On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2014-04-05 09:35:24

世界のひとつひとつの光景が胸に沁みいる

(*海外出張中に、モバイル・パソコンが壊れることは、大きなリスクのひとつです。
 下掲のエントリーは、その恐るべき事態が起きて、1日がかりで緊急対策をおこない、いったん消えていた内容を恢復してアップした書き込みです。
 そもそも、ぼくの使うモバイル・パソコンは、あまりに過酷な、休みなしの使用によって通常よりずっと早く壊れます。
 いわば、ぼくのかわりに壊れているようなもので、パソコンに本気で同情しつつそれなりの備えもしているのです。
 けれども、いざ突然に海外で壊れて、独研(独立総合研究所)の「情報システム管理部員」を兼ねる研究員が同行していないときは、かなりの重大事態になります。
 今回も、どうにか緊急対策が奏功して、まぁ地獄には墜ちずに済んだというところかなぁ。



▼4月4日の金曜からフィンランド出張に出ています。
 北欧には、スウェーデン、デンマークには、原発テロリズムという深刻な脅威への抑止や、新エネルギーの調査・研究で繰り返し出張していますが、フィンランドはこれが初めてです。
 フィンランドは、世界でもっともロシアと向き合ってきた、ないしは戦ってきた国です。
 そういう意味では、いわば「隠れた注目国」のひとつだと、ぼくは考えています。

 訪れてみると、スウェーデン、デンマークにはない、ロシアの気配がありありと感じられ、思った以上に、ほかの北欧諸国と違います。
 やはり現場を踏んで踏んで踏み抜く、というのがぼくの仕事のいちばん大切な基本であり、ささやかな生き方だなぁと、あらためて今、ヘルシンキの未明3時過ぎに考えているのです。


▼ヘルシンキに到着してまもない、現地時刻4月4日金曜の午後に、ちょっと街に出てみると「あっ、あ~」と若い女性から声を掛けられました。
 雰囲気からして観光客じゃないので「こちらにお住まいですか」と聞くと、「そうです。青山さんに会いたかったんです。まさか、この角で会えるなんて」ということでした。

 がんばれ、日本女性。
 世界でも、祖国でも、日本女性の役割はほんとうに大きい、尊いといつも考えています。
 そして、われら日本男児も、大和撫子と一緒に、踏ん張りましょう。


▼常夏のハワイ州オアフ島真珠湾のアメリカ太平洋軍司令部への出張から、一転、北極圏に近い地への出張ですが、それはまったく心身ともにOK。
 このまま宇宙へ出ても、海中へ潜っても、いいんだけどなぁ…。




*おおいなるシベリアの上空をひたすら越えていく。
 機中では、まさしくずっと仕事。フライトではなく、時差でもなく、この仕事オンリーに疲れるけど、機中では邪魔もされないというか、さまざまに押し寄せてくる連絡が入らないから、仕事は進む。
 ただし原稿は1字も書く時間はなかった。
 たまりにたまったメールへの対応だけでフィンランドに到着してしまった。それも講演の参加者らから頂いたメールなどには一つも対応できず、仕事のメールに次々に返信を書き、送信待ちにしておいて、フィンランドに着いてから送る。
 ああ、早く思い切り、原稿だけを書きたい。
 小説新作の仕上げと、「ぼくらの祖国」(扶桑社、例えばここです)の続編、いや正編の「その時が来る 祖国は甦る」(扶桑社)の原稿を、心おきなく書きたい。



*ヘルシンキの港には、巨大な砕氷船の群れが停泊している。
 世界の寒いところも、あちこち訪ねてきたけど、こんな光景は初めて見た。
 手前の古い建物は、なんとカジノらしい。まだまだ凍えるような風の吹く早春のヘルシンキ、カジノも港も、ただ閑散としている。
 にぎやかな場所よりも、なぜかこんな場所こそがいつも、魂に刻み込まれる。



*ヘルシンキの街並みは、おなじ北欧のストックホルムやコペンハーゲンと似ているようで、違っている。
 第二次世界大戦では、連合国の一員のソ連と戦ったために、日本と同じく敗戦国となったフィンランド。その長く険しい道のりに積み重ねられたつよさも感じる。
 敗戦とは、頭を垂れることではない。より賢く、より逞しく生きることだと語るような、独特な気配のある街だ。

 
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