On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2014-05-28 11:37:56

きょうの水曜アンカー、恐縮ながら、ぼくは居ません。

いま、海の上です。

凄絶なまでに蒼い海です。

▼ニッポン丸に乗船し東京・有明の港を出港して4日目、きょう5月28日水曜の夜明け前に、、数多くの乗客のかたがたと共にあの硫黄島の目前の海に到達しました。
 汽笛に合わせて、花を捧げ、水を捧げ、そして船内放送で、乗客のみなさんに祈りと、ささやかな提案などなどをお伝えしました。
 船内のホールではすでに一度、つたない講演を行い、今日の夕方に二度目、明日に三度目の講演を行います。
 この連続講演の通しタイトルは「海から祖国は甦る」です。すべて硫黄島をめぐる真実を基に、お話ししています。

▼この航海については、ここ「On the Road」の次のエントリーでも、すこしだけ触れようと思います。
 また来週、6月4日水曜の「スーパーニュース・アンカー」(関西テレビの報道番組)では、動画とともに生放送でお話しできると考えています。

▼さらに、いちばん詳しくお話しできるのは、次回・第30回の独立講演会です。
 独立講演会は、独研(独立総合研究所)が自主開催している講演会です。
 時間無制限でスタートし(いまは聴衆のご健康を考えて原則4時間半~5時間ほど)、ありとあらゆる質問に答えるのが特徴です。
 現在、その第30回分の申し込みを受け付けています。ここです。
 さほど日を置かずに、この受け付けは終了します。


*写真は、夜明けの硫黄島です。
 先の大戦でも最大の激戦地だった硫黄島は、今も立ち入り禁止の島です。
 ぼくは7年半ほどまえ、防衛庁(当時)と自衛隊のいわば良心派の理解のもと許可を得て、硫黄島に入りました。
 船上から、久方ぶりに英霊のかたがたと再会しました。
 この硫黄島に、いまだ1万1千人を超える英霊が取り残され、故郷に帰れないままです。
 そのすべての英霊を、やっと故郷に取り戻す政府方針が出されたときに、こうした航海の機会を得たのも、天の差配としか思えません。

 写真の上部は、ニッポン丸のデッキの一部。
 右に見えるのが、アメリカ軍の艦砲射撃と爆撃で火口の半分を失ったままの摺鉢山(すりばちやま)です。

(船内のネット接続のスピードが遅いので、写真のアップは遅れます)
→ようやくアップできました。

  • 前の記事へ
  • 記事の一覧へ
  • 次の記事へ
  • ページのトップへ
  • ページのトップへ