのは、時機としても、正しいと考えたのです。
▼今回の人事があって、多方面からさまざまに反応が来て、ちょっと驚きました。
祝福や祝電が多くて、わたしは正直、『めでたい』とは思っていなかったので、すこし意外でもありました。
しかし、いちばん印象的だったのは、わたしが8年のあいだ属していた経済産業委員会、その野党議員の反応です。
環境委員会の委員長になると、他の委員会に属することはできません。これまで属した経産委とはお別れです。
「寂しい」
これを、経産委に属する全党の議員、つまり自由民主党から共産党までの議員から次々に言われました。ふつう「寂しくなるね」というのは一種のお世辞、社交辞令の場合もありますが、今回は、みな本気の表情としか思えなかったのです。
「青山さんのあの質問を聴けないのは、ほんとうに困る」と仰った経産委の野党議員も複数、いらっしゃいました。
わたしが国会議員となった時、知らないあいだに、参議院の外交防衛委員会の委員になっていました。
党が、わたしを外交や安全保障の専門家とみて、そのように配置したのですね。
しかしわたしは党幹部のあいだを回って、交渉し、経済産業委員会に変えてもらいました。
なぜか。
資源エネルギーを扱うのは、経産委だからです。
外交と防衛は、日本の国会議員にも、詳しい人は少数であっても居ます。
しかし資源エネルギーの現場を知る議員は、ほとんど居ない。特に、自前の海洋資源については皆無に近い。「日本は資源の無い国」とみな、子供の頃から思い込まされているからです。
だから、資源エネルギーの政策も扱う経産委に属して政府と議論するのが、もっとも国益になると考えました。
常任委員会には、どの議員も、ひとつしか属せないのです。
▼議院内閣制の日本において国会議員は、そのひとが与党議員の場合、人事が3種類あります。
▽ひとつは政府入りです。大臣、副大臣、大臣政務官のいずれかが基本です。このほかに官房副長官、総理補佐官などがあります。
議院内閣制ですから、国会議員は、立法府から行政府に一時的に移動することができるわけです。
いずれの職にあっても、基本的に政府批判はできません。政府が不統一になるからです。政府入りした議員に政府批判ができないのは、日本的現象ではありません。世界的な常識です。
▽次のひとつは、党の役員です。総裁、幹事長から部会の副部会長まで多種多様にあります。
自由民主党の場合、幹事長と総務会長、政調会長、選対委員長ら首脳級の幹部は、総裁つまり内閣総理大臣の批判をしないのが普通です。
一方、首脳級の幹部でない役職の場合、総理批判や政府批判をしても、自由民主党議員の場合は責任を問われたり、追及されたりしません。他党は分かりません。これが自由民主党の取り柄とは言えます。
ただし、人事などで干される、冷遇されることは十二分にあります。わたしはそれを承知のうえで、どこまでも主権者のために言うべきは常に申しています。
▽そして、もうひとつが、国会の人事です。
国会議員は立法府の一員ですから、議員の本分とも言えます。
国会の人事は、頂点が議長です。ただし当選回数の多い、年配の長老議員に限られます。
そして常任委員会の委員長、特別委員会の委員長などの委員長職や憲法審査会の会長などがあります。また衆議院になく、参議院だけにあるのが調査会で、その会長もあります。
さらに、委員会の委員の中から理事が選ばれます。
▼不肖わたしは、国会議員となって8年5か月目ですが、政府入りは一度もありません。
党では、経済産業部会長代理や国際局次長、組織運動本部の副本部長など、相当な数を務めてきました。
国会では、経済産業委員会の理事を務めていました。
今回、参議院の環境委員会の委員長になったことにより、党の経産部会長代理や国際局次長などはすべて退任しました。組織運動本部の副本部長には留まりましたが、これはかなり異例ではないかと思います。
国会では、常任委員長と他の委員会の委員や理事を兼ねることはできませんから、経産委員会の理事も退任しました。
そのために、前述のように、経産委の野党議員から「寂しい」と言われたのです。
同じ自由民主党の議員なら委員会が違っても、部会その他でよく会います。
しかし野党議員とは、委員会が違えば、親しく交流することは稀になります。
▼最後に、もうひとつ、主権者のみなさんにお話ししておきたいことがあります。
委員長という仕事は、これも前述の通り、党派を超えて、絶対的な中立です。与野党の立場を超えて、公平に議事を進行させます。
環境委員長への就任を報道でお知りになった主権者から早くも、あの法案は阻止せよ、この法案は通せといった趣旨の声が届いています。
わたしという環境委員長が、いささかでも、そうした議事進行を行えば、わたしはみなさんが信頼するに足りない人間ということです。
また、常任委員長が国会の基本中の基本を外せば、敗戦前から続く日本の議会制度はオシマイです。
▼昭和天皇が、歩かれることにおいてすこしの難しさが生まれるまでは、天皇陛下は、この正面玄関から真っ直ぐに続く階段を登られて、まず、階段の頂点に小さく見える御休所 ( ごきゅうしょ ) に入られていました。
現在は、陛下はエレベーターにて御休所に入られます。
▼議事堂はふだん、この正面の中央玄関は閉じられています。
陛下がお見えになる時、中央玄関が開き、陛下は中央広間に進まれます。
冒頭の写真が中央広間ですね。ここには板垣退助、大隈重信、伊藤博文の銅像が3つの隅に立ち、残る1つは台座のみとなっています。
わたしの後方にたまたま、大隈公 ( 政党内閣として初の総理大臣 ) が写っています。早稲田大学政治経済学部卒業のわたしにとっては、開学の祖と一緒に写るのは光栄ですが、単なる偶然です。
衆参両院議長らの先導により中央広間に入られた陛下を、わたしを含む常任委員長らが並んで、お出迎えをいたしました。
わたしたちはみな、頭 ( ず ) を下げていますが、陛下におかれては、ひとりひとりの常任委員長に軽く会釈をなさりつつ進まれたようです。いつも変わらぬお人柄でいらっしゃいます。
陛下が御休所に入られているあいだに、わたしたちは参議院の本会議場へ移動し、衆参両院議員と共に陛下のお出ましをお待ち申しあげました。
国会の開会式は衆議院ではなく、参議院の本会議場で挙行されます。
▼開会式の日は、美しい日本の秋晴れでした。
上の議事堂の写真も、秘書さんが撮ってくれていました。
写真はすべて、撮影も、ブログでの公開も、正しく許可を取ってあります。
議事堂の写真は、陛下の車列がお着きになった時の写真ですが、わたしの判断で念のため、その車列をカットしてアップしてあります。
▼多忙にて、またしばらくこのブログをアップできませんでした。
このエントリーにしても、開会式のあった夜が更けて、翌日の11月30日土曜の未明になってから書き始め、少しづつ書き、12月2日月曜の未明になってからようやくアップできます。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」のアップは、弛まずに続いています。
しかし、またまた紹介できていません。
とりあえず、いちばん最新の動画を紹介しておきます。
ここで、いったん阻止した「習近平国家主席の国賓来日」を再び阻むことについて述べています。
もうひとつだけ、紹介しておくと、2番目に新しい動画は、これです。「駆け込み戦争」が世界大戦の端緒となる恐怖をみなさんと一緒に、リアルに考えています。
学生インターンの増野優斗くんの努力の結晶、ショート動画のアップも倦まず弛まずに継続しています。
二十歳の日本男児の、いつも平常心を保つ努力に感嘆しています。
そして、たった今のわたしの心の支えは、『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』 ( ここあるいはここ ) を読んでくれる人が、少しづつ増え続けていることです。
できれば、これを読んでくださって心を決め、ここから自由民主党史上初めての「しがらみ無き党員」になってください。
あと1か月を切った新年は、連帯の年です。