On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2007-03-20 08:51:50

深く淡く生きる   07年の2




▼カタールの首都ドーハに入って3日目の2007年3月19日月曜の朝、1時間半しか寝ていない眠気を、朝風呂でどうにか飛ばして、アメリカ政府高官との朝食ミーティングへ。

 独立総合研究所(独研)の主任研究員Jと、秘書室長Sが同席。
 この季節のドーハは、ベストシーズンで朝は爽やかだ。
 その気持ちのいい空気のなかで、ぼくとの再会をこころから喜んでくれているアメリカ政府高官に、ちょっと気の毒ではあったけど、「同盟国アメリカは、北朝鮮にすり寄って、日本を裏切るのか」と、真っ直ぐに聞いた。

「北への金融制裁で封鎖した違法資金の全部を、北の独裁者に渡すと、ヒル国務次官補が言明した。これはショッキングなニュースだ。同胞を、その独裁者に誘拐・拉致されている日本国民にとっては、受け入れがたいアメリカの変化だ」とも告げた。

 するとアメリカ政府高官は「青山さんに同意する。同感だ」とストレートに答え、「ヒルはどうかしている。ヒルを含む国務省全体が、どうかしている」と国務省主導で北朝鮮との妥協が進んでいることを正面から内部批判して、「クレイジーだ」とまで言い切った。

 この話題が出るまで爽やかだった高官の表情は、みるみる曇って苦しげになり、「朝メシがまずくなるなぁ」とユーモラスな顔をつくって、ほかの話題に移りたそうだった。
 それが分かりつつも、ぼくは心を鬼にして、「こんなことをするなら、アジアと世界にとってもたいせつな日米関係は間違いなくおかしくなる。安倍政権の官房長官らは、核廃棄の進展のためには金融制裁の全面解除は良いことだという公式ステイトメントを出しているが、こころある日本国民はそうは思っていない」と畳みかけた。

 さらに北朝鮮について掘りさげて議論したあと、おたがいの家族の話題まで久しぶりにゆっくりと話して、高官と別れ、ぼくは関西テレビのクルーとドーハ市内のロケに出る。
 出るまえに、何人かのアメリカ、中国などの外交関係者らとあいさつを交わした。


▼ロケは、市内のスーク(市場)が中心。
 関テレの新人女性アナウンサーのYさんが一緒だ。たいへんに長身で、ハイヒールを履いて180センチぐらいかな?
 Yさんがスークで、アバーヤ(ムスリムの女性が着る黒衣)を着てみるところも、楽しく撮った。とてもお似合いでした。

 ドーハのスークは、乾いた明るさがあって、雰囲気がなんとも言えず、いい。
 中東諸国のさまざまなスークを訪れたけど、想像以上に、お国によって個性がある。
 ぼくらはあまり、中東をひとくくりで考えないほうがいいと思う。
 いや、経験に基づいて、もっと正直に言えば、中東をひとくくりにしてしまう見方が、まさしく間違っている。それが、世界と中東がなかなか折り合えない、ひとつの原因だ。

 ロケのあいだ、同行している独研のS秘書室長は、ぼくをアテンドする本来任務もこなしながら、ずっと、ひっきりなしに携帯電話で「関テレの伝送、中継ラインを確保する」という、本来の任務ではない、苦しい交渉を続けている。
 わが社員ながら、見ていて、内心で頭が下がる思いだった。

 それでもラチがあかないので、とうとう、国際会議場にいる独研の主任研究員Jも、各国の要人と会う本来任務を中断して、関テレのための交渉に加わる。

 ロケはすこし早めに終えて、ホテルと国際会議場へ戻る。
 ぼくは、インドのキーパーソンと極秘裏に会う。
 インドの政策形成を担う、この人は「中国の核ミサイルはインドの主要都市に照準を合わせている。インドの核開発・核実験の目的は、この中国に対抗するためだ」と明言した。
 ぼくは、その言い切りぶりに驚きながら「パキスタンへの対抗は、目的じゃないのか」と聞く。
「パキスタンは小国だ。それにアメリカにコントロールされている。どうでもよい。われわれの核は、中国に対抗するためにある」と再び、明言する。

 ぼくは「中国の核ミサイルは、日本の主要都市にも照準を合わせている。中国とフェアに向かい合うために、またアジアにアンフェアな覇権が生まれないために、中国のひとびとにとっても幸福があるように、日本とインドの戦略的関係を構築することが必要だ」と語りかけ、彼は深く同意しつつ「日本にはこれまで、その視点が欠けていた。外務省の官僚に任せていては駄目だ。インドの外務省に任せていても、同じく駄目だ。官僚の行動と発想を超えて、インドと日本の新しい関係をつくろう」と語ってくれた。

 彼に「日本がもし、北朝鮮と中国の核に対抗するために、核武装するとしたら、どう考えるか」と聞くと、彼は即座に、「核は平和をつくる。日本が北朝鮮や中国に侵されたくないなら、日本は核武装すべきだ」と答えた。

 日本は、民衆を大量殺戮する核兵器を持たず、一方で、どこの核基地をも叩ける通常兵器を完備した国民軍を誕生させるべきだという、ぼくの持論はもちろん変わらない。
 だけども、インドのキーパーソンから、こうした明瞭な意見を聴いたことは、フェアにみなさんに示しておきたい。
 このキーパーソンは、ここまで明言してくれたのだから、具体的に誰であるか、誰と会ったかは、永遠に明かしません。


▼この頃になって、関西テレビの画像や音声の伝送、中継の手段が確保できていない問題が、奇跡的に、まさしくミラクルとして、急転、解決した。
 独研の秘書室長Sと、主任研究員J、このふたりの献身と、豊かな人脈、タフな交渉力が奇跡を生み出した。
 ぼくが独研の社長だから言っているのではありません。関テレのスタッフも含めて、誰もが認める公平な事実だと思う。


▼そのあと、アメリカの国防次官補代理に就任するジェームズ・クラッドさんと、関西テレビのカメラの前で、インタビュー収録を行った。
 名前と顔を出してのインタビューだったが、ぼくは「若いひとを中心に、日本国民のなかに日米の同盟関係に疑問も出ている。アジアへの対応を誤らないでほしい」と強く訴えた。

 このクラッドさんは、ペンタゴンの、いやアメリカ合衆国全体の、まさしく良心とも言うべきひとだ。
 収録した関テレのスタッフたちは、ジャーナリストだから権力に対して常に批判的な立場に立つが、このクラッドさんの誠実な話しぶり、真摯な内容、柔らかで偉ぶらない人柄を絶賛していた。

 クラッドさんは、ぼくのたいせつな、魂の友だちのひとり。だから嬉しかった。


▼そのあと、いったんホテルの部屋に戻って、仕事、仕事。
 夜8時から、国際戦略会議のオープニング・レセショプションに出席。
 カタール、イギリス、アメリカなどの要人と、うち解けて会話する。
 そしてイラクの要人とも会った。
 ぼくが「わたしもイラクへ行きました」と言うと、「ああ、そうですか」という感じだったのだが、いつ行ったかを何げなく言うと、彼は仰天し、「あの危険な時期に行ったのかぁ。信じられない」と目を見開いて、態度が一変した。
 うん、確かに怖かったですよ、イラクは。地獄とは、地面の下にあるのではなく、地面の上のイラクにあると考えましたね。
 そう思ったけど、もちろん口には出さなかった。

 会場を回るにつれ、一緒にいる独研の主任研究員Jがどれほど努力を積み重ねて、各国の要人と独自の人脈を築いてきたかが、よく分かり、内心で、たいへんに喜ぶ。
 ぼくは期待している人材には厳しい。徹底して、厳しい。期待していない人材には、ほとんど何も文句を言わない。
 Jは、期待していたから、この世でぼくにいちばん叱られてきたひとだと思う。
 その鍛錬が、こうやって目の前で成果を結ぶ。うーん、こりゃ、信じがたいほどうれしいよ。

 長時間のレセプションのあと、いったん部屋へ戻ると、無意識のうちに30分ほど泥のように寝込む。
 はっと目覚めて、深夜零時、大急ぎでホテルのロビーに行く。

 首相補佐官(国家安全保障担当)の小池百合子さんが、ちょうど到着。
 ロビーの隅で、明日の会議にどう臨むか、簡潔に打ち合わせをし、ぼくの願いを伝える。
 日本で初めての国家安全保障担当の首相補佐官、そしてアラビア語も英語もできる女性、小池さん、いろいろな辛いこともあるようだし、批判や中傷も聞くが、世界が注目している。
 明日の会議のような大舞台には、きっと強いひとだ。

 それからぼくは再び部屋に戻り、こうやって、すさまじい眠気と闘いながら、仕事を続けている。

 まもなく、また夜明けがめぐってくる。
 ちょっと、ひとはだが恋しい。


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