On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2011-02-17 04:06:05

ミニ報告


生と死のリアルタイム その1


▼いま夜10時半、都心の大きな病院の一室にいます。
 きょう2月16日の午前、入院しました。看護師さんのひとりが「いよいよですね」と、すこし緊張した笑顔でおっしゃったのが、こころに残りました。

 窓から、寝静まっていく、この病院の一角がみえます。
 ぼくだけのことではない、というより、ぼくの病などまったく比べものにならないほど深い、重い病と、戦っているひとびとの呼吸が感じられるのです。
 薄明るい窓や、ただ暗い窓が並ぶ、夜の大病院は、生と死を乗せた巨大な船体が、闇夜の海を静かに進んでいくようです。


▼ゆうべは徹夜のまま朝を迎え、朝6時45分から自宅で15分おきに大量の下剤を飲んでいくことから、ぼくの小さな戦いは、始まりました。
 その中でラジオ出演を準備し、生放送に電話で参加するのは、なかなかスリリングでありました。なにせ、いざとなったら超プライベート・ルーム、つまりトイレから携帯電話でリスナーに語りかけるわけですから。

 このラジオも、万一の場合は最後になるから、ふだんと違って「子々孫々に、どんな祖国を手渡していくか」について建国記念の日(紀元節)を例に、お話ししました。
 幸い、超プライベート・ルームからではなく、自宅の窓辺でお話しできた。

 ラジオが終わると、てんやわんやで入院の荷物作りをして、病院へ。
 さまざまな承諾書、つまり万一のときは死もあり得る手術だと承知して受けるという承諾書への署名やら何やらの手続きから、かなり強い麻酔も使った大腸の内視鏡検査や、レントゲン撮影、採血に次ぐ採血といった術前検査までをどんどんこなしながら、執刀医(外科・副院長)の開腹手術の懇切丁寧なブリーフィングをはじめ、主治医、病室担当の看護師、手術室担当の看護師、薬剤師、栄養士などなどの訪問と問いかけに次から次へと応えていきます。
 そして、そこに実は、さまざまな仕事が錯綜して押しかけてくる。
 検査の影響でお腹の痛みや強烈な張りを、ほんとうはかなり痛切に感じながら、腸の切除に備えてもう50時間以上、まったく何も食べていないから、ふらふらで、それを補うための点滴がずっと続く。ゆうべの徹夜の眠気も押し寄せる。
 明日の手術のあとは、呼吸を再開するのも、起き上がるのも、練習が必要ということで、担当看護師さんが熱心に指導してくれて、腹の傷をかばいながら、いかにして腹の痛みを最小限度に抑えてベッドから起きるかの練習をも繰り返す。
 ただ寝て回復を待つのではなく、あえて動いて早い回復を図るのが、この病院をはじめ医学界の趨勢です。ぼくには、ぴったり合っています。

 正直、前日からこれほど複雑に忙しいとは思わなかったけれど、夜になるにつれ、人生のひとときにこの場所にいることが、なんとなく面白く、まぁ信じがたいことに聞こえるだろうけど、どこか楽しくもある。

 そのなかで夕刻、看護師さんが、にーこにこと、明るい笑顔で花を抱えて病室に入ってきました。
 会員制レポートの会員から3者連名で、思いがけず花を贈ってくださった。添えられたカードも印象深い。
 夜、来週に講演再開の第1号になるシンポジウム(東京青年会議所例会/2月22日火曜夜7時から9時/有楽町朝日ホール/安倍晋三元首相が講演され、ぼくは奥山卓・東京青年会議所理事長と対談します)の打ち合わせで、東京青年会議所の幹部の面々が、病室にお出でになった。こちらは、おいしそうなジュースの詰め合わせを、これも思いがけずくださった。ジュースも飲んじゃいけない完全絶食のさなかだから、正直、苦しいほどに飲みたかった。
『手術を乗り切って、このジュースを思い切り飲もう』と思わせてくれたから、ベストのお見舞いです。ありがとう、こころから。
 ただし、みなさん、お見舞いはこれでもう充分。あとはすべてお気持ちだけをいただきます。


▼みなさんの励ましを、どっと溢れるように、この地味ブログにいただきました。
(*この地味ブログへのコメント欄は、閉鎖しているのではなく、いただいたコメントの公開を一時的に保留にしているだけです。いずれは公開します。ただし、公開しないでね、と書いてあるコメントは決して公開しませんから安心なさってください)

 その励ましには、ぼくは必ず応えます。
 そして、いまもしも生を終えるのなら、2つ大きな後悔が生まれてしまいます。ひとつは、ぼくの背骨をつくってくれた母に先立つこと、もうひとつは、物書きとしてまったく不充分な足跡しか残していないことです。
 ここで死ねば、「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」(PHP)が絶筆になってしまいます。あとは仕上げだけの「ぼくらの祖国」(扶桑社)を必ず、刊行せねばならないし、書きかけのいくつもの小説を世に問わねばなりません。
 そもそも早期の大腸癌は、予定通りであれば、何らの問題でもありませぬ。

 執刀医(副院長)が、上述のブリーフィングで「この手術1回で完治します」と断言なさったことにすこし驚き、深く感謝しました。
「あと、どれぐらい発見が遅かったら、手遅れでしたか」と聞いてみると、「半年ですね」と、これも明言されました。
 人間ドックを一度も受けようとしなかったぼくに、手遅れにならないうちに癌を発見させてくださった天と、諦めずにずっと受診を薦めてくれた独研(独立総合研究所)の歴代の秘書さんたちに、こころの底から感謝します。

 執刀医の断言も、「アクシデントが無かったら」ということであり、死をも受け容れる覚悟はできています。腹は、すとんと定まっています。

 しかし、励ましてくれたみなさんと、母と、現役社長のまま医療過誤で無念の死を遂げた父と、そして仕上げと出版を待つ原稿たちのために、手術と術後に、ぼくなりの最善を尽くします。


▼「遺書ならざる遺書」その2も、いずれアップします。
 そして、この「生と死のリアルタイム」も、並行してアップしていこうかなと思っています。ただし、可能であれば…ですが。

 冒頭の写真は、そのお花とジュース、ぼくの腕は点滴の針が入っています。
 枕元には、無償の仕事のペーパーです。至急に仕上げねばなりません。
 ぼくは…疲れたひどい顔ですが、静かな戦いの顔でもあります。

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