On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2013-11-01 18:51:26

いま羽田から都心に向かっています

      


▼j沖縄で知事らと議論したあと、きょうも白梅の塔と自決壕にお参りをしました。
 白梅の塔では、白梅同窓会長の中山きくさんをはじめ、沖縄戦で傷つき苦しみつつ生き残られた、白梅学徒看護隊(沖縄県立第二高等女学校の少女たちが、わたしたちの先輩のかたがたを看護してくださった隊)のみなさんが、台風29号の雨のなかを待っていてくださいました。

 秋の花を捧げ、そして、いつものように、碑に刻まれた先生がたと生徒たちのお名前をひとりひとり指でなぞり名を呼びながら水で清めました。写真がそれです。
 そのあと、自決壕には今日はひとりで入りました。
 雨の日の自決壕は、生き残りのみなさんにとっても、怖い場所でもあるからです。

 ぼくがいちばん最初にお参りを始めた時に比べると、はっきりと、少女の気配の数が減りました。
 例えば、ぼくのつたない講演を聴いたかた、「ぼくらの祖国」(扶桑社)という本を読まれたかた、「水曜アンカー」(関西テレビ)という番組をご覧になったかた、そうしたさまざまなひとびとが本土からも、沖縄県内からも、お参りしてくださるようになったからだと思います。

 ところが、なぜか、まだふたりほど気配があります。
 あくまでも、ぼくの個人的な感覚に過ぎませんが、きょう、あらためて鋭く深く、胸が痛みました。

 そのあと空港にも近いあたりで、みんなで食事をしました。
 お別れに、これもいつものように、生き残りの学徒看護隊のかたがたとハグをしました。
 かつては、まだ恋も知らなかっただろう15歳や16歳のかたがたは、今は、80歳を過ぎてらっしゃいます。
 しかし、こうしているといつも、わが腕のなかで少女に戻られます。


▼そして那覇空港から羽田に飛び、羽田では滑走路に予想外の飛行機がいて着陸を突然、やり直したりしました。
 ほぼ毎日、飛行機に乗っているので、こうしたトラブルに遭う確率もたいへんに高くなります。

 これから都心で、治安当局者たちと会い、議論です。

 われ、いまだ途上にあり。
 きょう、雨の自決壕でひとり、あらためて胸に迫ってきたのは、沖縄戦の少女たち、先輩がたや、硫黄島の戦いの先輩がたから、わたしたちがお預かりしているのが、この、ただひとつの祖国だということでした。
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