On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2010-09-19 14:45:06

楽屋にて



▼いま9月19日日曜の午後2時45分。
 東京は高田馬場の劇場「東京グローブ座」の楽屋にいます。

 きのうから、舞台劇「永遠の一秒」の語りを務めて、きょうも午後の部(14時開演)の最初に、語りました。
 いまは夜の部(19時開演)に備えて、楽屋で、近く出版予定の「ぼくらの祖国」(扶桑社)の生原稿の直しと、補足執筆をしています。


▼ぼくの語りに台本はありません。
 打ち合わせも、ほとんどありません。

 きのう監督の畠山貴憲さんと、「台本なし、出たとこ勝負で行きましょう」と、打ち合わせただけです。
 ただ、畠山監督やプロデューサーの高橋匠さんをはじめとするスタッフ、そして俳優のかたがたが、なぜ、この舞台に深い熱意を持っているのか、なぜ、ほんとうに熱い思いで上演しているかについて、あらためてお聞きしました。

 そのうえで、ぼくが「語ろう」と決めたのは、19歳の特攻隊員が、アメリカ海軍の巨大戦艦ミズーリに遺した、ちいさな凹みをめぐることです。
 それは沖縄戦さなかのことでした。


▼当初の予定では、15分間の語りでしたが、監督のご希望で10分ほどになりました。正しい判断だと思います。長すぎてはいけません。

 ミズーリは、沖縄戦で、わたしたちの沖縄に砲弾を鉄の雨のように降らせただけではなく、日本が1945年の8月15日に降伏したあと、9月2日に、その甲板上で降伏文書の調印式があった戦艦です。

 しかし10分間で観客のかたに、伝えるべきを伝えるためには、ファクト・要素が多すぎてはいけないので、それには触れていません。
 いま、やはり触れるべきかな、どうしようかなと考えているところです。

 このように短い時間なのですが、観客のみなさん、そして誰よりも出演俳優のかたがたが真正面から、語りに込めた問いかけを受け止めてくださり、主演女優のおひとり(水野久美さん)は、ぼくに同行している独研(独立総合研究所)の秘書さんに「涙が止まらなくて…。演じる時に、これまで以上の力が出るようになりました」という伝言を残され、もうひとりの主演女優のかた(津山登志子さん)は、メイクさんによると、「大泣きしてしまったから、もう一度、メイクをお願い」と駆け込まれたそうです。

 ふだんの講演でも、10分間では、なかなか伝えきれません。
 ぼくの語りは、まさしく拙(つたな)いものに過ぎません。謙遜ではありませぬ。

 それなのに、意外なほどの反響があるのは、この、特攻隊員の青年3人が現代の日本にやって来るというドラマに、魂をかけて打ち込んでいる監督、俳優、スタッフのみなさんと、それから、決して派手ではないドラマを観ようと足を運んでくださる観客のみなさんのこころが、澄んでいるからではないかと、ぼくは胸の奥から思います。


▼写真は、花であふれた楽屋の廊下で撮りました。
 左端のぼくは、この格好で、語りを務めています。
 もちろん、ふだんのTV番組などと同じく、自前の服です。いつもは、ぼくは実はこういう格好か、ジーンズにTシャツです。

 まんなかは、独研の秘書室第一課(日程調整担当)のヨネ(米岡仁恵)。なんと元プロダンサーで、ふだんは日程調整をしているのですが、こういう舞台とか楽屋に慣れているので、今回は同行業務を果たしています。楽しそうです。
 右端は、楽屋でこまごましたことを担当してくれている、女優志望の井上ユリカさんです。よく気がついて、しかもさっぱりした眼のきれいな人。

 この舞台劇は、ほんとうに沢山の花が、俳優のかたがたや監督・スタッフに寄せられています。
 このなかに、ぼくへの花はもちろん、ありませんが、実は昨日、打ち合わせに来られた、あるFMラジオ局のかたが、凄く立派な花束を持ってきてくださいました。
 びっくりしました。
 みなさん、そう遠くない時期に、このFMラジオ局でじっくり語り、曲も選んでかける番組をスタートさせる話が進んでいます。


▼さて、この舞台劇「永遠の一秒」は、いまのところ、観客の数が少ないのが、正直、みんなの悩みです。
 もう一度、この下の書き込みを見ていただき、おひとりでも多くのかたがご覧になり、監督や俳優、スタッフのみなさんの志に報いていただけないでしょうか。
 
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