On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-05-06 15:44:09
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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不安

▼今日未明に、以下のようなごく短い記事をアップしました。

『夜中の三時になっても・・・懸命に、そしてしっかりと問題提起をしてこられるひとが居る。
 これ以上の希望はありません』

 すると「不安になる。それしか希望は無いのですか」という趣旨 ( 原文のままではありません ) の書き込みを、おひとりですが、いただきました。

▼正直、書いたあとにちょっとだけ懸念したのです。
「これ以上の希望はありません」というのは「至高の希望です」という積極的肯定を強調する文章なのですが、否定的に捉えるかたが居ないかな、と。

 いま、コロナ不安という言葉が社会にあります。
 当然の不安だと考えます。
 また、不安は、否定されるべきものではありません。
 にんげんの高度な知性の発揮として、不安があります。不安があるからこそ、備え、戦い、超克することができます。
 誰にとっても苦しい「痛み」も、逆にそれが無ければ人間も動物も、傷にも病にも気づかず死に絶えるのと同じです。
 不安を否定するのではなく、しっかり活かすこともまた、危機管理の知られざる王道です。

▼きょう未明の記事について、否定的に捉えた方がいらっしゃったのは、ぼくの文章の問題もあります。
 この時機ですから、もっとふつうに「至高の希望です」と書くべきでしたね。
 そのように書くと、なにか偽善的に思えたので、「これ以上のものは無い」という書き方にしたのでした。

 そのうえで、コロナ不安、ぼくの表現では「武漢熱がもたらした不安」も、背景としてはあるのではないでしょうか。

▼もうこの先は蛇足だと思いますが、ぼくは未明に感激したのでした。
 いま、この地味ブログに寄せられる声、コメントの圧倒的多数が、要求です。
 そして少数のものとしては、要請や願いがあります。
 ほとんどが要求です。

 3年10か月前におのれで決めて今、国会に居る以上は、至極当たり前のことです。
 全てのコメントを、中傷誹謗と工作活動を除けば、克明に読んで頭に入れ、行動すべきは今、ひとつづつ行動に移しています。

 コメントの中には、たとえばタイトルを見ればさすがにギョッとするような否定的にして激烈な調子のものも数知れず、あります。
 しかし冷静に中身を読み進めば、まさしく尊い問題提起であることが多いのです。
 まさしく、その中身が精緻であること、公平であること、充実していることに感激して、おのれを励ます意義も込めて、上掲のように記したのでした。

 不安のコメントをくださったかた、おそらく女性ですね、よく分かります。
『国会として、政府与党として、希望を国民につくるのが務めでしょう。それが、コメントだけが希望みたいなことを言わないでほしい』・・・こういう感じもあるのではないでしょうか。
 きっと上述を読んでいただければ、もう分かってくださったのではないかなと考えています。
 おのれの日夜の任務を辛うじて果たすために、日本の主人公 ( 主権者 ) に具体的な希望をつくるために、おのれを捨てて伏して這って進みつつ、同時に、みなさんから寄せられる厳しい声もまた、至高の希望ですという意味です。

 午後の時間になった今あらためて考えてみても、やはり「これ以上の希望はありません」と感じます。

★ふだんから ( 僭越な物言いながら ) ぼくのあとに続く、異業種の人よ出でよ、と呼びかけ続けています。
 したがって、ぼくの発信は、その異業種のひとに参考にしていただくための発信でもあります。

 以下は、そういうかたがたにすこし聴いてほしいのです。

~ 強大な権限を持って頭もいい行政官 ( 官僚 ) 群と対峙し、連携すべきは確実に連携し、国政に臨むには、行政官を納得させるだけの「現場から得た知見と、それを整理・昇華した哲学と自分なりの方法論」を持っていることが不可欠です。
 そして、それだけでは国会議員になっても精神的に潰れてしまいます。
 異業種のひとが、もともと専門分野を持っていれば持っているほど、もう面倒くさい議員などさっさと辞めてその専門分野に戻りたいという心境に陥るでしょう。
 なぜか。
 主権者の当然の権利として、自分にできる範囲も超えて、さまざまな要求が昼夜を問わずやって来るからです。
 それに耐えて、おのれを捨てられるかどうかです。
 国会議員といえども、多様な仕事、任務のこなし方があります。
 だから、ぼくのこうした考えも、あくまでひとつの考えに過ぎません。
 同時に、国会議員は本来、ボランティアであり、それもいちばん厳しい、苦しい立場のボランティアでなければなりません。
 ぼくの「異業種のひとよ、出でよ」の呼びかけは、このふたつ、「行政官も納得させる高度な現場体験と専門能力」、「どんなに責め立てられても客観視できること」が実は条件なのです。
 これは、武漢熱がやって来るまで百回近く開催してきた、独立講演会では、なんども繰り返し、申しあげてきました。
 なぜなら、独立講演会は、わざわざコスト ( 会費と交通費、人によっては宿泊費 ) と人生のかけがえのない時間を費やして、集まってくださったかたがたばかりだからです。~

▼エントリーを短くするはずが、長くなりました。
 ここまでに致します。

 危機を超克するのは、最後は、ただひとつ、連帯です。
 連帯とは何か。
 異見は異見として一致点をどこまでもこゝろ静かに模索することです。


 
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