On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2015-10-20 10:40:03
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (3)

文字メディアあれこれ (最後にちょっと書き足しました)

▼半死半生という言葉があるけれど、昨日から今日にかけてはまさしく、そうでした。
 ただし大丈夫。もう回復しつつあります。いま10月20日火曜の朝です。

 昨日はスケジュールとしては珍しく単純で、青森市で青森県内の町長さん、村長さん、それに一部市長さん、さらに市町村の職員さんたちが一堂に会する場で講演をしました。
 長いつきあいの、そして国士の町長さんからの依頼です。
 日本は公共高速交通網が素晴らしく発達している国です。しかし、やはりこれだけで完全に一日仕事になります。
 朝に出て、帰京は夜。
 日帰り出張が続く日々は、実は移動がいちばん疲れますね。

 それでも、これだけなら、まだ楽な日です。ふつうは帰京した後にまだ夜日程が待ち構えています。朝も東京を出発する前の早朝あるいは未明に、会合が複数、入っていたりもします。
 昨日は、こうした深夜と早朝がなくて、青森での講演だけでした。
 それでも疲弊しきったのは、ここに超至急の原稿が重なったからです。

 と言っても、常に急ぎの原稿を抱えていて、揺れるタクシーの中でも、駅のホームや空港で立っているときも座っているときも、新幹線か飛行機の座席の上でも、講演の控え室の中でも、食事中でもどこでもいつでもずっと、原稿を書き、それに加えてさまざまに必要なメールをスマホとパソコンで打ち、大事なひとには電話もし、というわけですね。
 しかし世の中に、こうやって働いている人、同じような日常の人は沢山いらっしゃると思います。
 謙遜ではなくぼくは、生来の怠け者なので、ちとたいへんかな。


▼きのうの超至急の原稿は、論壇誌「WiLL」(ワック、ここ)に連載している「澄哲録片片」(ちょうてつろく・へんぺん)でした。
 この連載では、最近は連続して沖縄について書いていて、今回のタイトルも「祖国の沖縄 その七」です。
 このところのぼくの日程の影響で、この原稿が何と、校了日を二か月連続で過ぎてしまい、編集長、担当編集者から校正者、印刷部門に至るまで、すべてのひとびとの涙が出るほどの努力、好意、配慮によって原稿を待っていただいていました。
 この原稿だから全力、こっちはちょっと手を抜いて、ということはあまりに当然ながら、これまでただの一度もなく今後もありませぬ。
 そのうえで、この連載は、ぼく自身にとってもかけがえのない連載になっています。
 読者のみなさんも、WiLLの定期購読を新たに申し込んでくださって連載を待ってくれているひとが、とても多いのです。
 全身全霊を尽くして書きます。

 青森の講演では、ふだん増して話すべき課題を多く感じていました。
 青森県には、TPPへの直接的な課題もあれば、原子力の課題も六ヶ所村、大間(おおま)、東通(ひがしどおり)といくつもあります。日本海連合に唯一、未加盟の県としてメタンハイドレートのこともあります。もちろん拉致、アベノミクスを青森のみなさんと一緒にどう考えるか、取り組むかもあり、硫黄島と白梅の塔のことも、少しでもお話ししたい。
 お許しを得て、講演時間の延長を重ねて、ようやくいくらかは話し終えて、空港に向かったとき、ぐったりしていました。
 青森空港で原稿の仕上げを急ぎ、機中でほぼ仕上がり、羽田空港で送ることができました!
 解放、と言いたいところだけど、この後も大切で、ゲラの直しです。
 WiLLのみなさんがほんとうに素早く作成してくださったゲラの直し、再校ゲラの直し、それらがすべて完了したときには、もう日付が変わって1時間半ほどが過ぎていました。


▼志に生きるWiLLのみなさんに深く感謝し、定期購読者をはじめとする読者のみなさんが心待ちにしてくださっていることにも、言葉が出ないぐらい感謝しています。
 これで無事、10月26日発売の12月号に掲載されます。


▼併せて紹介しておきます。

▽この頃、自動車関連メディアの取材を受けることも多いのですが、人気自動車雑誌の「GENROQ」(ゲンロク、三栄書房)に、ぼくがインタビューを受けた記事の前編が掲載されます。
 発売は、WiLLと同じく10月26日、やはり12月号です。

▽いま発売中の論壇誌「新潮45」11月号に、ぼくの原稿「やっとこれで安全保障の話ができる」が掲載されています。
 10月18日にすでに発売されていますから、だんだん品薄になるかもしれません。

▽「憲法改正を実現する1000万人ネットワーク」の公式HPに、ぼくのささやかな提言がアップされています。ここです。

▽「LEADERS' AWARD ~20万人の学生があこがれる経営者 」というサイトに毎年、なぜかノミネートされているのですが、次年度の2016年度もノミネートされました。
 関心のある人だけ、そのうち、上掲の公式サイトをのぞいてみてください。


▼まもなく今日は、大阪へ出発です。
 近畿大学の経済学部で、国際関係論を講じます。
 近未来を担う学生のみんなも、凄く大切だけど、この客員教授の任務はいつまで続けられるか。
 やはり移動、移動の日々だと、物書きの仕事にいちばん影響が出ます。
 もともと動くのは好きだけど、いまは正直、自宅と仕事部屋に籠もって、原稿を書きたい。
 特に、小説の仕上げですね。

 そのために、移動の必要な仕事を見直すかもしれません。
 独研 ( 独立総合研究所 ) の総務部と協議しながら…。
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韓国を笑えない【わたなべ】
2015-10-21 06:41:26
産経の元ソウル支局長の判決が気になっている。韓国民が気の毒?にも思えてしまう相変わらずの韓国内の都合。問題だとされる情報の発信1号は罪に問わず「日本人だから」「産経だから」に見える異常さは、関係改善どころか、まともに付き合えない相手と再確認するだけになってしまう。また日本政府の毎度お馴染み『遺憾』表明。これもまた堂々とした外交姿勢には見えない。
同時に訪韓する国会議員や都知事の奇妙な外交パフォーマンス。大事な議論の場だからこそ、カウンターパンチの如く、この件について主張すべきことはあるはずだ。
国民レベルで支局長を支援する声が広がる中、国民の生存を守るという基本姿勢を持っている政治家なのか、甚だ疑問だ。世界中に恥をさらしているのは、韓国だけじゃない。中国に対し懸念を伝えずニコニコしているだけの沖縄県知事同様、『日本国民は外国でのあなたの動向も見ている』と申し上げたい。それともこれもメディアのせい?
頑張れ国産【わたみ】
2015-10-20 23:56:54
青山さんのおかげでニュースの見方に変化あり。するとアンカーやコメンテーターは浅く薄い話ばかりで、「楽な商売」だと思うようになった。仕事を失わない為や騒ぎが起きない為、単なる勉強不足にも思え、年収が高いとか、有名=特権階級と言いたげにも感じる。話の締めはまるで小学校のホームルームと同じ。
長きに渡る放送事業に関わる認可。公共・中立性に欠ける現況にも疑問は多いが、認可の適不適の見直しが無いことが元凶だと思う。
そして総理発とされる『携帯事業者に向けた料金見直し検討要請』 「口出し無用」と非難もあるが、今や複数台契約の世帯がほとんどで、家計に占める割合も大きい。消費者マインドとしては『他(の消費)に回せる余裕は無い』携帯電話の普及で便利さに慣れ、コスト増は仕方がないと諦めてきたが、放送業界の腐敗に学び、魅力ある業界への進化に期待したい。同時に特に応援したい『国産』。あぁ資本主義…。
八甲田【佐野 充】
2015-10-20 17:50:48
青山さん 平成13年の9月の終わり頃に八甲田山のトンネルの掘削作業のコンベアを運んだことがあります。青森市側から八甲田山に入りましたが、愛媛の松山の工場から運びました。実は地図だけ貰って現場に着くまで、そこが八甲田山だとは知りませんでした。現場に着いて「この工事は何の工事ですか?」と訊ねてみて初めて、新幹線用のトンネル掘削工事だと知りました。八甲田山の山道に入ると、そこには野生のリスがいました。あの時は感動しました。私は長距離トラックに乗務していた事がありますが、地図を見ないで走ることが好きでしたので、道に迷う事もしばしばありましたが、その道に迷う事が楽しいとさえ思う事もありました。道に迷うと迷ったルートも覚えられました。東京と大阪では朝陽の昇りかたも違うように感じましたし、青森市内の道の駅のレストランから夕陽を見た時は、西に太陽が沈んでいるはずなのに東もしくは北に太陽が沈んでいるような妙な感じがしました。平成9年には嫁と2人で大阪から一般道で北海道に向かいましたが、実は青函トンネルは自動車も走れると思い込んでいたのです。地元のかたに「青函トンネルの入り口はどこですか?」と 訊ねますと「青函トンネルは、自動車は走れませんよ。」と 教えてくださって あの時のショックと申しますか 我が身の愚かさと申しますか、しかし気を取り直して、青森港まで向かってフェリーで函館に渡りました。その青函トンネルも来年春には新幹線が走りますね。話が飛びますけれど私は父親とは色々ありましたが、父親は映画が好きで私が中学2年の時に 映画「八甲田山」と「ミッドウェイ」を 観に連れて行ってくれました。「八甲田山」は長い映画やなぁと思いましたが、雪の中で立ちながら絶命していく兵士たちが印象に残っています。「ミッドウェイ」は、当時の大パノラマで音響効果もすごくて戦闘機のエンジン音が腹に響くような音でした。北海道からの帰りは、小樽から舞鶴行きのフェリーに乗船しましたが、そのフェリーの甲板で笑っている私の写真があります。私はその写真を見るたびに、北に拉致されている方々に申し訳なさを覚えます。私は文章を書く事は好きなのですが、小説を書く事なんて到底無理ですので、小説を書ける人はすごいなぁと思います。

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