On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2015-01-25 06:31:12
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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かんげき

▼早くもインドを出国して、コルコタから中継地のシンガポールにやって来ました。
 木曜の朝7時に東京の自宅を出て、14時間前後をかけて日本時間金曜の夜明け前、インド時間で木曜の深夜にようやくコルコタに着くと、朝からすぐ国際フォーラムに参加し、昼食も夕食もプライベートはなくて公式のランチとディナー、初対面の学者らと気を遣いながら英語で懇談し、そのなかで夕刻に英語で講演。
 すぐ土曜の朝になり、再び朝から国際フォーラムに参加。
 そして公式のディナーには出ずに、夕刻、コルコタのチャンドラボース空港に向かう。

 コルコタの空港、そしてインドの出入国はありのままに言って、たいへんに使いにくい。
 とても広いのに、ラウンジすらほとんどなく、出入国は形式に異常なまでにこだわって、長い我慢を強いられる。
 しかし、もう入国の超危機的トラブルで慣れたから、ストレスはほとんど感じない。

 それにしても、ニューデリーなどではなく、東インドのベンガル地方に来てみると、携帯電話をはじめネットの速度も信じがたいぐらい遅く、インフラの整備も遅れていて、地域格差を勉強できた。
 ここ中継地のシンガポールに来ると、突如として携帯電話の速度はたいへんに速くなり、手続きもかなりスムーズになる。
 日本とインドの連携が絶対不可欠だけど、他のたくさんの側面も含めて、負荷の掛かる場面はこれからも、いや、これからこそ多くなると実感できました。


▼ぼくの講演は、国際フォーラム初日のラスト、時間も夜7時ごろからだったけれど、もの凄い反響で驚きました。
 涙ぐむ人が壇上から何人も見えて、そして話している途中に海鳴りのような拍手が何度も湧きました。

 ぼくは、たとえば武士道の書、「葉隠」や、(ヒンズー教の国インドで)キリスト教の聖書から、言葉を引き、日印の新しい連携の根っこになるべき文化を語り、そして日本軍と連帯してインド国民軍を創設したチャンドラ・ボースさんや東京裁判で日本無罪を説いたパル(一般的にはパール)判事の遺した事実に触れ、フェアな歴史研究とメタンハイドレートを含む科学技術連携、経済連携などを話しました。
 ここまで反響があるとは思いもしませんでした。

 講演後に、たくさんの人、インド人やアメリカ人、パキスタン人、バングラデシュ人、日本人らが駆け寄ってきて、ぼくの手を取り、なかには涙声で抱きついてくるインドの男性もいらっしゃった。


*
 日程は厳しくとも、感激で、魂が潤いました。
 さぁ、日本へ帰ります。
 まもなくANAに搭乗です。て言うか、遅れそ~。
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