On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2013-07-10 15:13:57

あんまり細かく更新すると…

…ツィッターみたくなっちゃいますが、「ミヤネヤ」を終わって、いま関テレに移動しました。
 これから「水曜アンカー」です。

「ミヤネヤ」については、「短すぎる!」というEメールや、このブログへの書き込みを頂いて、反応の早さにちょっとだけびっくり。
 そうです、事前に聞いていたより、10分ぐらい短かったかな?
 前のコーナーなどが少し長くなったのでしょう。テレビ界では日常茶飯事なので、番組に参加する以上はそれなりに受け止めて、視聴者・国民にすこしでもほんとうのことが伝わるよう自分自身で、限られたなかでも努力するしかないです。

 ちなみに、「ミヤネヤ」でレギュラーコメンテーター陣に並んでいらした住田弁護士は、住田さんが検事として梶山静六法務大臣(当時)の輝く女性秘書官だったとき、ぼくが共同通信政治部の法務省担当記者でしたから、懐かしいかたです。
 そして、その隣にいらした読売新聞のひとは、やはり記者時代に、中曽根政権の最後の1年間を一緒に総理官邸で過ごした総理番記者のおひとりです。
 あの頃のぼくは、記者を辞めるなんて想像もしなかったし、テレビ番組に一緒に参加するときが来るなんて、夢にも思いませんでした。

 しかし一方で、政治部に上がる前の地方支局時代に、この大阪で「2年生記者」研修があって、同期のみんなで訪ねた研修先のひとつが、この関西テレビ。
 当時の報道部長が、ぼくらに「このなかで、ひとりだけ、うちの番組に出る人が出るだろう」と予言されました。
 ぼくは、それを聞きながら、ほかの同期の記者の何人かを「あいつかなぁ」と想像しました。
 人生は不思議です。

…きょう、宮根さんの横に立ったとき、CM中に思わず、「(吉田さんが逝かれた)昨日の今日ですから…」とぽつり、余計なことを言ってしまいました。まだ吉田さんのご逝去を充分に胸に納めていない、諦めきれないところがあるのです。
 それでも、吉田さんが食道癌の手術の前後にくださったEメールのなかで「青山さんとの縁を大切にしたい」と繰り返し、書かれていたことを思い出します。
 人生は、あくまで、天のくださるご縁です。
 いかなる仕事も、いかなる人も。
 ぼくはこの先、吉田さんとずっと一緒に居ます。先ほどの短かった?「ミヤネヤ」でも、このあとの「アンカー」でも同じです。
 吉田さんが国士であること、それをみんなにささやかに語る機会が、短かろうが長かろうが一度でも増えたことを、むしろ良かったと思います。
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