On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2010-09-25 10:05:38

歴史には転換点がある  (一部、手直しをしました)

 わられに屈服を強いる者どもよ、日本の現下の政治家や役人をいくらでも勝手に舐めてかかれ。
 しかし日本国民を、ゆめ、舐めるなかれ。



▼きのう西暦2010年、平成22年、皇紀2670年9月24日金曜日、夜7時05分過ぎ、ぼくは再び、舞台劇「永遠の一秒」の舞台袖に立ちました。

 そして語りの冒頭、こう述べました。
「みなさん、今日は日本にとって重大な、悔しいことが起きた日になってしまいました。日本の海である尖閣諸島の海で、日本が公正に逮捕した船長を、中国の圧力に負けて、屈服して、釈放を決めてしまいました。このドラマにも登場する若き特攻隊員が護ろうと戦ってくださった、日本が、これからどうなってしまうのか、その緊張感も持って、これからドラマを観ていただきたいと願います」

 もちろん、これまでの語りには、この部分はありませんでした。
 その分、語りが長くなり、舞台劇の監督をはじめとするみなさんには、迷惑をかけたのであろうと、きわめて心苦しく思います。
 しかし、観客のかたがたは、これまでをさらに上回る集中力で、この拙(つたな)い語りに、じっと耳を傾けてくださいました。その気配が、暗い舞台の袖に立つぼくに、ありありと伝わりました。


▼けさ9月25日土曜日、朝5時台に、ニューヨークで開かれた日本国内閣総理大臣 菅直人衆院議員の記者会見を、NHKの生中継で、観ました。
 冒頭に、船長釈放をめぐる質問が出ましたが、ある有力新聞(ブロック紙)記者による質問そのものもあまりに、ぬるく、総理の答えは、国民の怒髪天を突く怒りを、何ら理解していない答えぶりでした。

 しかし、予定通りにうまく答えたつもりの菅さんは、役人の作ったその答えの中に、重大な一句が含まれてしまっていることに、気づいていませんでした。
 その一句については、これから閣僚や政府当局者に取材を重ねてから、来週水曜の関西テレビの報道番組「アンカー」で、お話ししようと考えています。
 どの一句かを、今、もったいぶってこのブログに書き込まないのではありません。当事者の言い分などについて確認を重ねてからでないと、明らかにしないのが、ぼくのたいせつな原則だからです。


▼いまは午前9時を回りました。
 東京は、雨が上がりそうです。
 われら国民よ、立て、立とう。
 ゆっくりでいい、慌てないでいい、しかし確実に立とう。

 ぼくらには国家の青春があった。
 それは、倒幕の時代である。
 ふたたび倒幕の時代は来たれり。
 いち菅内閣のことを指すのじゃない。ぼくらの祖国の、永い歴史上のただ一度の敗戦と、その敗戦後の65年を、やがて根源から超克するために。


▼ふだんからぼくのささやかな発信に関心を寄せてくださるかたがたの中から、ぼくが語りを務めている舞台劇「永遠の一秒」を観に来てくださるひとが、増えています。

 そして感想の電子メールなどをいただき、ドラマの歴史観や戦争・平和観について、厳しい意見をかなりいただいています。
 ありのままに申して、その意見は、ぼくの個人的意見と一致する点が少なからず、あります。

 特に、ハンドルネーム「ぎい」さん、あなたの意見は、ほとんどぼくと同じです。いや、もっと正直に言いましょう。完璧に同じです。(きょうも懸命に演じる俳優たちのためにも、その意見の中身はここに記しません)

 その上で、あなたはメッセージの最後あたりに、こう記されています。
『今回の観劇体験では、自分の感性が世間様のそれと大きくズレていることを認識でき、かなり愕然としましたが、よい勉強になりました。』

 あなたの感性だけではなく理性は、ぼくと響き合っています。まったくズレていません。

 ぼくは先の書き込みにこう記しています。
『敗戦を終戦と表現していることを含め、ぼくとこの舞台劇は、戦争観・平和観、日本の歴史の見方は同じではありません。
 しかし、いのちを真摯に考え、突きつめていったら特攻隊員になった、という演出の畠山貴憲さんのありのままの述懐に思うところあり、生まれて初めて、舞台というものに、ごくささやかながら関わることになりました』

 この考えをぼくなりに貫いて、日程と時間の使い方について無理をして独研(独立総合研究所)の秘書室などに苦労をかけつつも、連日のように、舞台の袖に立っています。
 まずは、特攻の青年たちが、今のぼくらとかけ離れた存在ではなく、ごく身近な、ぼくらと直接に繋がっている存在である、それを、敗戦後の教育を受けて『あれは軍国主義の時代の狂った振る舞いだけだったんだ』と思い込んできた日本国民が、知ることが、出発点の一つになると信じるからです。


▼写真は、ぼくの語りに出てくる、アメリカ海軍の戦艦ミズーリの艦上で、撮りました。
 一枚は、とても有名な写真です。
 ミズーリに突入を果たす寸前の日本海軍の零式艦上戦闘機が画面左上にいます。
 そのミズーリの甲板上に、この写真が展示されています。それを撮りましたから、ミズーリのデッキなどが映り込んでいます。ウェブ上では、その写り込みはよく分からないですね。下の方には、他の展示パネルが映っています。
 この写真は、準備中の新刊「ぼくらの祖国」にも掲載するかも知れません。

 もう一枚は、突入した場所に立つ、日本人ガイドさんです(サングラスの男性)。
 この下に、ゼロ戦が遺した、小さな凹みがあります。
 背景は、かつて日本海軍のパイロットたちが目にした真珠湾の山です。






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