2016-03-01 11:30:34
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (20)
世界はやっぱり悲痛苦と愛のワンダーランド (一点、訂正し、すこし書き加えました)
▼いまパリ時刻3月1日火曜の未明3時30分です。当たり前だけど真っ暗で、そして冬のパリはほんとうに寒いです。
日本では同じ日の昼前ですね。こうやって日本が活動しているから、こちらも起きないわけにいきません。
東京からパリまで、今回の往路は12時間半ぐらいでした。
凍てつくシベリアを越えていくとき、ずっと揺れていることもあるけれど、今回はまったく揺れず、機中で仕事はやりやすかった。
ほんとうは、せっかく揺れないんだから休みたかった…。CA (客室乗務員) にいつも通り同情されてしまいました。
今回は独研 (独立総合研究所) からの同行者は2人、ぼくの席の周りを固めていましたが、ふたりともぐっすり眠っていて、ちょっと安心だった。
ふたりは今、ホテルでもゆっくり眠っています。そうしないと、この強行日程では身体も心も持たない。パリの夜明けまでにはまだ時間があります。
▼パリに着くとすぐ、去年11月13日のあの凄惨なテロ現場をすべて回りました。
この日、最初の自爆テロは巨大なサッカー競技場の「D」入口。午後 (午前と記したのを訂正します) 9時20分に、この入口から入場しようとした男の身体が爆発しました。
そこから同じ競技場の「H」入口、下町のただのカフェ、レストラン、マクドナルド、ピザ屋さん、日本料理店 (「ただし経営は中国人だと広く知られていたから、日本が狙われたわけじゃないよ」と回りの住民は話していました) が自爆テロや軍用カラシニコフ銃の乱射で襲われ、さらにロックコンサートを開いていたコンサートホール (伝統あるバタクラン劇場) で若い聴衆が乱射で大量虐殺され、あわせて130人ほどの命が奪われました。
いま後遺症に苦しむひとを含めると、想像を絶するたくさんの人生が奪われたのです。
この現場をひとつひとつ、回り、傷の癒えない人々から話を聞きました。フランスは英語が通じないことが多いので、そこはかなりの難しさです。
あまりにショッキングな事件から、まだわずかに3か月。弾痕もあちこちにそのまま残っていて、やはり現場に来ると、日本にいては分からないことがどっと押し寄せるように伝わってきます。
テロリストが潜伏していたアパートを警官隊が襲った現場も行きました。
同じパリでも華やかなシャンゼリゼなどとは別世界、下水道をはじめ行政サービスが不充分なのか悪臭が漂う地域で、武装警官の激しい銃撃で壊れた近隣の家がそのままになっているという、フランス政府にとって不都合な現場もしっかり見ました。
▼この現場回りの速報を、独研がクローズドの完全会員制で配信しているレポート (東京コンフィデンシャル・レポート/TCR。16年近く、配信を続けています。詳細はここです) にまとめ、そのレポートともに「安倍総理は消費増税をほんとうはどうしたいのか」について前から書き進めていたレポートもホテルで完成させ、2本を一緒に配信。
これは当然、完全徹夜の仕事になり、きつい時差と合わさって、ね、ねむい!
(こんな風にふつうにカフェのテラス席に座っていたら、眼の前に黒い車が迫ってきて、飛び出してきた男たちに乱射され、殺された、その現場。こんなテロを日本でも起こさせるわけにいかない)
▼こうした現場の把握を踏まえて、フランス最強の武装治安部隊とも言うべき国家憲兵隊 (ジャンダルムリ / 今回の議論相手の名前を公開することに同意を得たので明示します) の複数の部隊と議論を重ねています。
それが終われば、さぁ、もう帰国です。
夜に帰国すると翌朝 (木曜朝) 早くに自宅を出て、虎8こと「虎ノ門ニュース 8時入り」の生放送に参加し、夕方にはニッポン放送の「ザ・ボイス」の生放送に参加して、そのまま休まず、今度はオーストラリアの首都キャンベラに向かいます。
キャンベラは直行便がないので、ちょっとたいへんですが、ここでオーストラリアの国防省・軍部を訪ねます。
ちょっと久しぶりです。
今度はテロ対策ではなく、通称キャパビルことCapacity Building (キャパシティ・ビルディング) すなわち先進国の軍 (日本では自衛隊) が発展途上国の軍の災害対応やフェアな安全保障の能力を高めることを支援するというテーマで、議論します。
これはパリとはまったく別の調査・研究プロジェクトです。
独研からの同行者は交代します。ぼくと年齢が何十歳、離れていても、交代しないと同行者が倒れてしまう。
そのぼくは…ことしは、小説の執筆とスポーツだけにしたいのだけど。
あぁ。
日本では同じ日の昼前ですね。こうやって日本が活動しているから、こちらも起きないわけにいきません。
東京からパリまで、今回の往路は12時間半ぐらいでした。
凍てつくシベリアを越えていくとき、ずっと揺れていることもあるけれど、今回はまったく揺れず、機中で仕事はやりやすかった。
ほんとうは、せっかく揺れないんだから休みたかった…。CA (客室乗務員) にいつも通り同情されてしまいました。
今回は独研 (独立総合研究所) からの同行者は2人、ぼくの席の周りを固めていましたが、ふたりともぐっすり眠っていて、ちょっと安心だった。
ふたりは今、ホテルでもゆっくり眠っています。そうしないと、この強行日程では身体も心も持たない。パリの夜明けまでにはまだ時間があります。
▼パリに着くとすぐ、去年11月13日のあの凄惨なテロ現場をすべて回りました。
この日、最初の自爆テロは巨大なサッカー競技場の「D」入口。午後 (午前と記したのを訂正します) 9時20分に、この入口から入場しようとした男の身体が爆発しました。
そこから同じ競技場の「H」入口、下町のただのカフェ、レストラン、マクドナルド、ピザ屋さん、日本料理店 (「ただし経営は中国人だと広く知られていたから、日本が狙われたわけじゃないよ」と回りの住民は話していました) が自爆テロや軍用カラシニコフ銃の乱射で襲われ、さらにロックコンサートを開いていたコンサートホール (伝統あるバタクラン劇場) で若い聴衆が乱射で大量虐殺され、あわせて130人ほどの命が奪われました。
いま後遺症に苦しむひとを含めると、想像を絶するたくさんの人生が奪われたのです。
この現場をひとつひとつ、回り、傷の癒えない人々から話を聞きました。フランスは英語が通じないことが多いので、そこはかなりの難しさです。
あまりにショッキングな事件から、まだわずかに3か月。弾痕もあちこちにそのまま残っていて、やはり現場に来ると、日本にいては分からないことがどっと押し寄せるように伝わってきます。
テロリストが潜伏していたアパートを警官隊が襲った現場も行きました。
同じパリでも華やかなシャンゼリゼなどとは別世界、下水道をはじめ行政サービスが不充分なのか悪臭が漂う地域で、武装警官の激しい銃撃で壊れた近隣の家がそのままになっているという、フランス政府にとって不都合な現場もしっかり見ました。
▼この現場回りの速報を、独研がクローズドの完全会員制で配信しているレポート (東京コンフィデンシャル・レポート/TCR。16年近く、配信を続けています。詳細はここです) にまとめ、そのレポートともに「安倍総理は消費増税をほんとうはどうしたいのか」について前から書き進めていたレポートもホテルで完成させ、2本を一緒に配信。
これは当然、完全徹夜の仕事になり、きつい時差と合わさって、ね、ねむい!
(こんな風にふつうにカフェのテラス席に座っていたら、眼の前に黒い車が迫ってきて、飛び出してきた男たちに乱射され、殺された、その現場。こんなテロを日本でも起こさせるわけにいかない)
▼こうした現場の把握を踏まえて、フランス最強の武装治安部隊とも言うべき国家憲兵隊 (ジャンダルムリ / 今回の議論相手の名前を公開することに同意を得たので明示します) の複数の部隊と議論を重ねています。
それが終われば、さぁ、もう帰国です。
夜に帰国すると翌朝 (木曜朝) 早くに自宅を出て、虎8こと「虎ノ門ニュース 8時入り」の生放送に参加し、夕方にはニッポン放送の「ザ・ボイス」の生放送に参加して、そのまま休まず、今度はオーストラリアの首都キャンベラに向かいます。
キャンベラは直行便がないので、ちょっとたいへんですが、ここでオーストラリアの国防省・軍部を訪ねます。
ちょっと久しぶりです。
今度はテロ対策ではなく、通称キャパビルことCapacity Building (キャパシティ・ビルディング) すなわち先進国の軍 (日本では自衛隊) が発展途上国の軍の災害対応やフェアな安全保障の能力を高めることを支援するというテーマで、議論します。
これはパリとはまったく別の調査・研究プロジェクトです。
独研からの同行者は交代します。ぼくと年齢が何十歳、離れていても、交代しないと同行者が倒れてしまう。
そのぼくは…ことしは、小説の執筆とスポーツだけにしたいのだけど。
あぁ。
東南アジアでの日本人の印象【渡辺美智子】
2016-03-04 04:35:14
私はイギリスの地方都市に住んでいるのですが、うちのまわりの95%は白人のイギリス人かEU出身のヨーロッパ人で残りは黒人、インド人、パキスタン人、東洋人等です。娘の小学校にイギリス人のお父さんとフィリピン人のお母さんのハーフの子がいるんですが、ある日娘に「日本はフィリピンを侵略したの?」と訊かれて驚きました。あのうちは家でそんなことをまだ幼い娘(7、8歳ぐらい)に教えてるんだと。だから娘には「日本はフィリピンを解放してあげたんだよ」と教えると喜んでいましたけど・・・井上和彦さんとか本まで出されてますけど、日本人が考えるほど現地の人の印象は良くないのではないかと思います。
フランスに来る観光客のことなど【クロのCâchan】
2016-03-02 16:29:18
確かにどう時間を潰していいか、困る時間も多いです。
それでもまあ、2月、3月は学生生活最後の旅行と名目でちょろっと学生さんが来たり、家族や周りに反対されるも、オプティミストのカップルさんも来ていて、皆さん口をそろえて『美術館もそれ程並ばずに入れるし、モナリザもゆっくりじっくりかぶりつきで見られました!』と満足しておられますね。
青山さんには会えなかったけど、近くまで来られているのが何だか嬉しかったです!
改めて考えて【みよ】
2016-03-02 15:48:22
青山さんが以前、ザ・ボイスで
「日本でもテロの危機はある。身を守るため固めの鞄を持ち歩くといい。」
という旨のお話をされていたので毎日通勤にも日常は
固めの鞄を持ち歩いております。
日本では、外国人観光客が増えていると連日の報道どおり
街中にはアジア系の観光客があふれています。
ただ、電車内で気になるのは 日本人が携帯やスマートフォンを見ながら
イヤホンで音楽を聴きながら、目と耳が完全にふさがっている現状です。
ここで鞄も持たずにペットボトルだけを手に乗車する外国人もいるのに
気にならないのか?
みんなに見えてないけど、私は見ているので…
正直、そういう環境にビクビクしてしまう時があります。
私が社会人1年生だった21年前の地下鉄サリン事件、
あれもテロだったのに…
色々と、考えてしまいます。
青山さん、平和ボケしてしまった人達は
教育の根幹から正さないと
減らないもんなのでしょうか?
表現の自由【信濃のでんべ】
2016-03-02 11:59:03
さて、昨日、日本国内では高市総務大臣の国会答弁に異を唱える著名なキャスターの方々が記者会見を開きました。
その中で、ある方が「憲法では放送による表現の自由が認められている」と言う発言をされました。
本当にそうでしょうか?
確かに第21条には表現の自由が明記されています。
ただし、日本国憲法が草案された昭和21年ごろに日本におけるテレビ放送の普及がどれだけ考えられていたでしょう?
日本でも、テレビ放送の実験は昭和14年頃から始まっていましたが、終戦を迎え荒廃し「戦前の状態に戻るまでに何年、いや何十年かかるかわからない」と言われていた日本にテレビが普及すると当時は誰も思い描けなかったはずです。
それから70年近く1度も改正されていない憲法の条文を持ってきて「放送による表現の自由が認められている」と言うのは、彼らの嫌いな勝手な憲法解釈ではないでしょうか?
また、「放送法は倫理規範だ」と彼らは言います。
法律でも倫理規範でも遵守していれば、文句なぞ出ません。
倫理規範とは「誰かに守らされているのではなく、自らが率先して守るべきもの」と私は考えていましたが、彼らの考えは違うようです。
彼らは、それを守らなくていい理由にしているのですから。
テレビ局は、国民の財産であり、限られた資源である電波を占有使用できる権利を得ているのですから、国民の利益を害さない放送をしてもらいたいものです。
お疲れ様でした。【大谷勝彦】
2016-03-02 11:57:56
すでに機中の人となられたことと存じます。
夕方には羽田ですね。今晩一晩ぐらいはゆっくり休んで下さい。
そして翌日には休む間もなく夜行便で豪州ご出張とのこと。本当にお身体丈夫ですか?
驚異的な体力と頑丈な心身ですね。
明日の虎8、ザボイスを楽しみにしております。
オーストリア軍事【北原 孝】
2016-03-02 05:23:09
同時に、マレーシアから2名、ある程度の高レベルのマネージャーが来ていたのですが、彼らの祖父の世代が日本軍のことを相当悪く思っていた、という話を聞いて何も反論できませんでした。大東亜戦争はアジア解放のためと日本人は思っていますが、必ずしも現地ではそのようにとらえられていなかったのでは?と思ってしまいます。ちなみに、彼らは全員華僑です。(マレーシア、シンガポールあたりからくるビジネスマンはみんな華僑でマンダリンか広東語かわかりませんが、いつも中国、台湾含めて中国語で話しています。)そう言ったことから、日本では台湾は親日だ、とか、東南アジアは親日だとか年配の評論家の方が申されていますが、あながち信じがたい、というのが個人的な感想です。本当に親日ならうれしいのですが、日本も軍事のみのインテリジェンスではなく、本当の国勢を把握するインテリジェンスが必要で、ごりごりと政治活動に組み込んでいかないと、いつの日か日本は陸の孤島であるだけでなく、人種としても孤立してしまうのではないかとふと不安になってしまいます。ひとまず国内の掃除が終わらないことには、近隣諸国への活動(工作)は手におえない、といった感じかもしれないですね。
パリのカフェの写真を拝見しました。まだ寒そうでしたね。今週は少しヨーロッパは寒いかもしれません。下水道のにおいとありましたように、小生も何度かパリに仕事で行きましたが、ごみが散乱し、石畳は歩きにくく、ホテルもきれいとは言えず、夜は騒音の様に音楽が鳴り響き、何度となく失望しました。気のせいかワインもチーズもおいしいとは感じませんでした。国の問題なのか、移民の問題なのか、いずれにしても自助努力が必要なのでしょうね。
パリからのフライトは火曜日だとしたらすでに機内ですね。お仕事中と思いますが、数杯のワインでも楽しんでいただければと思います。
まさか、水曜日発のフライトで木曜朝に虎八直行?ではないですよね。まさか。( ゚Д゚)
命は平等?【ナガガ】
2016-03-02 00:36:39
さて、豪州へ出張されるということですが、ダーウィン港を中国に租借する件について豪州側の本心を聞いてきて欲しいです。
PS・幽霊の存在は死後の世界があると考えていいですか?
いつの日か…【谷口友香】
2016-03-02 00:26:42
こころの底から感謝しております。
青山さんが己を脱して
国益の為だけに利を求めず、
懸命に取り組んで下さっている姿を観て
背筋が伸びる想いです。
自分に出来ることを全力で…
いつも肝に命じながら、
日々、自分を奮い起たせております。
そのように気づかせて下さったのも
青山さんのお陰です。
それにしても、地上波の報道番組の連日の報道ぶり。
もう飽々するばかりです…
酷すぎます。
やっぱりアンカー復活して欲しいなぁ。
世界【堀尾 宜史】
2016-03-01 23:38:33
心にヒュッと落ちてくる感じです。
世界が愛しき心、慈しむ心に満たされる日が待ち遠しいです。
まだまだ遠い様な気もしますが。
PS
いつもありがとうございます。
青山さんにしか出来ない事です。
天が求めてるとしか思えません。
お若いのも天の御意志だと。
応援しております。
パリに住んでいる友達に聞いた話【尾関友徳】
2016-03-01 23:11:52
僕自身もパリに住んでいた事があり、移民地区に足を運んだこともありますが、シャンゼリゼやデ・プレ地区とは違う顔のパリがあるのを知っています。
今回の件からは、移民コミュニティの中ではあらゆる情報がある程度共有されており、そしてそれが外部に漏れなかったという事は、移民の方々の、フランスに対して溜まり続ける不満を感じずにはいられませんでした。
青山さん、こんばんは【ゆうままん】
2016-03-01 22:58:16
私が国の為に出来る事は、本当に微力な限りですが、青山さんを応援する事もその一つだと思っています。
『頑張って下さい』
心の底から応援しています。
2回目です・・・【三堀紗也華】
2016-03-01 22:12:30
わたしは、青山さんの横を歩む自分でありたいと思います。
きっとわたしにとっての生き方は、その時その時どれほど自分を信じられるか、だと思う。その時々の判断は、きっと一貫していて、あとから振り返れば、まっすぐ線になるような点の集まりのイメージで今はいます。肩の力は抜いて、流されて、目の前にきたものに一生懸命になっていればいいのかもしれないなと最近思います。
きらくに頑張ります(^ ^)
ありがとうございますm(__)m【青柳 修史】
2016-03-01 21:18:06
しかし、何ら世の中に貢献できておりません。
仕方がないので、己の仕事(補聴器インストラクター)で、少しでもお客様の聞こえ具合を改善し喜んでいただくよう、より一層がんばります
TCR【三堀紗也華】
2016-03-01 20:07:02
IDC(インディペンデント・クラブ)の会員=会員制レポートを受け取れる人=予約多数でいまは募集していない
・・・と勘違いをしていました!
(1年以上青山さんの番組をネットで見ていたのですが・・・。自分の思い込みってなかなか修正されないんですね・・・。)
独研のTCRのページから、会員について詳しく質問してみます。(^^)
ヨーロッパで血が流れる歴史と芸術が生まれる矛盾【ツナサンド】
2016-03-01 19:56:18
是非ご無理なさらないようお願いします。
今回フランスでテロにより多くの人の命が失われました。
日本の島国とは比べようもなく、歴史上多くの人々の血がヨーロッパの大地には流れて来たと思います。
民族の対立や、宗教の対立が絡んだ戦いがこの大地で行われたのかなと、無学な私はそう思ってます。
日本の融和的な神道とは違い、絶対的な宗教が生まれたのは必然だったのかなと勝手に思ってます。
一方、人々の血と引き換えに、建築、絵画、音楽などの芸術が生まれたのではないでしょうか?。
今青山さんが居るフランスにも、子供だったモーツァルトが演奏旅行をしていたと思います。
私がヨーロッパの血脈を知ったのは、来日したビートルズの当時の評論を知った時です。
ビートルズが武道館でコンサートを行う。
多くの音楽評論家、政治評論家が反対しました。
当時彼らを評価した日本人は、アメリカでビルボード1位を取った、「すき焼き」上を向いて歩こう、を作曲した中村八大さんです。
「彼らの中に綿々と流れるヨーロッパの音楽を感じる。」
中村八大さんは当時のビートルズにグレゴリオ聖歌からの西洋音楽の歴史を感じ取ったのでしょう。
同じ事をクラッシクの大御所、レナード・バースタインも言ってます。
私が思うのは、人間は戦争やテロで血を流す。
しかしそこからまた新たなものが生まれて行く。
文化、芸術、宗教。
私は神や特定の宗教を信じていませんが、時々思います。
神は何て残酷なのか、また新しいもの生み出し人々に喜びを与えるのか。
無神論者の戯言です。
帰国の便ではゆっくり休んでください。
虎八、ボイス、楽しみにしてます。
近くにいたのですね!【奥村由樹】
2016-03-01 19:54:10
スタジアム【はやし】
2016-03-01 19:03:14
皇紀について【見逃していた『答えて、答えて、答えて』を拝見しました。】【眼とろん星人】
2016-03-01 18:41:21
しかも同じキリスト教徒でも、東ローマ帝国などの正教会諸国では10世紀以降、世界創造紀元(『旧約聖書』の『創世記』にある天地創造を基準とし、西暦紀元前5508年を元年とする)が使用されていて、現在も正教会の幾つかの教会で使用されているので、西洋による世界侵略でいきわたり、便宜的に使われているだけの西暦がグローバル・スダンダードだという根拠のない偏見の強さに愕然とします。
西暦元年になるキリスト様の生誕の年も怪しければ、新約聖書マタイによる福音書の冒頭に、神様と聖母マリア様の間にお生まれになったイエスキリスト様と、本来なんの血縁関係もないはずのナザレにお住まいだった大工のヨセフ様の家系が延々と書かれ、アブラハム様の子の、ダビデ様とかソロモン様の王統につながっていることになっていますが、あれも計算が合うか怪しくて本当のことは分かりません。
しかしながら、西暦のAD.(Anno Domini) 、BC. (Before Christ)は歴史的な年号として使われています。
だからといって、異邦人の私がとやかく言うつもりがないどころか、彼らの歴史を歴史として尊重します。歴史というのは、単なる記録ではなく、人々の価値観に影響を及ぼし、文化となって共有されてこそ歴史だからです。
皇紀すなわち神武天皇即位紀元は、古事記や日本書紀で日本の初代天皇陛下とされる神武天皇が、“日本の正史”である『日本書紀』により紀元前660年1月1日に即位したとされ、この即位年を明治5年(1872年)の太陽暦導入と同時に、神武天皇即位を紀元とするとして定められたものです。
日本の紀元を神武天皇の即位に求めること自体は、『日本書紀』編纂以来、日本人の一般的な認識だったのですが、それが何年さかのぼるのか、その時代における学問の能力の範囲において最大限に厳密な考証によって求められたのは江戸期でしたから、皇紀という概念は、日本の歴史として悠久の時を経て定着しているわけです。
日本が西洋列強の侵略におびやかされた明治期に、日本人のアイデンティティーを確認するために、われわれの祖先たちが、西洋文明である太陽暦導入と同時に日本の独自の歴史を示す皇紀を制定したという事実は、まさしく象徴的な出来事なのであって、我々の歴史が神の御代から皇室をいただいて世界にも稀有な長い時を経、激動の近現代を乗り越え今に至っているという意味においても、我々にとって皇紀は重大な意義があります。
そのように考え皇紀を制定した、私たちの大先輩である明治の人たちを、私は尊敬し、誇りに思います。
日本が皇紀を用い、国体を護持するために日清・日露・第一次大戦・大東亜戦争等を戦かわなかったら、いまだに世界の大部分は西洋列強の植民地で、アメリカの黒人は公民権を持っていないはずです。
ちなみに、明治維新の英訳は“Meiji Revolution”でなく、“Meiji Restoration”です。
“Restoration”は“(英国の)王政復古(時代)”を意味します。日本の場合は天皇陛下=皇帝ですから、帝政復古ですが、日本には国難に際して立ち返るべき皇室がいらっしゃって、これが他国と違う歴史・文化の連続性を担保しているのです。本当に素晴らしいことです。
皇紀2600年(昭和15年=1940年)運用の世界的傑作戦闘機の零式艦上戦闘機=0式戦闘機、通称『ゼロ戦(Zero fighter)』【大日本帝国海軍は、ネルソン提督以来の英国海軍仕立てなので『れいせん』だけでなく、普通に『ゼロせん』とも呼んでいたようです】の由来にもなっているので、世界の航空史からも記憶されるべき年号です。
皇紀2601年運用の『加藤隼戦闘隊』で有名な帝国陸軍を代表する戦闘機の一式戦闘機『隼』は、零戦に次ぐ生産数を誇り、いずれの戦闘機においても、誇りをもって搭乗した多くの前途ある若者たちが国のために散華されています。このような英霊に対し、どのような理由で、いまさら「皇紀をひっこめろ」とおっしゃるのでしょうか?
皇紀にけちをつけだしたら、正史でもなんでもない、司馬遷が私的に編んだ『史記』が正しいかとか、支那の『歴代正史』が正しいかということになって、もう歴史に対する哲学というか態度の本質的な問題になるのですね。
伝統の国といわれているイギリスですら、古英語は現代英語と全く異なり、11世紀のノルマン・コンクエスト以降、フランスから来た貴族階級が話していたノルマン語が公用語として14世紀まで使われていて、英語がイングランドの公用語の地位をフランス語から奪還したのは1362年、エドワード3世の時代ですから、西洋史なんてなおさらです。
『史記』が書かれたといわれるのが、紀元前91年で、紙が発明されたのは、漢代の105年(元興元年)、蔡倫によってですから、現在伝えられているのは、後世の写本で、後漢時代の写本(竹簡)の一部が遺跡から発掘されている程度です。
現存する『史記』の完本は南宋の慶元2年(1196年)のものが最古で、これが司馬遷の原作にどの程度忠実かもわかりません。
日本最古の歴史書である古事記は712年(和銅5年)に書かれましたが、写本で最古のものは、1371年(南朝:建徳2年、北朝:応安4年)から翌1372年(南朝:文中元年、北朝:応安5年)にかけての現岐阜県羽島市の真福寺にある『真福寺本』と呼ばれる真福寺本古事記三帖(国宝)です。京都にあったはずの、それより古いものは、おそらく1467年(応仁元年)の応仁の乱で焼けてしまっています。
「日本人に○○を教えてやった、伝えてやった」のオンパレードの教科書で学ぶ大韓民国の人たちの朝鮮半島に現存する最古の歴史書である『三国史記』は、日本の古事記に遅れること400年以上の1143年執筆開始、1145年完成ですが、版本では、李氏朝鮮の太祖(李成桂)2年【西暦1394年←韓国には皇帝が制定する元号がありません。属国なので支那の元号をそのまま使っています】の慶州刊本を正徳7年(←正徳は宗主国の明の元号:西暦1512年)に重刊したといわれている正徳本が最良とされていています。
その『三国史記』自体が、支那や日本の史料との食い違いが多くて信用できないのですが、さらにそれ以上に信ぴょう性に欠く、1270年代後半から1280年代に書かれたトンデモ『三国遺事』によって朝鮮は、自称「半万年(五千年)」の歴史なのだそうで、始祖の檀君はなんと千九百八歳!でその生涯を終えたことになっています。
少なくともこの国の人からは、絶対に皇紀について、とやかく言われたくありません!
『司馬遷に遼(はる)か及ばず』という意味のペンネームを持つ、司馬遼太郎さんの小説も、正確さ云々を言いだしたら読めないのですが、じゃあ、『項羽と劉邦』は司馬遷の『史記』を読まないとだめだといわれれば、お手上げで、講談本のような面白さに引き込まれる司馬遼太郎さんの『項羽と劉邦』読まなければ、支那は盗賊の親分の劉邦が漢の始祖になった『項羽と劉邦』の時代から、今まで、全く進歩がないという重大な歴史の真実が分からなくなります。
私は、厳格な時代考証や論争によって得られた史実にも興味がありますが、神話や、時とともに肉づけられて、後年の時代時代の人たちに支持され、共感をもって語り伝えられた物語としての歴史は、その夾雑物もひっくるめてそれ以上に大切にしたいと思います。
少なくとも国際法を無視して、偉そうに表現の自由をうたった日本国憲法を押し付けながら、『忠臣蔵』等の復讐劇の上演を禁じた二枚舌のGHQは、そういった人々の共感を持つ歴史の力がどれだけ大きなものか知っていたはずです。
皇紀云々と言っておられる方が、日頃どれほど原典までさかのぼった豊かな読書生活を送っておられるのか、浅学な私には興味深くてなりません。
フランス通訳【にゃん】
2016-03-01 16:55:23
以前フランス語通訳の方をお探しでしたが、見つかったのかしら…。大学で学んだ私ですが、続ければお役に立てたのにと後悔。今は節約おかず紹介なら自信あるけれど。ますます激務が続くとのことですが、小説出版を心待ちにしています。
まったく他人事でない現実【神戸在住 松永】
2016-03-01 16:22:54
本当に人の命は呆気なく亡くなるものだと思います。
ピストルの発射音はテレビドラマのそれとは違い乾いた短い音でパッンとでも言えばいいでしょうか。ちょうどアスファルト舗装に木製の物流パレットを倒したような音です。
人の人生の終わりの合図がその音とは悲し過ぎます。
銃器や爆薬によるテロも怖いですが、生物化学兵器によるものも日本は大丈夫でしょうか?日本国政府には過去の事件の振り返りも行い万全の備えを期待いたします。
以上