On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2017-11-01 07:38:34
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (3)

明日の11月2日木曜、久しぶりに‥

▼‥ニッポン放送のラジオ報道番組「ザ・ボイス」に参加します。
 オファーは前からありましたが、総選挙となったので「現役の国会議員の番組参加は難しい」という局の判断で見送りとなっていました。
 選挙が終わり、OKとなったわけです。
 明日は、経済の泰斗、高橋洋一さんがレギュラーで出られる回に、ぼくがゲストとして参加するのだろうと思います。
​ いつもと同じく午後4時から5時半の生放送です。

▼関西テレビの「胸いっぱいサミット」も同じ事情でした。
 まもなく再び、参加となるようです。
 ぼくは今、「TVタックル」などのオファーはお断りしているので、地上波のテレビの発信を見たいかたは、全国放送ではありませんが、できればこれをどうぞ。
 
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憲法改正の前にやっていただきたいこと【もくもく】
2017-11-02 01:50:21
実務をされていた方のお話は大変為になるので明日の高橋さんとの対談は今から楽しみです。

補正予算の話とかは出るのでしょうか?

予算は法律と同じように何の為に必要でどう運用するのかが大事で防衛予算もGDPに対してのパーセンテージで決まるものではないと僕は思っていて僕の考える防衛予算とは以下の通りとなります。

(1)隊員が任務に万全の態勢で当たれるよう福利厚生は整えておくこと。
(2)隊員が任務に万全の態勢で当たれるよう隊員数の増強に努めること。
(3)真っ先に命を投げ出し任務につかなければならないので隊員には充分な給与を支払うこと。
(3)無駄に隊員の命を失わない為にも周辺諸国に対し抑止出来る武器・弾薬を用意すること。
(4)その為には十分な教育・訓練がなされること。
(5)同盟国の協力が物理的に得られない場合に備え物資・弾薬を自前で供給できるよう努めること。
(6)上記の案件が達成出来るよう諸外国や国民への理解を得られるよう努めること。

上記に挙げたものは憲法を改正しなくても出来るものであり例えば小野寺防衛大臣が以前敵基地攻撃能力を持つことは違憲ではないとのお考えを示されていましたが、何故その議論が深まらないのか僕は理解に苦しみます。

軍隊を持っているのが世界標準であるのですが、それらの国々で戦争は最終手段であり安易に戦争に踏み切れないのは国民の理解を得にくいからだと僕は考えます。
軍部や政府が暴走しないように法律があり手順があり国民の監視があるのです。
僕には武器を持つことと使うことの違いを国民が知らないのではないかと日本の政治家が考えていて何かを恐れ、議論に踏み込まないようにしか見えないのです。

僕には一抹の不安があります。

それはオープンな場で敵基地攻撃能力の議論すらままならないのなら憲法を改正したところで日本軍に万全な態勢で動いてもらえないのではという不安です。
軍隊は祖国に忠誠を誓うのであって政府に忠誠を誓うのではないのではないでしょうか。
10年後、20年後でもきちんと日本軍が機能するように、まずは今出来る最大限のことをやっていただきたいと思う次第です。
進化【国光】
2017-11-01 22:01:39
明日の高橋さんとのボイス、楽しみにしています。
経済について色々な方の意見や発信を参考にしていますが、
先日の虎ノ門ニュースでの青山さんの言葉に現実を見せられた気がします。
それは、賃上げが無くても耐えられる社会にしなくてはならないとの一言です。

それはまさに肌で感じてはいてもなかなか直視したくない現実です。
私は日本の基幹産業と言われる業界ですが、明らかに昨年からその時がやってきたと感じています。
20年以上前からこの状況は予測され対策を講じて来ましたが、いよいよ現実のモノとして姿を現したようです。

しかし、住宅ローン、車のローンに子供らの学費と立ち止まり後戻り出来ませんから、
更に知恵を絞り努力と負けん気で立ち向かわなくてはなりませんが、それは安定した政治有ってこそ。
安倍総理、頼む!踏ん張ってくれ!と言う気持ちで先日の衆議院選挙で投票用紙を書きました(笑)

生き残るのは強者ではなく、時代、環境に適応し柔軟に進化した者だと言われますが、
国家も憲法も然りですね。
他人任せでは無く、私達一人一人が柔軟に進化して行かなくてはならないのだろうと思います。

その進化のきっかけ、気付きをよろしくお願いします。
「臣民」、「市民」、「人民」【田野たにし】
2017-11-01 19:42:48
青山さん、お疲れ様です。青山さんには、いつも刺激を頂いています。

青山さんが使われる、特に海外に行かれた時に言われる、「高貴ある天皇陛下の臣民」という言葉についてです。

今読んでいる本、児玉襄著、史録日本国憲法(文藝春秋社刊)P184、憲法問題調査会(幣原内閣に設けられた憲法改正の調査研究を目的とした委員会)の議論に現れた発言:
「…。英国でも国王にたいするサブジェクト、すなわち臣民となっている。国民にあたるのはシティズンだろうが、シティズンは共和国民でしょう。」
を読み、目を少し開かれました。なるほど、市民は共和制をとっている国の国民という意味なのかと妙に納得しました。共和制の場合、元首は君主ではなく国民から選ばれます。しかし、二千余年の歴史を持つ我が国は、天皇の下、例えば摂政関白、幕府、議会・内閣が国を治める実務を担ってきた国柄、国体です。だから、現在も事実上の元首として天皇を頂く日本では、「臣民」の方が歴史を踏まえた言い方になっていると考えます。

日本で「国民」と言わず「市民」という言葉を使う人達は、天皇を元首とは認めていないという含意をこめて使っているのでしょう。

また私自身の語感では、「国民」は「主権の存する国民」です。したがって、近年の報道で、中華人民共和国や北朝鮮民主主義人民共和国の「人民」のことを「国民」と表現することに違和感を覚えます。

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