On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2011-02-23 02:39:36

ミニ報告(続の続)


生と死のリアルタイム その3

▼いま2月23日水曜の未明1時すぎ。
 大腸癌を、おそらくは転移の寸前で、切除することができた手術から7日目に入りました。
 都内の大病院のベッドの上にいます。ぶるーまうんてん・おん・ざ・べっど。

 きのう、術後6日目の22日火曜、夜7時すぎに、初めて病院の外へ出ました。
 もちろん執刀医(副院長)の許可を得て、寝間着じゃなくスーツを着て。
 傷口に分厚い5重のガーゼを当て、切腹した患者専用の腹帯(ふくたい)を巻き、そうするとズボンの前フックがなかなか掛からなくて、ちょっと汗。

 病院から、有楽町(東京・千代田区)マリオン11階の朝日ホールへ。
 東京青年会議所(JC)主催のシンポジウムで、安倍晋三・元総理の講演のあと、ぼくと理事長の奥山卓さんのふたりで対談。すべて東京JCの企画です。
 とにかく声を出すと、腹の内の傷が、痛むこと痛むこと。
 看護師さんによると、ぼくの発声法は完全に腹式呼吸だそうで、要は腹筋を使って声を出しているから「そりゃ、青山さんの場合は、声を出せば出すほど痛むのは当たり前です」(担当看護師さとこさん)とのこと。

 しかし対談で声を出さねば、対談になりませぬ。
 この公開対談は、もちろん手術前から決まっていた予定で、東京JCの諸君は、それぞれが若手企業人として忙しい日々のなかで徹夜も重ねながら準備してきたことは、ありありと想像できます。
 それに平日の遅い時間に集まってくださった一般聴衆のかたがたに、聴きとりにくい声は出せません。

 だから、まさしく腹を決めて、なるべくふだん通りに腹から声を出しました。
 痛みは我慢できるけど、どんどん背中が曲がる。自然に背中を曲げて、体を丸めて、耐えようとしているらしい。
 しかし執刀医もおっしゃっていた。「傷口が開いてしまうことだけは、ありません」。んなら問題ない。実害は、ない。

 39歳の奥山理事長の仕切りは、予想以上にじょうずで、問題提起も豊かです。
 10年後、そして20年後の、このぼくらの祖国をどんな国にしておくべきか。憲法はどうする、自衛隊か国民軍か、中国との経済関係をどうする、教育をどうする、そして産油国が動揺するなかエネルギーと資源は、これまでの「日本はいつまでも資源小国という思い込み」のままでいいのか。
 ひとつひとつの問題提起に、声に祈りを乗せて、つたないながらに、お答えしました。

 そしてぼくは、たとえば「1票の責任というのは、投票当日に無事に1票を投じれば、それで良いかのように総務省、旧自治省が国民にアピールしているのは間違いです。せっかくの小選挙区を生かして、身近になった候補者に、たとえば憲法をこうしなければ、わたしはあなたに投票しない、逆に、憲法をこうするのならば、必ず投票すると告げるといったことをはじめ、ただ投票日に有権者というだけではなくて、ひとりひとりが日本の最終責任者として、それぞれの信念に基づいて候補者に選択を迫る行動をとる、それを含めての、1票の責任ではないでしょうか」といった話をいたしました。

 最後は冷や汗も出ていたようだけど、気になりませんでした。(奥山さんは、舞台の上で気にしてくれていたようです…ありがとう,こころから)
 正直、気にするどころじゃなかった。
 この聴衆のかたがたと、出逢い、一緒に祖国を考えるのは、ただの一度切りかもしれない。来てくださった人々は、どのひとも、人生の二度と帰らない時間を費やしています。
 それに東京JCの諸君の志と誠実な努力にも、非力なりに応えたかった。

 病院への帰り道、腹は牙をむくように猛然と痛んだけど、夜10時前に病室に戻り、ベッドの上でパソコンで仕事をするうち、つまり無言でいるうちに、次第に、この頃の平均的な痛みに戻りました。
 オッケー。


▼きょう水曜日は、朝7時16分ぐらいから、RKB毎日放送の「スタミナ・ラジオ」生放送に携帯電話で参加(出演)します。
 そして夕刻には、関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」のレギュラーコーナー「青山のニュースDEズバリ」を、関テレの東京支社からナマでやります。

 二度、声を使うわけだけど、公開対談ほど腹筋を使うはずはないから、心配はしていません。
 それより、放送の内容です。海外を含めてEメールと携帯電話の取材を続けます。


▼いまの段階の最大の恐怖は、実は、発声で腹筋を使うことではなく、咳が出たときの強烈無比、残忍至極の、腹の痛みです。
 重症肺炎をどうにか治して、しかし咳だけは残ったまま、手術に入ったから、術中と、術後34時間の地獄の痛みの時には出なかった咳が、いまは、か~な~り、出るのです。
 その痛み、発声して出る痛みの比じゃない。
 看護師さんの親身のアドバイス通り、咳が出始めると、お腹を押さえて咳き込むようにしているのだけど、まったく効かない。ダイレクトに響きます。

 つまり、天はいろいろな試煉を与えてくれているわけです。



 写真は、この病院に入院した初日の2月16日水曜午後5時11分、すなわち翌朝の手術の15時間ほど前です。いつもなら関西テレビの「スーパー・ニュース・アンカー」生放送で、レギュラーコーナーの始まりぐらいですね。
 病室の窓から、淡々と「最期の夕陽かもしれないね。それは、それで、よい」と思いつつ、静かに眺めました。

 きのう術後6日目の朝、久しぶりに、日本の日の出に向かって手を合わせて祈ることができました。
 それが嬉しかった。
 そして、朝陽も夕陽も、大好きです。
 まさしく生と死を、日々、語っているからでもあります。
 癌手術のおかげで、生と死のリアルタイムを過ごすことができるのは、魂の幸福です。

 
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