2020-02-19 15:39:46
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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Comments (1)
日々いただく尊いコメントをめぐる、ありのままのこと
▼よくあるのは、どうして同じ人だけコメントを公開されるのかという質問です。
分かりますよ、分かりますが、そういうかたがたはそもそもコメントの数がとても多いのです。
だから全部はまったく公開していません。
同じ人だけ選んでいるというのは、こちらの作業をご存知ない、そりゃご存知ないですよ、だからクレームなどではまったくありませんが、純然たる誤解です。
そして同時に、沢山のコメントを日々、くださるかたがたにとっては「自分のコメントのうち、あるコメントは公開され、あるコメントはなぜ公開されないのか」という不満や疑問を生むわけです。
これも分かります。
したがって、ぼくはその間に挟まるしかなく、もともと深くて重い日々のストレスの上に、しっかりとさらに、乗っかるわけでアリマス。
これは甘んじて受けます。ぎーんとなることを自分で選択したのですから。
▼いつもいつも申しているように、すべてのコメントを見ています。
民意にちゃんと向かいあうことは、決定的に大切ですから。
タイトルにあるように、コメントはほんとうに尊いのです。
コメントがあると無いのとは大違いです。日々、さまざまに気づかせてもらっています。毎日の任務のなかで、コメントをすべて見ることは最も重要な任務のひとつです。
しかし事実とまったく違う、違背することを、意図せず、あるいは意図して書いてあったり、他のサイトに誘導しようとしてあったり、ぼくと関係のない他の人や組織に対する非難があり、その非難が当たっているどうかをまったく確認できなかったり、あるいは、さまざまなひとの主張を信じてほしい、広めてほしいという要望も沢山、来ますが、その主張が正しいかどうかをひとつひとつ確認することは、ぼくも24時間と365日だけしかありませんから、それはまったく不可能そのものです。
コメントの公開、非公開の作業をせずに、全部をそのまま公開すると、上記のようなコメントがどっとそのまま出てくることになります。
だからコメントを公開する以上は、どうしても振り分けを公平、客観的にやることが必要になります。
しかもそれは、ぼくに対する単なる中傷誹謗、嫌がらせ、あるいは大きな組織が充分な資金を投入している工作活動によるコメントは除いての話なのです。
みなさんの善意、志、まっとうな疑問や質問、それらに基づくコメント群だけをみても、公開・非公開の仕分けをしないと、公開すべきではないコメントが、ぼくがそれなりの努力で長年、維持してきたブログを通じて、出てしまうことになるのが現実です。
▼自分がやめたい、やめたくないで、判断はしません。
すくなくとも、国会議員で居るあいだは、自分の気持ちを基準にはしません。
しかし、ほんとうに、あなたさまに問いたい。いや、お聴きしたい。
ぼくになにをいちばん、して欲しいのですか。
あなたのコメントを公開して、喜んでいただくことでしょうか。
分かりますよ、分かりますが、そういうかたがたはそもそもコメントの数がとても多いのです。
だから全部はまったく公開していません。
同じ人だけ選んでいるというのは、こちらの作業をご存知ない、そりゃご存知ないですよ、だからクレームなどではまったくありませんが、純然たる誤解です。
そして同時に、沢山のコメントを日々、くださるかたがたにとっては「自分のコメントのうち、あるコメントは公開され、あるコメントはなぜ公開されないのか」という不満や疑問を生むわけです。
これも分かります。
したがって、ぼくはその間に挟まるしかなく、もともと深くて重い日々のストレスの上に、しっかりとさらに、乗っかるわけでアリマス。
これは甘んじて受けます。ぎーんとなることを自分で選択したのですから。
▼いつもいつも申しているように、すべてのコメントを見ています。
民意にちゃんと向かいあうことは、決定的に大切ですから。
タイトルにあるように、コメントはほんとうに尊いのです。
コメントがあると無いのとは大違いです。日々、さまざまに気づかせてもらっています。毎日の任務のなかで、コメントをすべて見ることは最も重要な任務のひとつです。
しかし事実とまったく違う、違背することを、意図せず、あるいは意図して書いてあったり、他のサイトに誘導しようとしてあったり、ぼくと関係のない他の人や組織に対する非難があり、その非難が当たっているどうかをまったく確認できなかったり、あるいは、さまざまなひとの主張を信じてほしい、広めてほしいという要望も沢山、来ますが、その主張が正しいかどうかをひとつひとつ確認することは、ぼくも24時間と365日だけしかありませんから、それはまったく不可能そのものです。
コメントの公開、非公開の作業をせずに、全部をそのまま公開すると、上記のようなコメントがどっとそのまま出てくることになります。
だからコメントを公開する以上は、どうしても振り分けを公平、客観的にやることが必要になります。
しかもそれは、ぼくに対する単なる中傷誹謗、嫌がらせ、あるいは大きな組織が充分な資金を投入している工作活動によるコメントは除いての話なのです。
みなさんの善意、志、まっとうな疑問や質問、それらに基づくコメント群だけをみても、公開・非公開の仕分けをしないと、公開すべきではないコメントが、ぼくがそれなりの努力で長年、維持してきたブログを通じて、出てしまうことになるのが現実です。
▼自分がやめたい、やめたくないで、判断はしません。
すくなくとも、国会議員で居るあいだは、自分の気持ちを基準にはしません。
しかし、ほんとうに、あなたさまに問いたい。いや、お聴きしたい。
ぼくになにをいちばん、して欲しいのですか。
あなたのコメントを公開して、喜んでいただくことでしょうか。
武漢肺炎によるオリンピック中止について【行木康夫(なめきやすお)】
2020-02-21 23:54:45
上皇陛下が譲位された理由は、オリンピックを誘致でき、国が高揚していく時にご自分の体調の為に国全体が沈み込んではならないとのご配慮からに違いないと思います。
習近平に配慮すべきなのか、上皇陛下に配慮すべきなのか、もしもオリンピックが中止する事になれば、安倍政権は終わりです。やらねばならない憲法改正をできずにです。政治は結果的にですから。
上皇陛下のご決断を無駄にしない為にも、直ちに中国人の入国を禁止すべきです。 とメールしました。
臣民たる安倍総裁、総理にお伝えください。
とっくにやられているとは思います。が黙っていられません。