On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-06-26 06:35:07
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ぼくらの祖国の隠れた根っこ

 みなさん、おはようございます。
 梅雨は今頃が、折り返しですね。
 日本のすべての命を育む恵みも、その命を危機に晒す災いも齎(もたら)すのが雨です。
 ぼくの本分のひとつである国家危機管理の観点から、雨災害に備えています。みなさんのおひとり、おひとりもどうぞ、お気をつけて。
 そして、こゝろの健康についても、鬱陶しい天候にも、武漢熱にも負けないでください。
 梅雨はいずれあがり、終わらないパンデミックはありません。

 ゆうべにお約束した「もうひとつ根本的なこと」を今朝も国会に出るまえに、申しあげておきたく思います。

▼ぼくら日本人の根本理念は、遙か古代にまで遡り、仁徳天皇の御代(みよ)にあります。
 それが民の竈(かまど)の逸話であることは何度も申しましたから、ここでは、その中身はもう繰り返しません。
 ただ今一度、一緒に考えたいのは、日本書記の簡潔な記述の背後にあるものです。
 それを、人間にとっていちばんの宝物である想像力を駆使して、見つけたいのです。

▼仁徳天皇は、今に続くわたしたち庶民の暮らしをお知りになろうと、民の竈、すなわち台所から上がるはずの煙に着目されました。
 これは炊煙ですね。
 食事をつくるため、ごはんを炊くための煙です。古代ですから、ごはんを炊くためなら必ず煙が上がったから、それが上がらないということは、民が食事をとれない情況にあることを見抜かれたということですね。
 ここまでは、いつも語られることです。
 きょう考えたいのは、その先というか、この奥なのです。

▼陛下がご覧になった国民の家々は、みな同じだったでしょうか?
 みな同じ暮らし向き、同じ事情だったでしょうか?
 古代の社会は、現代社会ほどには複雑ではなかったのは事実と思われます。特に近代に至り英国に端を発した産業革命によって資本主義が興り、それが明治維新のあと日本にどっと入り込んで格差が広がり深まって、社会に生きる国民の事情が格段に多様になったのも事実です。
 しかしそれでもなお、古代の民がすべて同じ暮らし、事情だったとはおよそ考えられませんね。

 なかには、たまたまその日、炊事をしなかった家もあるかもしれないし、自分の家は食べ物があるのを周りに気づかれないように煙が上がらないように工夫し隠れて食べていた家もあるかも知れません。単に不在の家もあったでしょう。
 肝心なことは、その先です。
 仁徳天皇は、そうした個別の事情は一切、関係なく、すべての民を同朋、はらからとして扶(たす)け救うことを即断されたのです。
 いわば無条件に、すべての同朋を救う手段として「租税の一時全面停止」を選択なさったのでした。

▼学者のなかには「仁徳天皇は実在せず、民の竈も日本書紀の創作」と主張する人もいます。
 そもそも学者とは、他と違ったことを述べたり論文に書いたりすることによって、その職を保つ立場です。長年、多くの学者の方々と議論し、学会への出席と発表を共にして、それを実感してきました。
 だから学者はおのずから、さまざまに主張されます。不肖ぼくは仁徳天皇は実在し、民の竈も実際にあった出来事と考えています。

 しかし、もしも仮に想像上の出来事、つくられたエピソードであるなら「もっと凄い」と申し続けています。
 なぜなら、それは日本の理念を積極的に創った営為に他ならないからです。

 個別の事情をあえて勘案せず、すべて同朋、はらからとして、まず天皇陛下御みずから犠牲を払われ、税収のないことによる宮殿の雨漏り、塀の崩れ、食の窮状、衣服の破れを甘んじて受けられつつ、同朋を等しく救おうとされたことこそ、日本の理念です。

 民を一切、区別しないという、そのことは、あまりにも奥深くわたしたちに根差しているから、民の竈のその部分に気づきにくいだけです。

▼今回、中国発の武漢熱によって国民に生じた未曽有の困難に際して、日本のまつりごと(政)がおこなったひとつが、国民への給付金です。
 当初、安倍総理が選んだのが「特に困窮した人に限り、30万円を給付すること」でした。
 これは民の竈に置き換えてみれば、家々を一軒一軒調べて歩き、事情を調べてから扶けるかどうかを決めるというやり方になります。
 時間がかかりすぎるという間違いにも引き起こしますが、それだけではありません。
 民を区別せず、という根幹を誤ることになったでしょう。

 それを全国民一律10万円給付に、安倍総理の決断によって切り換えたことは「時間がかかり過ぎる」という問題を克服するだけのことではありませんでした。
 民を分けない、すべて同朋、はらからであるという日本の理念に立ち戻ることでもありました。
 それに気づきにくいだけであり、根っこには確実に、これがあります。

 ぼく自身、そして代表を務める議員グループ「日本の尊厳と国益を護る会」(護る会)はずっと「一部の国民ではなく、全ての国民へ一律給付を」と主張し続けました。
 オールドメディアは、ここからの転換を「公明党に言われたからだ」と推測し、それが確立された事実かのように報じ続けています。
 ぼくという国会議員はこの世に居ないことにするのが、産経新聞などごく一部を除き、特にテレビでは今も絶対多数派ですから、上記の主張は、護る会の存在ごと無かったことにされるかのようです。

▼しかし、これまで明らかにしなかった事実をひとつ、述べれば、安倍総理におかれては「全国民に一律10万円」に切り換える前に、不肖ぼくに電話をしてこられました。
 時効と言うにはまだ早いですが、その電話の一部だけ明かせば「いったん決めて予算案まで組んだ限定30万円を、一律10万円に切り替えても、ほんとうに国民に理解されるか」という問いでした。
 ずっとお話しをし続けてきた「一律給付」について、人の話を聴く良い耳をお持ちの安倍晋三内閣総理大臣が受け容れを決断される瞬間でした。

 そしてそれは、民を分けない、はらからを区別しないという日本の原点に回帰する瞬間でもあったのです。
国内に居る、海外に居る、それがどうして区別の理由になるでしょうか。
 拉致被害者を全員救出する根っことも、まさしく深く繋がっています。

 海外の同胞への一律10万円給付にも、ずっと取り組んでいるのは、これが土台です。そして動機です。
 さまざまな課題を同時進行させていると、心身ともに、おのずから疲弊します。にんげんには、誰でもいつでも24時間しかありません。
 そこに、政も官も顔を背けて避けて通るこの課題をさらに加えると、必ず、苦しくなります。
 みなさんは、ほんとうにお察しが良いですから、沢山の心配をいただきました。
 魂から、ありがとうございます。

 しかし大丈夫です。
 日本には恵みの雨が降り、その雨の功罪を知り、ただ淡々と、天命を往きます。




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