On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-08-13 09:43:14
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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物書きのジレンマ

 きょう8月13日木曜、いつもと変わらず行動はしていますが、気持ちはみごとに沈んでいます。

 子どもの頃から文章を書いてきました。
 わが母は、人並み外れた文章力を持ちつつ、その自分に気がついていないひとでしたが、ぼくに「何かを書きなさい」と言ったことは、一度もありません。
 父は、そもそも「何かをしなさい」とは一切、ぼくに言わない寛容な父でした。

 誰にも何も言われず、自然に書いていました。小学校で出逢った先生方が、ぼくの幼い文章に強い関心を持ってくれたことは、ほぼ一生を決めたと思います。
 ものを書くだけの人生にしようと考えたことは、子どもの時から一度もないのです。しかし、どのような仕事をしようとも、同時に、職業としての書き手でもいようと勝手に決心していました。

 人生がこんなに苦しいだけの日々になることがあるとは、みなさんと同じく、ぼくも思いませんでしたが、いくつかの仕事を両立させ、そのなかに物書きも入っていること、それは実現しています。

 ところが、です。
 その「書くということ」が妥協を迫られます。
 ぼくがほんらい目指すのは、きわめて簡にして平易な文章です。
 職業として書くということは、読者を想定することですから、伝わる、伝えることが使命です。
 そして、ぼくの中にいつの間にか生まれている信念のひとつは、ひとを分け隔てしないことです。これは父と母の家庭教育が非常に大きかったと思います。
 だから読者を選びません。
 分かるひとに分かればいいとは、考えません。
 したがって、妥協します。
 きわめて簡、というのは、いわば省略のショックを読み手に伝えることです。
 しかし省略すると、「常識ではこうあるべきだ」という読み手が必ず、現れます。特に、新しい省略の仕方を試みると、予想通りに登場されます。

 このブログも、対価をいただく書籍や、会員制レポートと全く同じく、力を尽くして一字一句を書いています。
 いろいろな文章を試みています。
 それを貫くことができません。
 読者を突き放すことは、決して、しません。
 妥協して、書き直します。
 すると気持ちが沈みます。

 こっかいぎいんという職務と、物書きという仕事はまるで違います。
 前者は、まるまる義務です。祖国と人間への志を掲げて取り組みつつ、望んでしている仕事ではありません。百パーセント、義務として取り組んでいます。
 物書きは、幼い頃から生きる理由、愉しみのひとつです。ぼくにとってのスポーツと同じです。だから妥協すると、顔や行動には表れていなくても、こゝろの奥が沈みます。

 しかしね、そういえばサーキットを走るとき、アクセルを7分ぐらいしか踏めないときがありました。
 安全への妥協ですね。
 職業としてのレーシングドライバーであったことは無いわけですから、アマチュアなりの神聖な義務として、自分の仕事ができなくなったり、ほかのドライバーを巻き込んだりする事故を起こさないという義務があります。
 それをよく理解してくれている、職業的レーシングドライバーが「アクセルだけは、フルに踏んでくださいよ」と、たった一声 ( ひとこえ ) かけてくれただけで、ピットから出て次の周回では、アクセルをフルに踏み込み踏み込み、事故も起こさない走りとなったことが、ありました。

 これをヒントに、また、文章の書き方を考えてみます。

 このブログをもっと自由にしたいです。
 ありのままに書き付けていきたいです。





 
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