On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2007-11-21 09:26:09

三本足か、二本足か





▼11月20日の火曜日は、朝いちばんに病院へ。
 骨が折れている右足のレントゲンを撮り、ギプスを外すかどうか、松葉杖を病院にお返しするかどうか、それを判断する日だ。

 そうした日は、もうこれが3度目になる。
 これまでは2度、「むしろ、もっとしっかり固定しましょう」というドクターの判断が出て、ギプスも松葉杖もそのままになった。

 ドクターはそのたびに、「青山さん、折れた場所がとても難しい場所で、ふつうなら、まだまだギプスを取ろうかどうしようか、なんて、検討すらしないんですよ」とおっしゃり、療法士さんは「青山さんとほとんど同じ場所を骨折した人で、年齢もまだ30歳代前半なのに、3年間、くっつかないままの人が通院してきてますよ。青山さんが折ったのは、9月24日。まだ2か月じゃないですか」と話す。

 そうですか、そうでしょうね。
 ただね、松葉杖の3本足で、ほぼ毎日のように出張するひとは、あまりいないでしょう。
 その毎日は、ほんとうに心身が疲れ果てるのです。


▼身体の負担には、もう慣れました。

 慣れないのは、空港や駅で直面する、日本の人々のぞっとする冷たさです。
 松葉杖で懸命に身体を運んでいるときに、正面から平然とぶつかってくるひとは、もう当たり前で、数えきれない。それどころかエレベーターにご自分が乗るために、松葉杖を払いのけるひともいる。
 逆に、手助けをしてくれるひとは、見事なまでに、ただの1人もいない。

 空港で、遠くを歩いていた西洋人のビジネスマンが走ってきて、「何かわたしにできることは」と聞いてくれたことはある。
 しかし、日本国民は、みごとに皆無。

 ぼくの古い友だちが、「そうなのかぁ。しかし、なかには例外はいるよね」と聞いた。
 ぼくだって、そう思いたい。この祖国を愛して生きてきたのだから。
 だけども、1人の例外もなかった。


▼空港や駅だけじゃない。
 身体を腐らせないために、松葉杖で、それなりに一生懸命にスポーツ・ジムへ行くと、日本人のジム会員は、ドアに近づくぼくを追い抜いて、自分のためにドアを開け、そしてそのままドアがバァンと閉まるに任せて、さっさと自分のトレーニングに向かい、松葉杖の人間にはまったく無関心でいる。
 これも、ただ1人の例外もなかった。
 信じがたいですか?
 ぼくも信じがたいです。
 しかし、ただの1人も、ドアを開けて待っていてくれたひとはいなかった。
 みなさん、ほんとうに自分の人生だけに、それだけのために忙しいのですね。

 このジムはフランス系ホテルのなかにあるから、ときどき西洋人の宿泊客がトレーニングにやってくる。
 こうしたひとは、自分のトレーニングを中断して、松葉杖の見知らぬ人間のところに走ってきて、きもちのよい微笑とともに、しっかりとドアを開けてくれる。


▼実は、身体としては、こうしたことにもすっかり慣れた。

 空港でも駅でも、ジムでも、ふつうに2本足で歩いているひとびとを松葉杖で追い抜いて、はるかに置き去りにする高速で、飛ぶように松葉杖を使うようになった。
 ドアは、松葉杖を握る手のうち片手を外してさっと開け、そこに松葉杖の1本をガッと噛ませてドアをしっかり固定し、一瞬のうちにドアの向こうへ身体を送り込む。

 たまに近づいてくださる西洋人には、丁寧に会釈をして、しかし助けは一切借りず、自力でどこへでも、すっ飛んでいく。階段も、3本足で飛び上がり、3本足で飛び降りる。
 そのようにしたから、身体的、物理的には、もうOK。
 スポーツ・ジムのトレーナーは、ぼくの両腕と、胸、そして折れていない左足に新しい筋肉がどんどんつくことに、目を丸くして驚いていた。

 だけども、こころがどんどん傷ついていくのが、もう耐えられない。
 この祖国のどこを愛したらいいのか、それが分からなくなることに、もう耐えられない。

 いちばん辛いのは、物理的にぶつかられたり、松葉杖を払われたり、目の前でドアを閉められたりすることじゃない。
 その冷たい視線だ。
 ただ松葉杖をついて、3本足で歩いているだけで、異生物のように眺める、その凍るような目つきだ。

 そして、そのなかでも、深くこころが沈むのは、日本の子どもたちがその冷たい視線を投げ、親と一緒に、異生物を眺めている、その光景だ。


▼だからね、この11月20日は、どうあってもギプスを外してもらい、松葉杖を病院に置いていこうと、秘かに決めていた。

 レントゲン撮影が終わり、画像をみたドクターは「おお、順調です。ここのところに、しっかりと仮骨(かこつ)ができている」と明るい声で言う。
 画像には、まだ、ぱっくり大きく開いた骨折部分と、そのクレバスの根っこのところに、もわもわと綿のように仮骨ができているのが映っていた。
 ドクターは嬉しい声で、「じゃあ今日から、ギプスは外して、別の装具をつけて、それから松葉杖を1本にしましょう。良かったですね」とおっしゃった。

 ぼくは即座に、「いえ、1本も松葉杖は使いません。松葉杖は、今日、お返しします」と答えた。
 杖が1本になっても、ギプスを外した右足を加えると、つまりはまだ、3本足じゃん。


▼…ドクターも療法士さんも、最初は目を丸くしていたけれど、やがて許してくれた。
 ぼくは、ほぼ2か月ぶりに、2本足に戻って、病院から羽田空港へ向かった。
 大阪の近畿大学経済学部で、日本国の現在と未来そのものである学生たちに、国際関係論を講ずるために。
 国際社会でわれら、どう生きるか、それを通じて、祖国を論じるために。

 足は少々痛むけど、それよりも、歩き方というやつを身体が忘れているのに、驚いた。
 療法士さんから「歩けなくて、きっと、びっくりしますよ」と予言されていたとおりだ。
 やがて、ギプスの代わりに靴の中に入れた装具が固くて足を柔らかく蹴り出すことができないせいもあると、そう気づいた。


▼ぼくは3本足の時代に、この目で見たことを忘れない。
 この祖国で、ずっとずっと不当に傷つけられている、ハンディを背負ったかたがたに、ぼくが生きている限り、思いを致すために。

 そして、この祖国が忘れ果てたものを、取り戻すために。



▽写真は、独立総合研究所の若き研究員たちと訪れた、北海道の洞爺湖半にて。
 来夏の洞爺湖サミットに備えて、テロリズムを阻むための案を練る出張でした。

 ああ、北の空に吼える、わが懐かしの松葉杖っ。



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