On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2014-03-09 04:49:11

その蒼穹(そうきゅう)で、人生が変わった




▼いま3月9日・日曜の午前4時48分、雪道の札幌市内を走るタクシーの車内にいます。
 北海道テレビの「朝まで生討論」に参加した帰りです。ホテルへ戻ります。
 このあと午前6時半には、そのホテルを出て、四国の松山へ向かいます。

 おととい7日金曜にも、早朝6時半に東京を出発し、青森県三沢の航空自衛隊基地でF2戦闘機に乗り、深夜に帰京し、戦闘機の巨大なG(重力加速度)に耐えた疲れを癒やさないまま翌日の8日土曜に飛行機に乗り、札幌へ。
 そして北海道テレビの徹夜の生放送に出て、間もなく松山へまた飛ぶのですから、無茶ら苦茶らな日程です。

 しかし正直に言います。戦闘機に乗ってみて、自分でも「心身ともに、ふつうの体力じゃないな」と、実は思いました。
 独研(独立総合研究所)の総務部が「社長は死なない」と思い込んでも無理はないナァ。


▼F2戦闘機に搭乗したとき、飛行隊長が、一切の遠慮なく戦技訓練をそのまま実施してくれて、8Gに耐えながらのドッグファイト(戦闘機同士の空戦)の実戦訓練にいわば参加することができました。

 ぼくは( ただのアマチュアですが )レーシングドライバーとして首や腰を鍛えてはいることと、物見遊山ではなく自衛隊の正面装備の国産化を進めるために現場を回っていることを、飛行隊長も、その上官の将軍たちもよく理解されていました。
 そこで事前に、「通常の体験搭乗と違って、本物の戦技訓練をやろう」と決めてあったそうです。

 F2戦闘機が離陸して、最初に大きな負荷が掛かったのは4Gでした。
 自動車のF1マシンの最大Gが大体、これぐらいですが、それは横Gであって、戦闘機のように縦に掛かる巨大なG、つまり頭の中を含め上半身の血を一気に滝が落ちるように下げてしまうGというのは、もちろん初体験。
 しかも、ぼくの乗っているレーシングカーでは、3Gぐらいまでです。

 ところが、腹筋に力を入れるだけで、ほぼ楽に耐えられました。自分でも意外でした。
 それを見た飛行隊長は、6G、7Gという凄絶な戦闘状況に持って行き、ついに8Gへ。
 正直、首と背骨が折れるかと思いました。必死で耐えているうちに、人生が変わりました。
 まるで宇宙と一体になるかのような体験をしました。

 戦闘機に乗るには資格が必要です。航空自衛隊の入間基地でチャンバーという上空の低圧に耐える訓練を経て、資格証を交付されていました。
 そして上空で確かに低圧になったのだけど、ぼくはほとんど心身に影響しませんでした。
 また、「Gは、ほんとうはマイナスG( 降下するときの重力加速度 )の方がキツイですよ」と言われていたのですが、これも、ほとんど影響されなかった。
 7G、8Gは、「ふつうなら吐くのはもちろん、失神するか、下手をすると命に関わるだろうな」と上空で実感していました。
 地上に降りてから、「われわれ戦闘機乗りでも、あそこまでやると、まず世界が色を失ってグレーになり、そのままブラックアウトすることがあります。目が開いたまま、真っ暗闇になるんです」と、ある将軍から言われました。
 しかし、ぼくは8Gという地獄のさなかでも、雪雲のうえに開けた真っ青な天球の色が美しく見えていました。

 詳しくは、次回の独立講演会で話します。(ここです)
 また、会員制の東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)で書きます。(ここです)

 ただ、人生は確実に変わりました。
 きょう北海道テレビの徹夜放送に出るとき、「青山さんといえども、8Gに耐えた疲れは出ますよ。ふつうの疲れとはまったく違います」と将軍に言われたことに、やや近い体調でした。
 それでも、魂の底に、あの蒼(あお)さがありました。

 きょうも祖国の空を護っている戦闘機乗り、それを地上で支える数多くの自衛官たちに感謝しつつ、さぁ、今はホテルですが、もう出発の準備です。


*写真は、ある関係者が、ぼくの預けた携帯で撮ってくれたF2の滑走です。
 前は、ぼくが後席に乗る隊長機F2B、うしろは、戦技訓練で敵機の役を務める航空自衛隊一尉(国際社会では大尉)のF2Aです。
 雪の三沢基地を飛び立つために、速度を急激に上げる直前です。
 いずれ、ほかの写真、たとえば空中での写真も公開します。
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