On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2011-02-19 03:52:23

ミニ報告(続)


生と死のリアルタイム  その2


▼いま2月18日金曜の午前2時すぎ、腹を開いて大腸癌を切除する手術が終わって16時間ほどが経過しました。(*)
 悪夢のような激痛の時間は過ぎ去って、ぐるぐる世界が回る目眩(めまい)は続いているものの、新しい力を感じ始めています。

 手術前夜は、どうしても終えておかねばならない仕事、それも無償の仕事だからこそ裏切れない仕事をひとつひとつすべて完遂して、ほぼ朝になりました。
 朝、診察に来られた執刀医(副院長)は、苦笑しつつ、「ま、これから麻酔でぐっすり眠ってもらいますから」」とおっしゃい、まわりの看護師さんたちの緊張感がそれで一瞬、ほぐれたようでした。
 ダンディで余裕のある感じの副院長は、『日本はやっぱり適材適所で(政界以外は)良い人材がいらっしゃるんだなぁ』と思わせるようなひとです。
 このブログは読んでらっしゃらないと思うから、お世辞じゃありませぬ。

 そして2月17日木曜の午前8時半、点滴をぶら下げて歩いて手術室へ。
 朝一番の手術室の大きなドアの前には、何人ものクランケ(患者)が一列に並びます。
 ぼくなんぞよりもはるかに深く、長く難病に苦しんでおられる気配のかた、じっと目をつぶる車椅子の高齢のかた、看護師さんと一見は明るく話している若いひと、それぞれが同じ巨船に乗り合わせて、戦いの始まりです。

 ぼくは若い事件記者時代に、医事記事を並行して書いていたときがあるから、手術室は初めてじゃないけど、この病院の手術室の広いのには感嘆しました。
 そのなかのひとつの手術台に乗り、体を横たえると、まず脊髄への麻酔注射です。
 ぼくの受けたのは硬膜外麻酔という熟練の技が求められる麻酔術で、脊髄の中の硬膜の一歩手前で針を寸止めし、麻酔薬を注入します。脊髄の中の硬膜を破ってしまうよりも、患者には恩恵があると言われています。

 この注射を受けるためには、思い切り体を丸めます。
「さぁ、丸めてください」と声がかかって、両足を抱え込み、生まれたばかりの小鳥のように首も丸め込みます。アルペンスキーの抱え込みにも似ていて、体の柔らかいぼくには難しくはない体勢です。
 麻酔医と看護師さんから「これは、やりやすい」、「うんと曲がりましたね」と声があがるなかで、ぼくは胸の内で『生まれてくるときの胎児の姿勢にいちばん似ているな。ぼくはこうやって生まれてきたんだ。お母さん、ありがとう』と、呟いていました。

 この硬膜外の脊髄注射は、あまり痛くないと聞いていたのだけど、これが意外に痛かった。しかも何度も繰り返されます。しかし、てきぱきとうまくいっている雰囲気でもありました。
 それが終わると、仰向けに四肢を伸ばして、ちょうど拷問台に磔(はりつけ)になるように固定されます。
 そして全身麻酔です。静脈麻酔薬の注入と合わせて、マスクが近づいてきます。このマスクを顔に被ったら、もう、あっという間です。ぼく意識を失ったのでしょう。呼吸も止まり、人工呼吸に切り替わったのでしょう。自分では何も分かりません。


▼そして気がつくと、病室のベッドに戻っていました。
 全身に、さまざまな管(くだ、まちがっても、かんではありません)パイプやら針やらが刺さってはいますが、なにやら快適な気分です。
 つまり麻酔がまだ適度に効いているのですね。

 手術は予定の2時間半よりずっと早く、1時間45分ほどで終わりました。
 そして、看護師さんから「先生(執刀医)が、青山さんのご家族に、手術は成功、転移はなし、とおっしゃっていましたよ」と告げられ、ぼくは、その看護婦さんの優しい声にも、すべてに感謝しました。

 実は、転移は心配されていたのです。
 ひとつには、これまでこの事実は一切、伏せていましたが、ほんとうは、癌は早期ではあっても全くの初期ではなく、粘膜から静脈への浸潤を起こしていました。

 もうひとつには、癌の発見から時間が経ちすぎました。
 ぼく自身、『せっかく癌を発見しておきながら、講演会のようにキャンセルすると主催者がきっと茫然自失になるほど困るような仕事はどうしてもキャンセルできずに、すべて完遂してしまった。これが、ぼくの癌には致命的かもしれない。しかし、ぼくにはその生き方しかできないのだから、万、やむを得ぬ』と、繰り返し考えてました。

 執刀医もすこし心配そうな表情でしたが、「静脈に浸潤したからといって、直ちに転移するのじゃない。血液によって癌細胞が全身にまき散らされるというイメージは俗説、間違いです。問題は、リンパまで行っているかどうかです。青山さんの免疫力の強い体質などを考えても、リンパには行っていないでしょう」とおっしゃっていました。
 ただ同時に、執刀医の表情には、不安も浮かんでいました。ぼくの社会的立場や、信念を理解すると、もはや止められないが、しかし…という表情でもありました。

 その事実があったので、「遺書ならざる遺書」もここにアップし、この「生と死のリアルタイム」もアップしたのでした。全身麻酔の万が一のリスクに、きちんと備える以外に、これがありました。
 だから「転移なし」という第一報は、事情を知る人間みんなにとって、なにより朗報でした。
 もちろん、これはお腹の中を見た第一報であって、詳しい病理検査、組織検査を待たねばなりませんが。
 癌は、ぼくのリンパには届いていなかった。浸潤していた粘膜やら静脈と一緒に、体外へ去って行きました。それは真実です。


▼そして、手術から、そうですね2時間ほどの間は、苦痛がほとんど無かったのです。
 術後の診察に来られた執刀医に、「どうですか」と聞かれて「快適です」と答えて、またまた苦笑されたほどでした。
 パイプに管に針だらけの全身で、快適とは、そりゃないですよね。ふひ。

 切開した傷のある腹から体液を出すドレーンが2本、おしっこに行けない泌尿器から尿を出すカテーテル、食べられない食べ物の代わりに電解質を入れる点滴、抗生物質を入れる点滴、痛み止めを入れる点滴のそれぞれの管が腕に計3本、鼻には酸素マスク、それから口の中と、右足に何かの管が入っている。
 自分で分かっただけで、これだけ。他にも何かあったかもしれない。
 ぼくは、どちらかと言えば自然児の体質で、ふだんは体に何かが入っていたり、くっついているのが苦手で、ブレスレットのたぐいはおろか時計もしたくない。だから、この管にパイプに針は、それはかなり辛かった。
 それでも全体としては、「快適だなぁ」が実感だったのです。ひどい苦痛を覚悟していましたから。

 ところが昼を過ぎて、午後1時前後でしょうか、凄絶な、言葉にならないような痛みが始まったのです。
 ちょうど腹を開いたところ、その奥のほうの体内を、あらためて、切っ先鋭い大型ナイフで好きなようにそこらじゅうを刺し回ったり、掻きまわされるような痛みで、そこを中心に、左腰の全体が、たとえようもない痛みに包まれました。
 痛み止めの点滴の間隔を縮めても、薬そのものを強くしても、何をしてもまったく効かない。
 ぼくはちょうど2年前に、スキージャンプで墜落して、同じ左腰の骨(横突起)を5本すべて、引きちぎるように骨折した時を思い出しました。
 そのとき、この世で最悪の痛みだと思ったけれど、どっちがほんとうの最悪かなぁ、こっちかなぁ、あっちかなぁ、なんてことを頭の隅で考えながら、呼吸までやや困難になり、高熱は発し、もう、むちゃらくちゃら。

 それでもね、失恋と同じで時間が助けてくれる、人類の智恵を集めた医学が助けてくれる、何人もの看護婦さんと医師が助けてくれる。
 いちばん赤黒い泥のような苦痛の時間から、10時間ぐらい経った今は、こうやってベッドの上で半身を起こして、パソコンが打てるようにまで、なったのです。

 もちろん、半身を起こしていると、痛い。パソコンを打っていると痛い。
 だけど看護婦さんも「寝たきりでいると筋肉が固まって、よけいに痛いですから、少々は無理をしてもいいですよ、やってください」とスイセンしてくれるので、みなさん、忘れてしまわないうちに手術前後を記しました。
 決して、看護婦さんに隠れてやっているのでは、ありませぬ。

 そして、この小さな記録の最後に、ぼくがいちばん呆然としたことがありました。
 いまパソコンで日付を確認したら、2月18日金曜ではなく、19日の土曜日です。
 そんな馬鹿な。ぼくが入院したのは、ふだんなら大阪に出張して関西テレビの「スーパーニュース・アンカー」の生放送に参加(出演)している水曜で、手術したのは、その翌日の木曜日、17日だ。
 今日はそれから一夜、明けたのだかから、18日金曜日。そのはず。

 しかし携帯電話で確認しても19日土曜、ネットの新聞を見ても19日土曜。
 うーむ。ぼくは実際には、まるまるもう一日、あの赤黒い苦痛の中にいたのです。
 だから、この書き込みを書き始めたのは、18日金曜午前2時過ぎではなく19日土曜の午前2時過ぎ、手術から16時間じゃなくて40時間だったのです。(*)

 苦痛との戦いは、最悪の時間が10時間ほどだったのではなくて、実に、34時間ほどでした。
 それがまったく分からないほどに、もがき苦しんだようです。意識は終始、きちんとあったのです。
 まぁ、痛みなんて、くぐり抜ければ、ただの思い出、だからこそまたスキーもしたいのですから。


▼写真はいずれも、最悪の苦痛のときではなくて、ぼくが手術室から帰った直後のものです。痛みが始まる前です。
 なんか顔色はいいですよね。
 危機に対抗して、命の力がどっと湧き出ていたのかもしれません。
 父母に、あらためて魂から感謝しています。
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