2020-07-06 22:35:32
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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実際、滅茶苦茶な報道ぶり (推敲しました)
▼きょう7月6日月曜の夕刻に開かれた、自由民主党の外交部会・外交調査会の全体会議について報じる記事を、ふたつほど眼にしました。
いま夜の10時半過ぎです。会議が終わってから、すでに4時間ぐらいが経過しています。取材する時間は充分にあったはずです。
記者を19年近く務めた経験からして・・・という言い方は、ほんとうは決してしたくないけど、あえて申さざるを得ません。
きみたち、いったい何をどう取材してるのか?
▼ひとつの記事は、見出しに「紛糾」とあります。
この記事は、参考情報としてあるところから送られてきたものです。どこの社の記事かは分かりません。ただし、実際の報道記事であることは間違いありません。
見出しの全文は「習訪日中止要請をめぐり自民党外交部会紛糾」です。
事実は、全く紛糾などしていません。
なぜか。
外交部会などの役員会が決めた、中国に対する非難決議案、それを支持する発言をする議員が圧倒的に多く、決議案のポイントである「習近平国家主席の国賓訪問については、中止を要請する」という文言の修正を求める意見は、ごく客観的にみて非常に少なく、また激昂して修正を要求するような発言はただのひとつも無く、「できれば考え直していただけないか」といった調子であり、どんな意味でも紛糾する場面など,一切無かったからです。
▼その記事には、「原案にあった『国賓訪日について中止を要請する』との文言に、中国との太いパイプを持つ二階俊博幹事長サイドが反発し、議論は2時間続いた。最終的に中山泰秀部会長に対応を一任し、『中止』の文言を残したうえで表現を微修正することとなった」とあります。
これこそ虚報の典型です。
なぜそう言わざるを得ないか。
その「微修正」とは ( 仮に修正があるとしても ) 国賓訪日の中止を要請する理由に、「香港だけではなく尖閣諸島の領海侵犯や,ウイグル、チベット、南モンゴルでの人権侵害も入れるべきだ、特に尖閣は必須」という意見に基づく修正であり、まるで方向が逆です。
むしろ「中止」を強化する修正なのです。
中止という文言を弱める方向とは、真逆そのものです。
▼こうなると、誤報と言うより、どうしても「自由民主党の外交部会が、二階幹事長によって腰砕けとなった」、「習近平国家主席の国賓来日の中止を要請となっていたのを、引っ込める」としたい作為、いずれも事実とまったく違うのに、そういうことにしたいがための虚報に見えてきます。
あるいは、その作為が無いとしても、いわゆる親中派の議員だけに取材して、その言うとおりに記事を書くという、本物の記者なら絶対にやってはいけないことをやっている恐れが充分にあります。
▼もう一本は、時事通信のネット版で見た記事です。
これも「部会の議論は、二階派の圧力で、中止という文言を変えるということになった」としか読めない記事です。
一読しただけで、その二階派の議員にしかほぼ話を聴いていないのだろうと想像できる記事です。
二階派の議員の発言は、たった5人でした。「中止を変えるな」と発言した議員が20人前後いたのに。
ちなみに、その二階派の議員についても、二階幹事長ご自身が何かを指示したということは無いだろうと考えています。
現実の部会は、中止という文言を変えることになどなっておりませぬ !
この記事は「部会はそうでも、やがて潰されるだろう」と書いているのではありません。「部会で、中止という言葉は潰されると決まった」という趣旨を書いているのですから、確実に、誤報です。
★こういう出鱈目な記事が、実際の外交部会・外交調査会の全体会議の結果をねじ曲げることにならないか、それを思わず心配するぐらい滅茶苦茶です。
曲学阿世 ( きょくがくあせい ) 、真理を曲げて権力におもねる学問という言葉があるけど、曲報阿世という新語を創りたくなる。
まず何よりも、取材の基本と言うより、取材の根幹が分かっていない。
取材は、一方に加担する取材であってはならない。
取材は、政治的に利用される取材であってはならない。
取材は、やりやすいところに掛けるのではなく、取材しにくい、やりにくいところに掛けるのを取材と呼ぶ。
記事を書いて欲しい側にだけ聞いて、記事を書くなら、それは読者、ひいては主権者への裏切りであり、そんなことしかできないのなら・・・いや、もうこれ以上、言うまい。
つくづく、呆れ果てた。
もう勝手にせい。
いま夜の10時半過ぎです。会議が終わってから、すでに4時間ぐらいが経過しています。取材する時間は充分にあったはずです。
記者を19年近く務めた経験からして・・・という言い方は、ほんとうは決してしたくないけど、あえて申さざるを得ません。
きみたち、いったい何をどう取材してるのか?
▼ひとつの記事は、見出しに「紛糾」とあります。
この記事は、参考情報としてあるところから送られてきたものです。どこの社の記事かは分かりません。ただし、実際の報道記事であることは間違いありません。
見出しの全文は「習訪日中止要請をめぐり自民党外交部会紛糾」です。
事実は、全く紛糾などしていません。
なぜか。
外交部会などの役員会が決めた、中国に対する非難決議案、それを支持する発言をする議員が圧倒的に多く、決議案のポイントである「習近平国家主席の国賓訪問については、中止を要請する」という文言の修正を求める意見は、ごく客観的にみて非常に少なく、また激昂して修正を要求するような発言はただのひとつも無く、「できれば考え直していただけないか」といった調子であり、どんな意味でも紛糾する場面など,一切無かったからです。
▼その記事には、「原案にあった『国賓訪日について中止を要請する』との文言に、中国との太いパイプを持つ二階俊博幹事長サイドが反発し、議論は2時間続いた。最終的に中山泰秀部会長に対応を一任し、『中止』の文言を残したうえで表現を微修正することとなった」とあります。
これこそ虚報の典型です。
なぜそう言わざるを得ないか。
その「微修正」とは ( 仮に修正があるとしても ) 国賓訪日の中止を要請する理由に、「香港だけではなく尖閣諸島の領海侵犯や,ウイグル、チベット、南モンゴルでの人権侵害も入れるべきだ、特に尖閣は必須」という意見に基づく修正であり、まるで方向が逆です。
むしろ「中止」を強化する修正なのです。
中止という文言を弱める方向とは、真逆そのものです。
▼こうなると、誤報と言うより、どうしても「自由民主党の外交部会が、二階幹事長によって腰砕けとなった」、「習近平国家主席の国賓来日の中止を要請となっていたのを、引っ込める」としたい作為、いずれも事実とまったく違うのに、そういうことにしたいがための虚報に見えてきます。
あるいは、その作為が無いとしても、いわゆる親中派の議員だけに取材して、その言うとおりに記事を書くという、本物の記者なら絶対にやってはいけないことをやっている恐れが充分にあります。
▼もう一本は、時事通信のネット版で見た記事です。
これも「部会の議論は、二階派の圧力で、中止という文言を変えるということになった」としか読めない記事です。
一読しただけで、その二階派の議員にしかほぼ話を聴いていないのだろうと想像できる記事です。
二階派の議員の発言は、たった5人でした。「中止を変えるな」と発言した議員が20人前後いたのに。
ちなみに、その二階派の議員についても、二階幹事長ご自身が何かを指示したということは無いだろうと考えています。
現実の部会は、中止という文言を変えることになどなっておりませぬ !
この記事は「部会はそうでも、やがて潰されるだろう」と書いているのではありません。「部会で、中止という言葉は潰されると決まった」という趣旨を書いているのですから、確実に、誤報です。
★こういう出鱈目な記事が、実際の外交部会・外交調査会の全体会議の結果をねじ曲げることにならないか、それを思わず心配するぐらい滅茶苦茶です。
曲学阿世 ( きょくがくあせい ) 、真理を曲げて権力におもねる学問という言葉があるけど、曲報阿世という新語を創りたくなる。
まず何よりも、取材の基本と言うより、取材の根幹が分かっていない。
取材は、一方に加担する取材であってはならない。
取材は、政治的に利用される取材であってはならない。
取材は、やりやすいところに掛けるのではなく、取材しにくい、やりにくいところに掛けるのを取材と呼ぶ。
記事を書いて欲しい側にだけ聞いて、記事を書くなら、それは読者、ひいては主権者への裏切りであり、そんなことしかできないのなら・・・いや、もうこれ以上、言うまい。
つくづく、呆れ果てた。
もう勝手にせい。