On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-08-06 08:26:26
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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あれもこれもの難題に、同時進行にて取り組むしかありませぬ。これもそのひとつ、自前資源メタンハイドレートの実用化への歩みです。



 きょう8月6日に原子爆弾の犠牲になられたすべてのかたがた、後遺症に今も苦しむすべてのかたがたに、魂よりの祈りを捧げます。

▼おととい8月4日火曜に、「日本海連合」と共に、総理官邸の菅官房長官を訪ね、日本海に賦存 ( ふそん ) する「表層型メタンハイドレート」の実用化の前進を要請しました。

▼ぼくが民間専門家の時代、平成24年、西暦2012年に日本海側の知事さんたちを回って、説得に歩きました。
それが、この「日本海連合」を創立しませんかという提案でした。

 日本海には、日本が建国以来初めて抱擁している自前資源のひとつであるメタンハイドレートが賦存しています。
メタンハイドレートとは、分かりやすく言えば、天然ガスの主成分のメタンが、海底で高圧 ( 高い水圧 ) と低温で凍っているものです。
 科学の世界でも「燃える氷」と呼ばれています。

 太平洋側のメタンハイドレートが、海底下の砂層に閉じ込められているのと大きく異なり、日本海側は、海底の表面に露出していたり、そうでなくともごく浅い地層に存在したり、さらには海中に柱 ( メタンプルーム ) となって海底から立ち上がったりしています。
 メタンプルームは、おおまかな平均で、スカイツリーぐらいの高さがあります。

 このメタンプルームを海中の人工膜でつかまえれば、海底を掘削する必要がなく、環境への影響はほぼなくなる、と言うより環境を改善することが期待できます。なぜなら、自然状態ではこのメタンプルームが海面近くで溶けてメタンガスの一部が海面から大気中に出ていると考えられるからです。メタンガスは地球の温暖化を促進します。海中でつかまえれば、その分、大気に出るメタンガスが減ります。
 さらに、メタンハイドレートを実用化するコストの軽減も期待できます。漁家のかたがたとの調整もしやすくなります。

 このように海中でつかまえたメタンハイドレートは、海面上や地上に上げれば、水圧がなくなり、温度も上がって、そのまま天然ガスになります。
 もちろん実用化には、課題はさまざまにあります。ぼくらは長年、それと格闘しています。
 しかし、過疎に苦しむ日本海側の地域にとって、新たな希望への模索として、取り組む意義が充分にあります。

 また日本は永いあいだ、みずからを「資源の無い国」と思い込み、海外から資源を輸入する道をアメリカに封鎖されたために、アメリカを良く知っていた山本五十六・連合艦隊司令長官が「戦いが長引けば負ける」と考えつつも開戦に踏み切らざるを得なかったのが、わずか79年前の歴史です。
 その結果の無残な敗戦のために、たいせつな憲法に、国民を外国勢力から護る規定が一字も無いという国となり果て、それが拉致被害者の悲劇をも生んでいます。
 そして、きょう8月6日に広島、9日には長崎の、戦わざる子ども、赤ちゃん、女性、お年寄りへアメリカが人体実験の意図も込めて原爆を投下した歴史の始まりが、この「日本は資源が無いんだから、資源の輸入を止められれば戦わざるを得ない」ということにありました。
 自前資源を持つということは、当面の資源価格の上下といった短期の問題を超えて、どれほど根源的に大切か、独立国の平和を護るためにいかに重大か、それが分かります。
 日本海におけるメタンハイドレートの発見は、これまでの資源の常識を覆すものであり、ぼくらの祖国が自前資源を持つというまったく新しい希望を模索することに繋がります。

▼ところが政府は、この日本海側の「表層型メタンハイドレート」に何の取り組みもしませんでした。
 それどころか、エネルギーをめぐる巨大な既得権益、つまり日本を資源の無い国のままにして、馬鹿げているほど高い資源をアメリカの仲介で中東の独裁国家から輸入して、その価格が高いとも国民にあまり気づかせず、価格が高ければ高いほどたっぷりマージンを取れるという利権、それにどっぷりと浸かった官僚、そして官僚と癒着した一部の学者たちによって、「表層型メタンハイドレート」は事実上、無きものにされていたのです。

 これを変えるために、ぼくらは莫大な赤字を背負ってでも、日本の優秀な海洋調査船をリースして調査・研究を続けました。
 この調査・研究には売り上げがありません。売れないのではなく、最初から売る意図が一切ないのです。利益のためにやっているのではなく、日本を「資源の無い国」から脱却させること、日本海側の同胞にも日本経済の恩恵をもたらすために取り組んだからです。
 売り上げがないのだから、利益は当然、皆無です。
 ただ赤字が積み重なるだけです。
 それは覚悟の上でしたが、この民間の取り組みだけでは、実用化まで漕ぎ着けるのはムリです。

 政府を動かすことを、民間専門家として懸命に続けましたが、日本の政府がどれほど民間に冷たいかを思い知ることが数限りなく多かったです。
 また国会議員は、何も知らない議員、知ろうともしない議員が大半でした。
 例外的に、古屋圭司、新藤義孝両衆議院議員や片山さつき参議院議員が強い関心を持ってくださいましたが、拡がりはありませんでした。
 そこで、自分自身を省みて、発想の転換をしようと考えました。

▼そして考えたのが「政府が駄目なら、自治体を動かそう」ということです。
 ほかの凡(すべ)ての課題と同じく、直接行動をとりました。
 まず全国知事会長だった山田京都府知事 ( 当時 ) に何度もお会いしました。京都というところは、京都市こそ海に面していませんが、京都府の北部は舞鶴でも宮津でも、おおくの市町村が日本海に面しています。
 ぼくは、この山田・全国知事会長に「日本海側の知事を糾合して『日本海連合』という新組織を創立し、その会長になってください」と、お願いし続けました。
 さらに、前述のメタンプルームを新潟県の海、それも新潟港や直江津港に近いという好条件の海で大量に見つけていましたから、新潟県の泉田知事 ( 当時 ) とお会いし、日本海連合の事務局長になってくださいとお願いしました。
 泉田さん(現・衆議院議員)は経産省の資源エネルギー庁出身ですから、理解は早かったです。
 さらに、青森県から山口県まで12の日本海に面した府県のうち、最大の人口 ( およそ545万人 ) を持つのは兵庫県です。兵庫県は、日本海から瀬戸内海までつながっていて、瀬戸内海側に神戸や姫路といった大都市群を持つからです。
 しかしその兵庫県も、日本海側は過疎に苦しみ抜いています。
 ぼくらが香住町の漁港から早朝に、県の調査船でメタンプルームを見つけるために出航するとき、地元のひとびとが自然に埠頭に走ってこられて「あおやまさぁん、頑張ってぇ」と手を振り声を張り上げられていたお姿を思うと、いまも涙がひそかに込みあげます。
 ですから兵庫県の井戸知事にもお会いして、日本海連合の結成へ、山田、泉田両知事と強力な連携をしてくださるようお願いしました。

 そして、8年前の平成24年9月、日本海連合は「海洋エネルギー資源開発促進日本海連合」という正式名称となって発足をみました。
 この正式名称は、各県庁の自治体官僚が動いて、付けられたものです。ぼくは「長すぎる。簡潔に、印象強く、日本海連合でよいのに」と思いましたが、実際に動き出せば、なるべく後ろに下がる生き方をしていますから、そのまま受容しました。
 日本海連合の初会合が開かれるとき、この自治体官僚たちは、提案者のぼくに開催を知らせることすらしませんでした。
 したがって、初会合が開かれてずいぶん後に、ぼくは別ルートでその事実を知りました。もちろん参加も何も、できませんでした。
 しかし何も言わず、そのまま耐えました。
 日本社会において、いち民間人の提唱で巨大な自治体群が動くなど、あってはならないことだと彼らが本音では考えていることを、ありありと知っていましたから。
 官僚主義というやつは、何も中央省庁だけのことではありません。

 その後、一部の知事さんから「いくら何でもおかしいのではないか」という声が上がったそうで、日本海連合の会合にぼくも招かれるようになり、舞台の上の端っこに座り、発言もできるようになりました。

▼こうして日本海連合が発足してから、政府の姿勢は次第に変わりました。
 しかし全く不充分です。
 そこで4年前、やむを得ずぼくは、参議院選挙に参加しました。
 出馬を断り続けるぼくに、安倍総理が電話してこられたとき、「青山さんが国会に来れば、外務省が変わるな。経産省も変わる。それから自民党議員も変わる」と仰ったのは、外務省が拉致被害者の救出交渉のことが中心、経産省が表層型メタンハイドレートのことが中心、自民党議員がまず部会を中心に変わるだろうという含意でした。
 ではこの4年、経産省資源エネルギー庁をはじめ、政府の「表層型メタンハイドレート」への取り組みは変わったか。

 これが、ずいぶん、想像を超えて変わったのです。
 この4年の前進は、そのまえの例えば10年分の遅々たる歩みとは比較になりません。
 現在の令和2年度から、表層型メタンハイドレートは、単なる調査に留まらず、資源の回収と実用化の技術開発に政府と大学、研究機関、企業が連携して取り組む段階が始まっています。
 もちろん日本の歴史で初めてのことです。

▼こうしたなか、写真のように、日本海連合の現在の会長である平井鳥取県知事や、消防庁長官の時代から国民保護をめぐって不肖ぼくの盟友でもある石井富山県知事が総理官邸を訪ねられ、菅官房長官に表層型メタンハイドレートへのさらなる取り組み強化を求められました。

 ぼくも日本海連合の要請をお受けして、参議院議員として参加しました。
 不肖ぼくのすぐ右が、平井知事・日本海連合会長、その右が石井知事、さらに右が菅官房長官ですね。
 日本海連合について、かつてぼくが歩き回って提唱したという事実は、当然のことのようにオールドメディアは一切、報じません。
 だから、国民はほぼ誰もご存じないと思います。

 そして、この日8月4日も、ぼくは知事さんたちに発言はお任せして、何も発言しませんでした。
 申し入れ後に官邸ロビーであった、ぶら下がり取材も、距離を置いて、横からやりとりを黙って聴くだけにしました。
 水面下で努力するのが、ぼくの務めです。
 あの龍馬さんも、そうでした。だから無名でした。今のように国民に知られたのは、死後ながいあいだ経って、司馬遼太郎さんが「竜馬がゆく」という国民の愛読書を書かれてからのことです。
 竜馬さんとおのれを比べるなどという不遜なことは致しませぬ。
 ただ、無名で終わってよし、それでこそ日本男児であるというところは学んでいます。

 知事さんたちによる要請が終わって、実務の核となる『政府要人』であって超多忙な菅官房長官が部屋を出られるとき、急にぼくに向かって「あなたはずっと前から、これも、やっておられるからね」と言われました。
 苦労人で情報通である菅さんは、なんらかの経緯をご存知なのかもしれませんね。
 ぼくは何も申さず、黙ってすこし頭を下げて、謝意をお示ししました。



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