On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2026-01-04 00:10:54
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【追記しました】  富嶽に見送られ、友に会いに、先輩に会いに、後輩に会いに行く



▼きのう1月3日の早朝、淳心学院中高等学校の同窓会へ参加するために羽田空港を飛び立つとき、滑走路の向こうに新年の富士山が、たおやかに現れました。



▼「これは今朝は、富士がずっと見送ってくれるのかな」と思っていたら、その通り、午前4時半に起きて出発の身支度をした眠気が吹き飛ぶような、鮮やかな富士です。
 頂上に雲がかかっているのも、よく分かりますね。

 もちろん、ぼくだけではなく、飛行機からも地上からも、沢山のみなさんが今朝の富士に見とれたのではないでしょうか。



▼ぼくの下手なレーシングドライバーとしてのホームコース、富士スピードウェイも見えるかと探しているうちに、富士は美しく微笑するかのように去って行きました。
 ( 機内からの写真はいずれもスマートフォンを機内モードにして、CAさんのOKのもとで撮りました )

▼ふと、太宰治の『富嶽百景』のことを、機中で考えました。
 ぼくが中学生だった当時の淳心学院には、松尾先生という名物教師がいらっしゃいました。
 京都大学の医学部に進んで、解剖実習でショックを受けたそうで気持ちを変え、同じ京大の文学部を卒業して国語の教師になったかたでした。

 きのうの同窓会でも話題になるほど個性的な授業でした。
 飄々とした人生観に貫かれたフェアなものの見方が、少年だったぼくの心も捉えました。

 その松尾先生が授業で『富嶽百景』について語るとき、「太宰はね、川端康成らに私生活を批判されて、薬物中毒もあり、最期は女性と心中したりしたけど、とにかく文章が上手い。どうしようもなく惹きつけられるぐらい、上手い」と仰っていました。
 中学生のぼくは、学校が終わると自宅で、たとえばドストエフスキーやゴーゴリ、ジイド、カミュといった外国文学を自然に中心にして読み耽っていました。
 しかし、松尾先生の言葉で、『富嶽百景』をもう一度読んで、確かに文章が上手いなぁと感嘆したのでした。

 ぼくは無意識に生き方を探して、小説を読んでいたかもと思います。
 松尾先生という公平な、哲人のような先生が「作家の生き方とは切り離して、その文章を文章として読む」というニュアンスで語られたのが、印象に残って、あの授業から半世紀以上が過ぎ、松尾先生が早くに鬼籍に入られた今となってなお、受けたばかりの授業のように覚えているのです。

▼ところが、きのうの同窓会で、後輩にあたる同窓生が「青山さんが中学のときに読売新聞の作文コンクールで全国入賞した作品を、偶然、読みました。凄かった」と仰って、驚きました。
 いまは社会的地位の高い職業についているひとです。

 その作文「最後の日」は、ひとりで書きあげたあと、松尾先生に「指導してくださいませんか」と申し出て、コンクールに応募した作品だったのです。コンクールは、指導教員を明記して初めて応募できる規定になっていました。
 松尾先生にそれを話すと、すぐさま快諾され、そしてほぼ何も修正はせずに、コンクールに出してくださいました。
 東京で開かれた授賞式には、松尾先生と父、姉が同行してくれました。
 
 実は先日、三浦麻未・公設政策秘書が「国立国会図書館でたまたま、見つけました」と言って、赤い表紙の本になったそのコンクール作品集を、議員室の机の上に置いていて、ぼくをちょっと驚かせたばかりなのも、いくらか不思議な偶然の重なりです。

▼「大新年会」という名を冠した同窓会には、年齢差が50歳以上あるほど、各世代の卒業生がほんとうに数多く、集まられていました。
 井上登志男会長をはじめ同窓会 ( 正式名称は心城会。淳心学院は世界遺産第一号の国宝姫路城に隣接 ) の運営を担う幹部のかたがたのお人柄だと思います。
 不肖わたしは井上心城会会長から求められて、会がはじまってすぐ、あいさつを致しました。

 淳心学院の「淳心」とは、元のラテン語では聖なる母マリアの清廉な心を意味していること、自分はキリスト教徒ではありませんが、どこかで淳心学院の教育の影響も受けてか、献金もパーティの開催もゼロを貫いていること、日本のために自由民主党の汚れたところを克服しなければならないこと、しかし孤立はしないで、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の77人の議員と共にあり、動画を視てくださる主権者についても4億7千5百万回の視聴回数があること、それらは、淳心学院のモットーである「同心同意」、すなわち生き方や考え方が違っても共に生きるという教育がどこかで基礎のひとつになっているのではないかと、お話ししたのです。

 同窓会という場には、「卒業生はそれぞれ今、どんな生き方をしているのか」を、よき意味でお互いに知ろうとする雰囲気がありますね。
 だから、おのれの現在の生き方と、中高時代の学校教育の意味を、あえて結びつけて、なるべく短く語りました。
 終わってテーブルに戻ると、あとからあとから各世代の同窓生がお出でになって、料理はほとんど食べられませんでした。わはは。しかし、とても光栄に思いました。

▼同級生7人ぐらいがセットしてくれた二次会にも、同級生だけでは無く、各世代の沢山のひとが参加してくれて、信じられないぐらい盛りあがりました。
 料理を食べる暇が無いのは同じでも、今度は美味しい「白鷹」のお酒をぐいぐい呑みました。
 白鷹は、灘の生一本にして伊勢神宮の唯一の御料酒ですね。お正月には誠にふさわしい、キレの良さをありがたく戴きました。ぼくの滑るスキーも、こういう切れでありたいなと内心で思いながら。

 ただ、若い世代の同窓生で「青山さんが、国会議員以外に作家でもあるとは、まったく初めて知りました。びっくりです」と仰ったかたも居て、これも、わははの苦笑いでした。

▼帰りの機中から見る外はもう真っ暗で、富士も眠りについています。
 わたしは、命を削って書いた最新の作品ふたつのことを、やはり考えました。
 松尾先生が読まれたら、どんな評をくださるかと。

 先生は、いい作品に触れるとき、手に持った扇子を、まるで講談師のようにびしっと教卓に打ち付けて鳴らすのです。
 あれを鳴らしてくださるかなぁ、無理かなぁ、いや1回ぐらいはオマケで鳴らしてくださるかな、と。

 いずれも書いて悔いない作品です。
 しかしいずれも、若い同窓生がいみじくも仰ったように「作家を兼業している国会議員がいま、日本に居るなんて」と、なかなか読まれない作品でもあります。
 特に、小説を書く国会議員が居るというのは、あまりにも意外らしいです。それが『やさしく夜想の交叉する路』です。
 ノンフィクションを書く国会議員は他にもいらっしゃいますが、正式な兼業の作家として書いているひとは、ありのままに申してわたしひとりです。それは『絶望を撃つ』です。

▼広くみんなと新年を語る独立講演会@東京ビッグサイトは、あと3日半で応募が締め切られます。
 よろしければ、ここです。
 あるいは、このボタンを押して質問を書き込んでください。
 淳心学院の同窓生にも、何人か、常連で来てくださるみなさんがいらっしゃいます。

✴きのう幅広い世代の同窓生から、直にお聴きした熱い期待、それに応える重い、たいせつな責任をこそ、いま自宅の机にてあらためて噛みしめています。

 松尾先生、ぼくは、お逢いしたいです。
 今夜の夢にどうぞ、忍び込んできてくださいませんか。
 ぼくの夢の中は、解剖実習の教室よりは、いくらか居心地が楽かもしれません。

 記者時代の医科学取材でつぶさに見た、国立大学医学部の解剖実習をぼくも思い出しつつ・・・。
 あの献体があって、わたしたちの健康があります。






 
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